ゆとり教育については各所で盛んに議論されている。今回取り上げることがゆとり教育と因果関係があるのか否かは言い切れない。ミジンコは関係があると思っている。ゆとり教育だけの影響ではなくて社会が悪い方に変質してしまったことも大きいと見ている。若者がとんでもなくアホでも社会に余裕がなくて構っていられない、いちいち教えていられないという状況・環境がこの数年で急速に増加したと思うからだ。
映画の字幕について。
AKB48の中心的存在のメンバーがその事に触れてくれて、彼女の注目度の高さからやっと以前よりも多くの人たちが考えてくれるようになった。彼女はなんの気なしに語ったことなのだろうが、その内容に衝撃を受けた人々が多いようだ。たぶん、その現状を今までご存知無かった方々には本当に衝撃的な内容かもしれない。それは日本での出来事か?と思いたくなるようなことだ。
AKB前田敦子、超多忙でも「週5本」 外国映画の魅力を力説(Yahoo!ニュース オリコン)
一部抜粋:
最近観たお気に入りの作品に『ヒューゴの不思議な発明』『アーティスト』を挙げ「私はいつも字幕で観るんですが、
周りは字幕の見方がわからなくて外国映画を観ない人が多い。私は『何で?』って言いますし、ぜひ観てほしいですね」と呼びかけた。「外国映画には夢がすごく詰まってる。“本物”の映画といえば外国映画だと思ってます」と真摯に語り「私と同じ世代で、何をしていいかわからない人や夢のない人たちもいる。そんな人たちの夢を持つきっかけにもなると思います」と力強く語ると、会場から大きな拍手が響いた。
これは本当のことなのだろう。字幕版の映画では内容を追えない若い世代が急増中のようなのだ。嘘みたいな話だがこの2、3年の劇場公開作の吹替え版上映の急増からして吹替え版は本当に増えている。つまり需要は吹替え版にシフトしているようなのだ。吹替え版に押しのけられて字幕版のスクリーン数が減ってしまっているのがここ数年は顕著。子供向け映画が増えているというわけではなくて大人が観るような映画でも吹替え版の上映回数が増えている。
先ずは注意しておきたいのは3D映画の増加だ。3D映画では字幕がとても見難くなる。3D映像を楽しむのと同時に字幕を読むことはなかなかに難しい。字幕の位置が映像と映像の中間点とでもいうべきところに表示される映画だと字幕を追うだけで疲れてしまう。ミジンコの場合は字幕があってもなくても良いわけなのだけれど3D映画の字幕は2Dの映画よりも邪魔に感じる。
3D映画の増加により吹替え版が増えたということはあると思う。
ただし、今回取り上げている事象は3D映画増加とは別のところが原因だろう。本当にAKBの子が言うように字幕を追いきれない人が増えているのだ。そのほとんどが若者世代らしいからこそ、今回の記事タイトルに「若者のアホ化」と敢えて酷い表現を入れている。酷い話なのだ、若者の瞬間的な理解力が低下しているということなのだ。勿論、全員がそういうわけではなく、そういう人たちもいるって話なわけだが、その割合が余りにも増えているが故に吹替え版の需要が拡大しているというわけだ。ただでさえ文字数制限があり簡単な漢字しか使用されない映画の字幕ですら一瞬で読んで映像と内容を一致させることができないアホの子が増えているってことだ。日本はこのままではマズイのでは?
皆さんは「字幕の見方がわからない」と言われたところでその意味がわからないといったところではないだろうか?なんでわからないのかをわからない、これが字幕映画をなんとなく観ていても理解できる人たちの素直な反応だ。その意識せずともなんとなくできてしまう脳の動きをできない若者たちが大勢いるのだ。そういう若者たちはニュース速報も読み切れないであろうし、そもそも街にある様々な標示を理解できていない可能性が大だ。恐るべき日本の国力低下という気がしてならない。
ひとつには若者がどれだけ知識が無くとも見放したままの社会が当たり前になってしまったことが大きいと見ている。一見、若者が無知なことに寛容な世の中であり、若者にはラクな環境かもしれないが、実際には若者たちは社会から見捨てられ、見殺しにされているようなものだ。商売とはいえ「字幕では無理でちゅか~?じゃあ、日本語吹き替えを用意しまちゅね~♪」と若者たちは言われているようなものだ。怒って勉強するべきだ。
なんでもかんでも下のレベルに合わせた社会というものはいつか破綻する。個性を伸ばすということと字幕を追えるくらいの学力・判断力を身につけることは同時に成り立つはずだ。「力を伸ばす」ことはどんなことであろうと相反することは決してなく同時並行でできる。
いわゆるFランと呼ばれる大学の学生や卒業生の信じ難い知識不足・学力不足が取り沙汰されているが、これも同様にして社会が「このままじゃこの子たち、この若者たちの将来は危ういな」と分かっているのに、助ける・注意する余裕がなくて見放しているのだ。勿論、該当する学生たちは見捨てられているなんて考えてもいない場合もあるだろうが実際はそんなものだ。そりゃアホにアホというのは大変なエネルギーを要する。今の日本にそんな余裕のある先輩たちはそうはいないことだろう。その結果のひとつとして一瞬聞いただけでは理解できないような「字幕の見方がわからない」という言葉が若者から出てきている。
自分への戒めとしても、もうちょっと面倒ではあるけれど「できない・わからないことは恥ずかしいことなんだ」ということをもっと言うようにして嫌われ者になってみようかと思う。このブログでは散々言っているけどさ!w
だってさぁ、アホが何千万人もいる国なんて住みたくないでしょ?ミジンコはイヤだなぁ、そんな母国。
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