観た。
夫婦で観た。
夫婦ともに一滴の涙も流すことなくシネコンを出た。
キャストの演技も歌唱力も素晴らしかった。演出も見事なものでオスカーの作品賞も有り得なくはないと思った。
ただ、感動というほどのインパクトは無かった。とても丁寧に作られたミュージカル映画ということは間違いないのだけれど、日本公演も含めて何度か観劇した舞台の「レ・ミゼラブル」の方が強く印象に残っている。
思い出すのは映画「タイタニック」のこと。あの作品も世界的に大ヒットした感動作ということなのだが自分はちっとも感動しなかった。それと同じ感想をこの「レ・ミゼラブル」でも持った。感動ってそんなにお安いものなのかな?と。
人の死を演出すれば感動作の出来上がり、こういうやり方が大嫌いだ。「死=感動」というのは違うと常々感じている。そりゃ人の死は悲しい。ましてや誠実な人物が命を落とす描写はとんでもなく悲しい。だが、「ああ!死んじゃった!」→「死んだので悲しい」→「悲しいから泣いた」→「泣いたので感動作」という一連の流れは受け入れ難い。
自分が大自然や芸術ではなくて「人に感動」するときってどんな時だろうかと考えると、黙々と未来の何億人もの人々の命を救う技術を担っている研究者が帰宅が遅いと携帯で奥さんに怒られ「いや~怒られちゃいました♪」と明るく言ってみせたとき、虫も殺さないようなインターネット企業のCEOが独裁政権からの圧力に屈しないでその国でのサービスを停止しない決断をしたときに「さて・・・・(ミジンコの民間警備会社が自分を)守ってくれるんでしょ?」と言ったとき、このブログに内緒で送られてくる国を守っている方々、震災について数々の難題に今も懸命に取り組んでおられる方々からの(このブログが励みになるということで)感謝のメッセージを読んだとき。感謝しているのはこちらの方だというのに現場の人々から感謝されてしまう。「死」よりももっと身近な懸命に世の中に貢献している人たちに感動する。
映画の中で主人公を含めた登場人物が天国に旅立ったから、はい感動!とはなかなか素直には受け取れない。「レ・ミゼラブル」に関しては原作がそうなのだから映画としてもそういったストーリーになるより他ないということは理解している。ただし、そういう展開をイコール感動作とするのはどうにも・・・・・う~~~ん、心が震えるとかそういうことにはどうしてもならない。
ちなみにミジンコは映画「セント・オブ・ウーマン」が一番好きな作品。終盤のアル・パチーノの学校での演説には心が震えた。自分の生き方はこうありたいと思わせた演説だ。この作品では誰も死んでいないがその最後の演説で感動した。演説を途中で中断させられそうになったアル・パチーノが「I'm not finished!(まだ話の途中だ!)」と猛烈に怒って続けた以降の演説には本当に心が震えた。
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