怒ることも呆れることさえもこの党に対しては無駄な時間とエネルギーを使ってしまっている気がする。そう「生活の党と山本太郎となかまたち」という存在自体がふざけた党のことだ。つまり、こうやってブログ記事で取り上げること自体も虚しいことではあるのだが、それでも無視することもブログの趣旨としては違うと思う。この党への問題点を挙げればそれこそ数限りなくあるわけなのだが、そんな批評めいたものさえもこの党には勿体ないと感じる。
先日の総選挙後、生活の党がこのまま年末まで議席を有する議員をあと1名確保しないことには政党要件を満たすことができずに政党助成金の交付を受けられなくなる可能性が出てきたと聞いたときには多少の喜びを感じた。ただ小沢一郎自体は今もって岩手の小選挙区(岩手4区)では議席を獲得していることもあり、また僅か4つの議席とはいえ、生活の党が国政に参加している現状を考えると喜んでばかりもいられなかった。議席1でもこの国にとっては油断ならないことだ。なにしろ弱体化したとはいえ、過去に何度も何度も政党を設立しては政党助成金をせしめ、そして解党、一度も余ったであろう政党助成金を国庫に返納していない男がリーダーの政党なのだ。次はどんな手で国政政党の要件を満たしてくるのかと不安ではあった。
案の定というべきか、山本太郎が釣れたようだ。生活の党は、無所属議員などに散々声をかけたようだが今の生活の党に参加して自滅を選ぶ議員はそうはいなかったようだ。それでも先を考えないどころか日本のことすらも考えているとは到底思えない議員というものは残念ながらいるものだ。山本太郎が(生活の党へ)行きそうだという声は少なくなく、当ブログの管理人ミジンコもそれは有り得ると感じた。政党助成金を蜜の味だと感じる者もいるということだ。残念ながら僅か5名の泡沫政党でもこの国では政党助成金を分け与え、国民には増税を強いているのだ。現状を嘆いているばかりではなく、議員定数削減や政党助成金の要件の厳格化、即ち今回のような助成金目当ての合併・議員勧誘を禁ずるといった節度ある大人ならば言われないでも守るべきことを規則として設定する必要がある。そういう法案を言葉だけではなく実行に移す政治家を探し投票し支持すること、我々有権者にもできることはある。
生活の党と山本太郎となかまたちだと?ふざけるのもいい加減にしてもらいたいものだ。
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