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従軍慰安婦問題を調べると必ず目に入る韓国人女性の名前がある。イ・ヨンスさん(写真左)という従軍慰安婦だったと自称する女性だ。年齢は86歳らしいのだがそれも確かかどうか判断しかねる。なにしろこの老人は従軍慰安婦だったとする時の自身の年齢についての証言が二転三転どころか10転20転はしているのだ。その証言の曖昧さ、矛盾点たるや、それを証言として議論する価値すらも感じさせないものなのだ。
そんなイ・ヨンスさんが毎度のことと言いたくなるほどの定例行事とはいえ、今度は安倍総理の訪米に合わせて米国ワシントンD.C.にて米マスコミ向けの記者会見を行い、安倍総理の従軍慰安婦への謝罪と演説会場の最前列での参加を求めた。リッパート大使の件で特に韓国人活動家たちへの神経を尖らせているアメリカのシークレットサービスが老人とはいえ、日米への敵意むき出しの女性を会場に入れるわけがない。この老人、過去にはアメリカ下院にて5分間と定められた発言時間を大幅にオーバーしてなんと1時間も喋り続けるという異常さを発揮している。 2007年、米下院でのアメリカ合衆国下院121号決議(従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議)に関する審議でのことだ。まさに審議破壊とも言える暴挙で、米下院議員でもなくアメリカの市民でもない人物が審議を中断させる卑劣な行為だった。
その下院の審議では、
ダナ・ローラバッカー議員
「日本は1994年以後、何回も総理発言を通じて慰安婦問題を謝った。一体いつまで謝りなさいというのか」「現在の日本が前の世代の過ちによって処罰されてはいけないだろう」
スティーブ・シャボット議員
「慰安婦の中で、283人がアジア女性基金からお金をもらっている」
と指摘している。つまり、米下院議員からすらも「賠償が行われた後、いつまで謝りなさいというのか?」と疑問視されたのだ。そんな下院議員たちの指摘に対してイ・ヨンスさんが行ったのが5分のはずの発言時間を1時間に勝手に延長しての絶叫。「日本のお金を全部かき集めてくれると言っても、私は受けないだろう」という彼女の発言は日本国内でも有名だ。
さて、過去幾度も行われているイさんのこういった会見を今回取り上げる最大の理由は彼女の証言の矛盾がアップデート(更新)されたからだ。なぜに過去に起きたこと、ましてや自分が被害者とする凄惨な事件の内容がここまで変化するのか?もう聞き飽きた感はあるが余りにも酷い矛盾であるし、こういった「知らない人、興味が無かった人たちは信じてしまうかもしれない」ということが我慢ならずに記事にした次第。以下が今回のイさんの証言だ。
イさんは、16才の時に慰安婦として連れて行かれ、台湾新竹の神風部隊の従軍慰安婦として3年間、その地で悲惨な体験をしたと語っている。「1943年10月、隣人に呼ばれて家の外に出た。汽車やトラック、船に乗せられてどこかに連れて行かれた。ほかの少女たちは、幼かった私に毛布をかけ、じっとしていれば何も起こらないと言って私を慰めた」「性関係を拒否すると、手首に電気ショックの拷問をするなど暴行や虐待を受けた」「米国の爆撃で慰安所が破壊された時、大量に出血して死ぬかと思ったが、それが流産だったことを後で知った」
等、記者会見では時折涙を拭きながら語っている。
1943年10月から3年間か・・・・。皆さんももうお察しかと存ずるが終戦後も延々と従軍慰安婦、ましてや神風特攻隊の慰安婦であったとイさんは明言しているのだ。実はこの時系列の食い違い、イさん証言では珍しくもない。ところがこの毎度変わる証言を韓国のみならず日本のマスコミまで取り上げては今まで散々日本叩きをしていたわけだ。
全て取り上げるには余りにも数が多いので一部だけにするがイさんのwikiの特に「証言」の項目をご覧いただけると その酷さはご理解いただけるはずだ。
イさんの証言(一部を抜粋):
一部抜粋とはいえ、皆さんが全てを読むのも大変だろうと考え、強制連行されたとされる時点の年齢と拉致されたとされる場所などを赤字にした。年齢については高齢者ゆえの記憶違いかと言えなくもないのだろうが、率直な感想で言わせてもらうと14歳の時の経験と16歳の時の経験、ましてやレイプされたとされる時の年齢を間違うだろうか?こう言ってはなんだが皆さん、初体験の年齢を忘れたことがあるだろうか?そして拉致・連行されたとされる場所。韓国であったり台湾であったり無茶苦茶だ。しかも、「寝ているとき」であったり「家の外に出たとき」だったりと証言がコロコロ変わっている。そして今回の記者会見では「流産」という新しいキーワードが出た。当ブログの管理人が把握していないだけ(把握するのが非常に厳しいほどイさんの変化する証言は数多い)かもしれないが、米軍の爆撃によって重傷を負い流産したという証言は初耳だ。なぜ今までそんな悲惨な体験を語らないでいたのだろうか?散々、旧日本兵たちから酷い仕打ちを受けていたというその体験談を語っていた人物がなぜそのことだけは語らないでいたのだろうか?
従軍慰安婦証言にはジープが出てきたりヘリコプターが出てきたり、その時代には存在すらしなかった乗り物の数々が登場する。作り話がどんどんエスカレートしていき、その作り話の発案者の歯止めが利いていないということはよくあることだ。嘘に嘘を重ねると収拾がつかなくなるという典型だ。
先日、村上春樹氏の謝る側は謝り続けなければならないといった趣旨の発言に心底失望したばかりだ。そうだろうか?謝罪もして賠償もしたことに対して謝罪と賠償を際限なく?謝罪を求める側が許す気がまったく無いという時にも永久に謝り続け、賠償をし続けるべきだろうか?村上氏が加害者になった時に被害者に100回でも賠償金を支払えと言われても同じことが言えるだろうか?中国、韓国が求めている戦後補償には終わりがないのだ。それを踏まえての「謝り続けるべき論」を語るべきだ。どんな謝罪についても開き直ることは見苦しいが、何十年もその件を蒸し返させるたびに謝罪しなければならないのだろうか?はっきり言ってそれはおかしな見解だ。謝罪した者がまるで前を向いてはいけないかのような言い分で村上氏の発言は受け入れ難い。いったいいつまで日本はこんなことに付き合わされないといけないのだろうか?ましてや事実無根の嘘についてまで延々と謝罪と賠償?冗談じゃない。被害を受けたと自称する権利が認められて、しかも幾度もその矛盾が露呈しているというのに大声でそれらの矛盾を叫ぶことができる権利があるというのならば、その矛盾だらけの証言についての疑義を指摘し反論する権利だってあるはずだ。日本人にはその権利がある。