既に散々批判の的となっているTBSドラマ「アルジャーノンに花束を」の予告編のワンシーンについて。画像にあるとおりひらがなカードでボカしが入っていない文字を横書きされた日本語を読むとおり左から右に読んでいくと「はんぐる」となる。この4枚以外のカードへの濃い目のボカし、そしてカードの並び方からしても意図して「はんぐる」としたことは明らかだろう。「ぐ」の濁点が不自然なところについている点などからしても、制作側がどうしても「はんぐる」というメッセージを込めたかったことが透けて見える。
アメリカの偉大な作家の原作をドラマ化したという経緯からしても、そこでなぜにハングル?と思わずにはいられない。せめて「だにえる」だとかにしてくれればまだ原作を読んだ多くの視聴者はクスッとなったかもしれない。ところが「はんぐる」なのだ。この作品に韓国文化はまったく関係ないだろうに。
このドラマ化が決まったときから当ブログ管理人のミジンコは大いに抵抗があった。この話題にかこつけて述べているようで若干恥ずかしい気にもなるが本当のことなので述べたいのだが、実はこの原作本の「アルジャーノンに花束を」は、ミジンコが留学するときの最初の渡米で持参した唯一の日本語書籍だ。留学するというのに日本語の本を持っていくこと自体、当時の留学生の感覚でいうと「甘い」と「覚悟が足りない」のミックスジュースなのだが、一番お気に入りの本を携帯して飛行機に乗りたかったのだ。長時間のフライトで再度読み返せる厚さの本であり、知的障害を持つ主人公チャーリーが突然アタマが良くなったが故の周囲の環境の変化、主人公と白ネズミのアルジャーノンとの友情、そして舞台が50年代とだいぶ前とはいえ留学先のニューヨークであったことなど、なんとなく今の自分には「この本!」ということで持って行った。その本はその後もずっと大切に保管してあり今も手元にある。
原作を読まれた方々ならば「ついしん どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。」で涙腺崩壊したことがあるだろう。半世紀前、まだ知的障害についての社会の理解も浅い中で主人公チャーリーを通して、ダニエス・キイスは社会には様々な弱者がいるがその弱者も社会の一員として欠くことができない存在であり、人は知識や教養だけではなく、高い倫理観や道徳心、社会に貢献しようとする心こそが知能を凌駕する人間の強さなのだと訴えている。天才になった主人公よりも知的障害があった頃の主人公の方に大きな可能性と価値があることを認めている書き方なのだ。ダニエル・キイス自身が大学教授でもあり、いわゆるアタマの良い人なのであるので、そういう筆者がこういう作品を生み出していることが当時学生という右も左も分かっちゃいないミジンコにとっては非常に興味深かった。自分はこういうアタマの良い大人になれるのだろうか?と。
しょーーーーじき言ってドラマ化は勘弁して欲しかった。見なきゃいいで済む話なのだろうが、自身の思い入れが深い小説が映像化されることがいささか受け入れがたいのだ。それはこちらの勝手な都合であり、ドラマ制作者からしてみれば知ったこっちゃない事情であることは承知している。それでもこういう気持ち、皆さんも1度や2度は経験されておられるのではないだろうか?正直言って「ネズミくらいしか及第点にならない」と放送前から思っている。そこにきてこの「はんぐる」だ。嫌な予感しかしない。なんでわざわざ世界的ベストセラーであり不朽の名作と称されるSF小説の傑作をドラマ化せにゃならんのかと・・・・・。
嗚呼、もーーーっ!!!
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