結局のところ今クールで今の時点でもまだ見続けているドラマといえば「地獄先生ぬ~べ~」のみ。出張などもあるので全部を観ているわけではないけれど半分以上は観ている。他のドラマは録画した第1回を観て次を観たいとは到底思えずそのまま観ないまま。「MOZU」は1stシーズンの頃から当ブログの映画レビュー用の作品たち的な意味では注視していたのだが演出の問題というよりも元のストーリーがあんまりなので継続して観ることは厳しかった。でもドラマ中に登場する「ダルマ」という謎の人物の似顔絵は好き。あの絵のまんまのキャラクターが劇中に登場したら絶対にコーヒーを吐くと思う。
ともかく「子供か!」と自分にツッコミたくもなるが「地獄先生ぬ~べ~」だけは楽しんで観ている。単純明快、勧善懲悪な話も悪くないと思う上に、原作と同じく妖狐・玉藻(たまも)の葛藤がよく描かれている。冷徹な妖怪だったはずの玉藻がぬ~べ~や生徒たちを守ってしまう自らの行動に動揺しながらも人間たちを受け入れていく姿はカッコイイ。
そのドラマ「地獄先生ぬ~べ~」のキャストで1番叩かれているのは先ず間違いなく元KARAの知英(ジヨン)だろう。なにしろ日本の代表的妖怪である雪女役なのに日本語の発音が完璧とは言い難いのだ。ミジンコもドラマを見始めた当初に感じた違和感は相当なものでそのキャスティングには疑問だった。他にもCGのショボさ、演者たちの演技力が総じて低いこと、いや控え目に言っても棒読み寸前な若手タレントたちが尋常ではない数でドラマが破綻しかかっている・・・・が破綻はしてない。正直、面白い。だから見続けている。
なぜか?
演者たちが総じて一生懸命だからだろう。特に若手たちには土曜21時のキー局制作のドラマ出演なんて千載一遇のチャンスだ。「次」は簡単にまわってくるものではない。厳しいようだが生徒役の若手たちはここで評価を得ないことには次は無いかもしれないのだ。大手事務所に所属しようとも、いわゆる良く耳にする「ゴリ押し」というものがあろうとも、ドラマ、ましてや全国放送枠に出演できるチャンスは余りにも狭き門なのだ。実際、ほんの一握りの役者以外はドラマに出演し続けることも叶わない。「地獄先生ぬ~べ~」に出演している生徒役の若手たちは例外なく演技力はひじょーーーーーーーーーに「今後に期待」という程度だ。下手くそとか言う以前に「頑張りましょう」なレベルなのだからお世辞にも褒められない。それでもディレクターに叱咤されたことをなんとかやろうと苦心していることが演技から窺える。やる気はあるんだろうなと。その「やる気」が下手くそなことの言い訳にはならないことを彼等も分かっているのだろう。だから必死なのだろう。
その「やる気」に関してなのだが前述の雪女役の元KARAの知英(ジヨン)がアタマひとつ飛び抜けている印象だ。他の演者たちの努力も勿論窺えるのだが知英のそれは熱量の桁がひとつふたつ違う気がする。KARAを脱退して日本の事務所に所属。退路を断ったかたちで勿論のこと事務所の力ではあろうが日本語が流暢ではないと通じないはずのキャストに挑戦している。知英の日本語は当然のことながら正確ではないのだ。それでも雪女の雪女(ゆきめ)がこれでも良いのではないかと回を追うごとに思えてくるのだから大したものだ。初回の頃と今とでは雲泥の違い。雪女の定番の台詞「ダーリン」がイヤな感じがしなくなった。つまり演者である知英の成長が速いのだ。初回から第7回の間にも日本語のイントネーションの成長が見受けられるのだ。その成長の速さは彼女の見えない努力の賜物だろう。
明らかに努力家であろう知英のことを少し調べたら下のファンへのメッセージの数々を知るに至った。
↓この直筆の手紙は東日本大震災の後での日本人へのお見舞い文だ。慣れない日本語を一生懸命書いたであろうことは想像に難くなく真心がこもった温かいメッセージだ。
そして3年あまり経った今年の4月のメッセージが↓これだ。KARA脱退後の思いを綴ったもので大人の文章として漢字とするべき箇所が全て漢字になっている。凄い成長っぷりだ。
そしてつい最近の手書きメッセージが↓これだ。
字がどんどんキレイになっている。もう日本生まれの日本人が書いたと言われても疑うことがないほどのレベルだ。
日本語の習得でもここまでの努力をする彼女ならば日本語での演技でも今後飛躍的な伸びを見せることだろう。こういう人は自然と応援したくなる。
[20回]
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