重傷の人を無理矢理にでも起き上がらせて肩を貸したり、背負ったり、小さい子供や痩せ細った女性の場合には抱きかかえてでもその場から離れさせなければならないときがある。日本ではそんなことは先ずないけれど、紛争地帯では「どこどこの武装勢力がこちらに近づいているぞー!」なんて情報が入り次第、病院のベッドで寝込んでいる患者でさえ逃げ出さないと殺されてしまう。
病院の廊下や道ばたでうずくまっている人たちの腕をガシッと掴んで起こさせる。あまり強く掴んでは腕が折れてしまうのではないかと心配になるがその掴まれた痛みが避難民たちを生きようとさせることを学んだ。ああいったときは「やんわり」なんてことはやっている場合じゃないし適切ではないのだ。
まだ10歳くらいの少年に「妹の手を絶対に離すな!一生会えなくなるぞ!」と脅して手を握らせる。そこまで脅していいものかと悩むときもしばしばあるが兄弟が一生離れ離れになることは避けたい。自分の腰につけた黄色いハンドタオルを目印にさせ、「周囲を見渡さないでこのタオルだけ見ていろ!」とガキンチョ、もとい子供たちに指示する。「このタオルを見失ったときはトラックに乗れないときだ。見失うな!」と無慈悲な掛け声。その時点で泣き出す子供もいたが「泣いたら遅れるぞ。死ぬぞ!」と脅す。この話は家でもしたことがない。今初めてした。一回、「妹の手を離すなよ!」と幼い少年に言ったら「双子のお姉ちゃんだよ」と言われ「そんなことどーでもいいわ!」と怒鳴ってしまったことがある。俺は悪くない。
女性に多いが日々の過酷な生活で心身ともに消耗し切っていると有事のときでも恐怖と体力低下で自力で起き上がれないときがある。腰が抜けたわけでもなく単純に負傷していて起き上がれない人たちもいる。そんな自力では起き上がれない人々に「立て!」と言わなければならないときがある。そんな無茶なと自分でも思う。医療チームや財団の諸先輩方から教わった無茶ぶりだ。人を起き上がらせるのは大変な作業でましてや重体の患者を担架無しで運ぶなんて大人が数人がかりでも至難の業だ。人手が足りないときにはたった一人で一人の患者を運ぶなんてことを要求される。その時に「立て!踏ん張れ!」と怒った調子で叫ぶと患者が少しだけ軽くなる。患者自身が少しだけ起き上がることに意識を傾けると起こす側の負担がほんの少し減るのだ。だから怒り気味に「立て!」と言う。
震災から2年ということで震災についての特別番組やニュースなどで被災者たちの生の声が多数放送されていた。とにかくよく聞いた言葉は「復興が遅れている」ということ。政府や行政の対応への批判の声が多数。その声の多くは被災者からしてみれば紛れもない事実であろう。確かに復興とはほど遠い被災地が数多くある。復興の足を引っ張っている双璧ともいえるマスメディアと民主党が今の政府の対応を批判している姿には吐き気すらする。それをウンウンと聞いている被災者たちにも正直呆れている。なんで呆れているのかは言わずもがなだろう。震災から2年だ。その間のほとんどの期間で政権を担っていた政党とそれを闇雲にサポートし続けていたメディアが政府の復興支援の遅れを批判し始めたのだ。メディアも民主党もそれらの批判をウンウンと頷いて聞いている被災者たちも記憶力に問題がある。
起き上がるときには起き上がらせる側と起き上がらせてもらう側との協力関係が重要だ。地べたに踏ん張っている人間を無理矢理にひっぱり上げて起き上がらせるのは大の男でも難しい。起き上がらせてもらう側のほんの気持ちの起き上がろうとする姿勢があると無しとでは大違いだ。「政府が悪い!」「復興が遅れている!」「支援を!」と叫ぶのは構わないが被災者たちは自分たちの姿勢を省みることも大事だ。起き上がるときに「ほんの気持ちの起き上がろうとする姿勢」を忘れてはいやしないだろうか?助けてもらって当たり前になってはいやしないだろうか?
陸前高田市のサイボーグ松は枝の角度が松が生きていたときと違うというクレームがあり修正をしているとか。この市の市長の震災以後の言動だけ見てもとても復興支援を任せるべき人物には見えない。ただの軍事オタクの男の身体検査をせずに8億円もの復興支援予算を丸投げした地区もあったとか。その軍事オタクは今後刑事訴追もあるだろう。そんな男の履歴書も取らずに億単位の資金を任せた当時の町長や議員たちにまったくの責任がないとは思えない。被災地が無駄使いを批判されない権利があると勘違いしているのならば大間違いだ。
何十万人といる今も生活が困窮しているという被災者たち、震災だけのせいにしていやしないだろうか?こんなことを言うと問題発言と捉える向きもあるのだろうが誰かが言うべきことだと考える。被災地扱いされていない都道府県に住む、いわゆる被災地を支える側の人々だって決してラクをして生きているわけではない。被災者の方々には真剣に考えていただきたい「助けてもらって当然」はまだ震災から2年の時点では通じるかもしれないが、10年20年とはとても続けられないことだ。昨日、散々、震災特番で被災者の声を聞き、そのすべてとは言わないが多くからまるで「助けてもらっていないんだから立ち上がらない」と言わんがごとくの不満を見聞きし、こういう記事をUPすることにした次第。ヨイショっと自分でも気持ちだけでも立ち上がる方に向けないと起こす人が腰を痛めてしまう。
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