海外で日本の著名人が発言するとき、それは本人が望む望まざるは関係なく日本人の代表としての発言となる。現地でそれが日本人の総意であるとまでは考えられなくとも「日本人はこう考えているんだなぁ」くらいには捉えられる。日本人だって海外の著名人の発言や日本で活動する外国人タレントなどを通して彼等の国をイメージしている。「全員がそう」ではないことは分かっていてもイメージとはそういうものだ。だからこそ日本人だって海外でなにかを発信するときには不用意な発言は控えるべきだ。不用意な発言をして後から「私は日本人の中では少数派の変わり者なんですけれどね~♪」なんてとぼけたところで後の祭りだ。そんな日本人としての節度ある言動はミス・インターナショナルならばご存知かと思っていたがそうでは無かったらしい。まったくもってこの問題には同じく海外で活動もしている身としては憤っている。
「慰安婦に謝罪する必要ないという考えは恥ずかしい」 ミス世界一・吉松育美さんの発言に批判殺到 (ライブドアニュース J-CASTニュース)
吉松さんについては別件のストーカー被害について同情もしていたし、彼女の側に立ちたいという気持ちもあるだけに今回の件は非常に残念だ。彼女は日本の芸能界での活動が相当に制限されているであろうし、これからも厳しい道のりが待っているであろうことは想像に難くなく、そういう状況でも彼女を仕事で使うことこそが日本の芸能界への自浄作用の推進力になるのではないかとさえ思っていた。ところが安倍首相夫人がその騒動での彼女の支援を表明したり(首相夫人がなぜ?)、彼女の海外の支援者(海外のエージェント?)がどうにも謎な行動かつ正体不明で、彼女自身がいったいそのストーキングの件でどういう決着を望んでいるのか支離滅裂な印象が否めなかった。芸能事務所による組織的なストーキングについては彼女は被害者だとは思うのだがとにかく被害者としての言動としては疑問なことが嫌でも目についてしまい「どっちもどっち」な感さえしてしまっていて戸惑っていた矢先に海外での彼女の発言を知り本当に残念だ。
多くの日本人のあずかり知らぬところで日本人はこう考えていますよといった発言は厳に慎むべきだ。彼女は英語での発言だったことを言い訳に使っているがミス・インターナショナルでグランプリにまでなった人物の英語力がそこまで低いとは思えない。
多くの批判が寄せられている吉松さんの発言は以下のものだ。
「日本の右翼の中には、「慰安婦は売春婦だったので謝罪する必要はない」という意見も出ているが、生き残った慰安婦の証言を聞くとそうではなかったという意見もある。日本人としてこうした「謝罪の必要はないという」コメントを恥ずかしく、また謝罪することが問題とすら考えられているのに憤りを感じる。」
これを彼女は英語でCBSラジオの「Women's Media Center Live with Robin Morgan」という番組にて、著名なフェミニスト・Robin Morgan氏との対談で話している。
この発言では生き残った慰安婦という人の証言は丸々信じているわけでそこが問題なのだ。本当に強制連行というものがあり韓国側が主張するようなSex Slave(性奴隷)のような状況だったのだとしたら謝罪も賠償も必要だ。ところがその証言の信憑性が非常に疑わしく、また出てくる証拠の数々がむしろ性奴隷というものとはかけ離れた現在の風俗業であることを証明している状況で自称・従軍慰安婦の証言だけを頼りに従軍慰安婦というものを固定化させることがおかしいと言っているのだ。吉松さんがいかに「謝罪の必要はない」という我々の意見を恥ずかしいと感じようとも事実検証を抜きにしての謝罪はおかしいというこちらの意見は曲げられないのだ。なにもレイプ被害者に対して謝る必要がないと言っているわけではないのだが吉松さんはそういう取り方のようなので残念だった。後に彼女はこの発言を謝罪もし訂正もしてはいるのだがその内容が更に事態を悪化させている。
吉松さんは自身のfacebook上にて、「今回の発言には勉強不足、かつ英語でのインタビューで言葉足らずな部分もあり、皆さんに大変な混乱と誤解を招きましたことお詫び申し上げます。私は、女性がいきいきと生きていける社会になってほしいと願っています。ただ慰安婦という女性の生き方、またそのような状況に身を置かなければならなかった女性がいたことに対して、悲しく感じているのです」と発表している。
謝罪はしているのだが勉強不足と言いながらも発言を撤回するどころか既に彼女の中では従軍慰安婦は確実にいたということになってしまっている。ミス・インターナショナル日本代表にしてグランプリ受賞者がこの発言とは本当に残念で仕方がない。
先ずは「疑うこと」は悪くないことだとはっきりを言いたい。疑うことは悪ではないのだ。むしろ事実をないがしろにして検証しないこと、事実を見ようとしないこと、事実を捻じ曲げることこそが悪だ。先日UPした記事で南京事件について触れた。証言者の証言だけを頼りに事実を作り上げてそれを歴史としてしまうことの危うさについて言及したかったからだ。その記事でも述べているが当ブログの管理人であるミジンコは記事で触れているその当時に南京で勤務していた外交官の姿勢を尊敬しており、そういう真実を検証する作業、物事をすぐに鵜呑みにしないで確認する姿勢などを学んだ。長年このブログをご覧の皆さんにはミジンコのその姿勢はきっと伝わっていると自負している。疑うことを止めてなんでも鵜呑みにすることの方が罪だ。最近こそ言わなくなったがブログ開設からしばらくはミジンコが政治や時事を語るときにミジンコのことも疑ってこそ正しいと幾度も述べていた。吉松さんは自称・慰安婦たちの発言は100%信じているのにそれを疑わしいと感じている人々の声は信じないで「謝罪をしない人々」と捉えた。この姿勢がおかしいのだ。そして謝罪後も結局は従軍慰安婦が強制だったとし、それが悲しいと述べている。なんでここまで最初から考えが硬直しているのか不思議ではある。最初に結論ありきで検証なしはおかしいのだ。ましてやストーキング被害を訴えている彼女がこのような姿勢であることは本当に理解に苦しむ。彼女のストーキング被害に関して、その加害者であると彼女が訴えている芸能事務所の言い分だけを信じてしまう人がいたとしてその人を彼女は非難できないではないか!一方の主張だけを鵜呑みにするとはそういうことだ。検証がいかに重要なことか彼女には理解していて欲しかった。
本当に残念だ。吉松さんのストーカー被害に関する活動は本当に支持したい気持ちが今でもあるのだ。あるにはあるのだが彼女のこれまで述べた言動を知るにそのストーカー被害についても疑問が出てきた。彼女は本当に自分の身の周りで起きている事象を冷静に分析して、被害状況を感情的だけではなく客観的になるところはなって報告しているのだろうか?と。しつこいようだが残念だ。
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