1作品ごとには書くほどの作品でもないと思えるが「皆さんが映画をお金出してまで見る価値がない」と思ってしまいそうな危険な作品の数々をご紹介したい。全て邦画であることは残念至極ではあるが恣意的にそうなったわけでもなくて本当に「これは酷い!」と思えた作品が全て邦画だったのだ。これは偶然というだけではないと考える。実際、邦画をそれなりの料金を支払って観るのには自称・映画通がよく小馬鹿にしているハリウッド大作よりも相当にリスクが高いように思う。確かにハリウッド作品だって誉められたもんじゃない作品は数多く存在するが「お金返せ!」ってほどのものは少なく、そこそこちゃんとは作られているものだ。対して邦画となると本当に驚くほど陳腐な作品に遭遇するときがある。そういった邦画を観た人々はもう映画のために2時間を使う気力を削がれるのではないかと危惧している。
― 藁の盾 ―
よくぞここまでつっこみどころ満載の作品をあれだけ宣伝したものだと呆れる。カンヌに出品した時にはまだ観ていなかったのが悔やまれる。もし先にこの作品を観ていたらカンヌ出品を10億円の懸賞金をかけて阻止したかった。
ストーリーは児童を暴行殺害した悪魔が出所後にまた児童を暴行殺害。第2の犠牲者は日本のフィクサーの愛する孫娘だった。そのフィクサーが10億円の懸賞金をその悪魔にかけて全国に呼びかけたから日本中から狙われることとなる。その悪魔をなんとか守るSPや刑事たちという構図なのだが、日本の警察を馬鹿にしているのか?と思えるほど警察側が隙だらけ。もうビックリするほど警察がミスをしまくるので事態が悪化していく。特にSP役の家政婦のミタさんの扱いが酷い。どう考えてもSPでそれはないだろうというミスを何度も繰り返す。
まだ脚本の不備だけならば良かったのだが、基本的に撮影がテキトーなのだ。三池監督の通常運行とでもいうべき杜撰な撮影。台湾の新幹線を使ったロケなどお疲れ様ではあるのだが出演者たちも過酷な環境だったようで、新幹線社内のシーンでは出演者たち全員の眼球が充血している。その前のシーンでは充血しておらず、そのあとのシーンでも目は治っていた。要はその社内のシーンでは出演者たちは寝ておらず暑さと闘っていたのだろう。休みが無かったであろう出演者たちには気の毒なことではあるが映画作品としてはそこは撮り直すべきだ。
まぁ、そんな全員の目が充血くらいは些細なことに思えるくらい総じてグダグダな展開。よくこんな作品をカンヌに出品したものだ。日本映画の評価を下げるためにやっているとしか思えない。
― サイボーグ009 RE:CYBORG ―
昨年秋に公開されたときに余りに評判が悪かったのでブルーレイ発売まで待った作品。正直、今はこのブルーレイをどう処分したものか困っている。そのくらい酷い。
熱烈な原作ファンを裏切っているであろうことは先ず間違いない。ミジンコとしては原作ありきでも新たなストーリー展開などはアリだと思ってはいるのだがこの作品に関しては原作への愛は微塵も感じられないし、そもそも原作の根底に流れる「(サイボーグ戦士たちは)誰がために戦う」を監督がまったく理解していない。石ノ森章太郎がアニメの主題歌の歌詞に使用したこのフレーズ「誰がために戦う」は人間には戻れない孤独なサイボーグ戦士たちが決して人間社会には受け入れられないものの、人類のために命を賭けて戦う悲哀を歌っている。この「誰がために戦う」は「人類のためなのか?」「いや共に戦う他の8人のサイボーグ戦士たちのためにも!」といったサイボーグ戦士たち常に付き纏う葛藤を表現している。
ところがこの新しい009ではそもそもサイボーグ戦士たちの葛藤どころか影すらも薄い。ほとんど登場しないサーボーグ戦士たちもおり、なんのために「009」を再映像化したのか理解に苦しむ。ここまで原作と関係のない作りにするのならば完全オリジナル作品で挑むべきだ。「009」のネームバリューは利用したい、だがオリジナルのことなんて知ったこっちゃないという姿勢はクリエイターとしてはどうかと思う。
フランソワーズ(003)が009に下着姿で迫るシーンがある。元々二人は恋人なのでそういうこともあるのかとは思うがわざわざそういうシーンを入れる意味はまったくないと思う。この監督は原作ファンの神経を逆撫でするためにいちいち要らんことをする癖があるかのようだ。説明不足の温床のようなこの作品では「要らないシーン」が数多く存在し、もっと説明すべきことは山ほどある。自分の言いたいことだけ言って相手にはなにも響いていない、そんなプレゼンがド下手くそな人の講釈を2時間弱聞かされた気分となる作品がこれだ。
― 鍵泥棒のメソッド ―
期待値が大き過ぎたのだろうか?余りに絶賛の嵐だったのでものすごーーーーく期待して観てしまった。結果としてそれが良くなかったのだろう。特に大どんでん返しがあるわけでもなく、冴えない男性と一流の殺し屋(?)が短時間入れ替わったらどうなるかという話。こういう二人の人物の立場が入れ替わるといった話はよくあるのだがそんな映画の中でも特にこの作品が抜きん出ている感じはしない。おそらくこの映画を絶賛している人たちはこの映画の監督のファンでもあるのだと見ている。そこを事前に分かった上で観れば「あれ?そんなに絶賛するほどか?」という鑑賞中にずっと付きまとっていた?マークを拭い去ることができたはずだ。
― のぼうの城 ―
原作は本当に読み易い傑作だと思う。戦国モノであそこまで痛快な作品もそうはない。対して映画の方は原作に忠実といえばそうなのだが忠実に映像化して原作の面白さを3割減させた印象。もっと登場人物たちは個性豊かだったはずなのだが映画化されると驚くほど薄っぺらくなる。ひとつ再確認できたことは小説というものは文章のみであるにも関わらず、その文章が巧みであると映像を凌駕することだ。筆者の情熱が読者にも伝わって読者の頭の中で壮大な映像として再現されるからだ。のぼうの城に関してはまさにそれ。映画化も相当頑張ってセットなどを作ったりしていたようだが原作小説で描かれていたような水攻めや攻城戦の再現には遠く及ばなかった。
邦画の全てが酷いとは言わないが大宣伝の割には映画ファンを減らそうと画策したのでは?と疑いたくなるような完成度の作品の割合が非常に大きい。これでは恐ろしくて邦画のチケットを買うのを躊躇してしまう。
[8回]
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