書についてミジンコの考え方を述べたい。実のところ、書道では字が上手くないことはそれほど恥ではない。字が汚いことを開き直ること、すなわち読み難い文字を誰かに読ませようとする姿勢が恥なのだ。書といってもそのスタイルは千差万別で書家によって大きく異なる。ただし、例えば草書体で手紙を書いたとしてそれが書を嗜んでいる人が読めないほど崩すということはない。流れるような文字ながらもとても美しい連綿体(文字と文字が連なっている書体)はむしろとても読み易い。ミジンコは体格とは真逆のようだが小筆で書く草書体が一番好きで展覧会に出品する作品は特に草書体を選ぶことが多かった。相手にいかに流れるようにスムーズに文字を読ませること、これが書の原点だと考えている。
いわゆるキラキラネームと称される珍現象と同じく、その問題を起こしている当事者ではなくて他者が迷惑なことというものが確実にあるのだ。読めるわけないキラキラネーム然り、本人しかスラスラ読めないほどの汚い文字も然りだ。この山本太郎の手紙はまるで手紙による暴力だ。こんな汚い文字列を延々と読まされる身になってみろってことだ。
山本太郎は天皇陛下にこのとんでもなく汚く真っ直ぐにさえ書かれていない文章を読んで欲しいと要望した。その厚顔無恥さ、社会人の基本すら備えていないことが見て取れる。
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