週末のスパーリングの為にジムの居間でフジテレビで高倉健さん追悼番組として放送された「南極物語」を鑑賞。30年以上前だったろうか、母親がこの作品の劇場鑑賞券を2枚入手してくれたことを覚えている。結局、劇場は超満員で入ることは叶わなかった。当時、その位に大ヒットした映画だった。犬のブリーダーであることもあってなかなか家族旅行などは難しく、それに加えて複数名の親族が選挙というものに度々出馬している状況もあり時期によっては家よりも選挙事務所にいる時間の方が長いという親だった。おかげで犬の世話ならば任せておけ!いや任せないで!という子供時代を過ごした。そんなほとんどどこにも一緒に出掛けたことがない我が子に初めて親の方から外出しようという提案だった気がする。それが劇場で南極物語を観ること。前述のとおり、結局は劇場に入ることは叶わなかったが母親と一緒に立川に出かけたことを今でも鮮明に覚えている。一緒に出掛けた回数が少ないからこそ1回1回の事が記憶に残っているのだ。
正直いってミジンコとしては映画が観れなかったことはそれほど残念でもなく、劇場の前で自分に謝る母が凄く悲しそうでその事の方がせつなかった。劇場に入れない分、帰りはレストランで食事ができてその方が良かったのだが、そういう気持ちを母に上手く伝える術を小学生の自分は持ち合わせておらず、ただ淡々と母の後をついて行っていたように見えたことだろう。あんまり言うとドン引きされるのだろうがミジンコは親と遊園地だとか観光地に行ったこともなく、かと言ってそれが不満というわけでもない子供だった。政治家の大人たちは周囲を巻き込むほど忙しいんだなと感じる程度で普通の家庭では考えられないくらいの頭数(多いときは十数頭)の犬たちの世話とサッカーで放課後から寝る時刻まで息継ぎもできないくらい忙しかったことは覚えている。だから皆さんは何頭ものトイプードルを散歩している子供を見かけても「あら、(たくさんの)ワンちゃんだ!」という理由でその子供を呼び止めないで欲しい。実はそれは1回目の散歩であと1回か2回、同じコースを別の犬たちで散歩しなければならない子供もいるのだ。思えば自分の脚の筋肉が発達しているのはこの頃がルーツなんではないかと思ったり・・・・。
さて、話はそれたが「南極物語」は母親との数少ない外出経験を思い出させるトリガーとなっているミジンコなのだ。それだけでもこの作品は自分には特別。
ヴァンゲリスが作曲したテーマ曲を聴くだけで涙腺が緩むのはミジンコだけではないことだろう。↓この曲だ。
もう泣いた?(;_;)俺も。
ジムのテレビのチャンネルを変えると「あ、コイツ、泣きそうになったからチャンネル変えやがったな!」と思われるのが口惜しいので動かざることマウンテンのごとしを貫いた。犬たちの首輪をきつく締めるシーンで悶絶。何度も観た作品ではあるが慣れない・・・・。デリーが氷の狭間に落ちるところで息が止まった。地平線の彼方に消えていくジャック、アンコの首輪の鎖を引っ張るという反則行為をしでかしたアザラシに激怒。あのアザラシめ!俺が相手だ、コノヤロウ!(涙)シャチに重傷を負わされるリキ。あのシャチめ!かかってこいや!いや来るな!まじ無理!シャチは無理!
なんだろう、残り2頭、つまり生還したタロ、ジロのみになって「もう誰も死なないんだ」とホッと一息となる映画って・・・・・。後はもうタロとジロの救援だけだと安心したものの、渡瀬恒彦(すげぇ若いな!)隊員が氷詰めになったゴロの亡骸を発見するというシーンがまだあったのだった。油断した。あの「ゴロ」の木の名札が氷の中から見つかるシーンはイカン(涙)
やっとタロ、ジロ発見。迎える渡瀬恒彦隊員と高倉健さん。け、健さん・・・・本当に凄い映画俳優だった。映画のクオリティーを演技で底上げすることができた数少ない俳優だった。タロ、ジロとの再会シーンでの高倉健さんのアップでまた泣けた。
故ポール・ウォーカーはディズニーがこの日本の「南極物語」のリメイク権を取得して映画化した「南極物語」の主演を務めている。ストーリーは日本のオリジナルとは大きく異なるものなのでリメイクという感じの作品ではないのだがポール・ウォーカーがアクション映画ではなかなか表現しにくい人間臭さを醸し出しており好演している。ポール・ウォーカーが旅立ってからまだ1度も観返していない作品だ。もうすぐあの事故から1年になるがまだまだポール・ウォーカーの出演作を観ることは辛い。「南極物語」だと、物語が物語なので尚更辛い。
母との思い出、犬たちの死、高倉健さんの雄姿、ヴァンゲリスの名曲、ポール・ウォーカーまで思い出してしまうこと、泣ける要素が多過ぎて堪らない作品であと少しでスパーリングなのだけれど、もーーーーー大変!
[20回]
PR