ドラマ「半沢直樹」の初回と最終回を見逃した漢・ミジンコ。それでも途中の回は楽しんだ。ドラマ自体よりもそれに乗った「倍返し」などのブームを楽しんだというところが本当のところかもしれない。
残念なのは「半沢直樹」はまだまだ引っ張るらしいところ。ミジンコはドラマがあんまり好きじゃなくなったのはアメリカのドラマの影響がある。米ドラマは総じてクオリティーが非常に高いのだけれど、長いのだ。もううんざりするほど1シーズンが長い。大体22~24話くらいだろうか?主要キャストの自己紹介みたいなエピソードを取り入れたり、サイドストーリーのオンパレードをやったりと、とにかく22話以上ものエピソードを強引に描いている感がある。しかも大抵のドラマは次のシーズンへの布石のようなことをシーズン最終話で描いて引っ張る。次のシーズンでは予算がつかずそのまま打ち切りになるドラマなんかはそういう引っ張りがあったまま終了という視聴者にとっては有難くない消化不良をもたらす。
正直いって米ドラマはいくつも1シーズンは観たのだがそのまま最終シーズンまで見通した作品はひとつもない。古くは「ER」や「X-ファイル」、最近では「フォーリング・スカイ」や「救命医ハンク」などファースト・シーズンの途中あたりで既に飽きてしまって続けて観ていないもの多数。サザエさんのように1話完結ならばまだ良いのだが、米ドラマは1話1話のエピソードとは別に本流とも言えるなにかしらの問題や謎を延々と引っ張る。それが長い長い。そんな何シーズン、つまり何年にも渡って問題が解決されないどころか更に混沌とし謎はいつまで経っても謎のまま。本当は謎のオチを考えていないんだろう、JJ・エイブラムス!!!と言いたくなるのも仕方ないだろう。
どんなに最初は面白いと思ったドラマも余りに長いので陳腐化して「もう続きはいいや!」となるのが米ドラマだ。だったら最初から観ない方がいいやと思っていたところに「ウォーキング・デッド」の初回シーズンの全6話は新鮮だった。内容が濃くて観る価値を感じた。シーズン2も13話と比較的少ない回数。シーズン3が16話だっけか。段々中だるみ感が出てきてまずい感じがしている。正直いってシーズン4くらいで観るのを断念しそうな気がしなくもない。シーズン4にダラボンがどれだけ関われるのかも不透明で今までクレジットにあったダラボンの名前がシーズン4で消えてしまったとしたら「ウォーキング・デッド」もそろそろ他のドラマと同様にして「長くオチのないシリーズ」と化すのだろう。もうその気配は若干感じている。
今クールの日本のドラマ「クロコーチ」に注目した。原作漫画がコミック化する前にドラマが決まるというなんとも不思議なお膳立てだったがストーリーをリチャード・ウーが担当しているから。別に外国人ではなくてそういうペンネームの元漫画編集者で、同じ名義でストーリーを担当した「ディアスポリス」という漫画が好きだった。正直いって長崎尚志という本名で企画・脚本などに参加している作品は「おい!ふざけんな!」とミジンコは激怒するほどの駄作が数多い作家なのだがリチャード・ウー名義での「ディアス・ポリス」は面白かった。その名義での2作目が「クロコーチ」。ちょっと期待した。で、原作漫画を読んで見て素直に面白いと思った。主人公がまったくもって善人とはかけ離れた刑事なのだがそういう人間ではないと対峙できない悪と戦う話。黒河内(クロコウチ)というおっさん刑事が主人公なので「クロコーチ」、本当に最低最悪な男なのだけれど、その最低な刑事が裁こうとしている悪人たちも輪をかけて悪い。基本、善人が出てこない話なのだけれど、唯一の救いは父も警察官だったキャリアの清家(せいけ)管理官という若者が真っ白ではないものの正義の心を失っていない。
真っ黒な黒河内刑事に振り回されながらも清家管理官が巨悪に立ち向かう・・・のだが清家くんは余りに弱く頼りない。そんな清家くんをなんだかんだと守ってしまうのが黒河内。なんだか黒河内は最後まで生き延びるような気がしないのだが残りの仕事を強くなった清家管理官が全うするような気がする。黒河内が主人公ではあるものの、清家管理官の方が出番が多いくらいなのだ。
さて、ドラマを録画しておいた。原作を知っているもののドラマの黒河内役に長瀬智也だということくらいしか事前情報が無かった。「池袋ウエストゲートパーク(IWGP)」は最高に面白いドラマだった。マコト役の長瀬智也の功績は大きくて原作も面白かったがドラマの躍動感は凄かった。もうだいぶ前のドラマだが今でもあのドラマよりも面白いと感じるドラマはそうはない。原作、脚本家、キャストと全てがこれでもかというくらいに最高のドラマを作り上げる方向で一致していた。「クロコーチ」での長瀬智也がなんとなく「IWGP」のマコト役のようなハマリ役を得たのではないかと少しばかり期待している。
録画したドラマを再生。・・・・・清家管理官が女になっていた。
その女は剛力彩芽だった。
学歴は高いが不器用、そしてその実直さ故に苦悩する清家管理官がアタマは切れるが空気をまったく読まない不思議ちゃんになっていた。外見はTHE地味といった感じに演出していた。
ドラマ版で原作の役柄の性別まで変わる理由はひとつだ。細かい理由はあるにしてもこれだという理由はひとつしか思い当たらない。ドラマ製作が決まった時点ですぐにキャストが決まった場合だ。そこにはオーディションだとかそういった発想の余地すらないのだろう。
超不思議ちゃんな女性版・清家管理官は物事に動じないタイプとして演出されているのかと思いきや襲撃犯たちにショットガンを向けられて失禁していた。上司が熱弁を振るっているときに「なんでそんな怖い顔をしているんですか?」と質問し、黒河内の威圧感にも動じなかった不思議ちゃんがそこで失禁?とあまりのキャラ設定のブレブレ感に失笑。そもそも演技しているのか普段どおりに喋っているのか分からない演技力もどうかと思う。役柄の明るさ・暗さの違いはあるものの喋り自体はCMなどで見る棒読みと同じだった。忙しすぎて演技力とか考えている暇が無さそうな点は彼女に同情している。これだけ数々のドラマに出演しメディアに露出し続けていては役作り以前に台本をどこで覚えているのかと気の毒になるほどだ。寝る間もないを実体験中だろう。
たまげた。今年初めて自分から観ようと思ったドラマの実質的な主演役の性別が変わって
剛力彩芽が参上なのだ。彼女が悪いのではない。そういう無理矢理過ぎるキャストを推し進めている奴等が悪いのだ。折角、名ドラマになるやもしれない作品にこれはないだろうに。[16回]
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