山本太郎議員が原発にミサイルが直撃すると核ミサイルと化すという発言をしたことについて記事で触れた。勿論のことそんなことにはならない。・・・・ということはいわば常識の範疇であり、山本議員のようにここ数年間のこととはいえ、反原発運動に躍起になっている活動家たち、しかも山本議員の場合は国会議員という職責にあるのにも関わらず、原発について余りにも不勉強であることを批判した。
そういう趣旨の記事を挙げたわけだが「」というコメントがつく始末。もう地獄じゃ・・・(苦・苦・苦笑)
それでも当ブログの優しい優しい優しい優しい優しい管理人は一応はコメント欄にてレスをしている。本来ならば「ググれ【ピーーーッ】!!!」と言われるような質問にも子供電話相談室の先生たちのように丁寧に嫌味を混ぜながら答えるのが当ブログの管理人なのだ。
上記の画像は数十年前の原爆実験の光景であり、現代の核兵器はこの数百倍規模の破壊力を有する。赤いラインで描かれているのはエベレスト、青は富士山、緑の線はエンパイヤ・ステート・ビルディング。原爆の破壊力が想像しやすいことだろう。これが原爆であり、現代の核兵器はこの破壊力の比ではない。死の灰は上空1万メートルを遥かに超えて舞い、その後は地球規模での環境汚染だ。実際、核保有国が繰り返した核兵器の実験で日本を含めて世界中に自然界では存在しない放射性物質が検出されている。核爆発を引き起こすということはそういうことだ。
核兵器と原発事故を同列に語ることのナンセンスさがこの画像で一目瞭然だろう。これが兵器というものだ。発電所とはその構造も目的も大きく異なる。爆発するように、爆発後には制御が効かないように、最後の最後の瞬間には安全でないように作るのが兵器だからだ。
どういう思考で核兵器と原発が同じもしくはそれ以上に悪い方に作用し、同じもしくはそれ以上に被害をもたらすという発想に至ったのかむしろ興味すらある。言われてもいないこと、存在しない要素など、つまりは妄想で結論まで至ることは科学的ではない上に議論する価値すらないトンデモ理論に陥る。実際、山本議員に何を説明したところで科学的な解説は意味をなさないことだろう。だからこそ再三再四に渡って妄言を吹聴している。個人的には「ベクれる」といった事実無根の放射線被害がさもあるかのように語ることは議員として言語道断であると考える。
一応述べておくが、原発にミサイル攻撃をしたとしてもなかなか炉心までダメージを与えることは難しい。幾重もの分厚いコンクリートの壁を全て直線的に破壊できるミサイルといえばバンカーバスターといったミサイルがあるがそれもいったいどこまで突破できるかというのが現状だ。炉心まで届くようなミサイルの存在自体が怪しいのだ。施設を破壊して電気の供給を断ち、予備電源装置も破壊すれば福島原発のようにメルトダウンを引き起こすことは可能かもしれないが、施設破壊の為のミサイルをいったいどこから撃ち、どれだけ迎撃されずに目標物に着弾するのかそれも怪しいものだ。弾道ミサイルで超長距離攻撃を行える国がないとは言わないが、弾道ミサイルを保有しているのに核弾頭を搭載せずに原発を目標にして核汚染を狙うなんて遠回しな攻撃、まるで冗談だ。
最悪、原子炉にミサイルが直撃しようとも上記画像のような大爆発が起きるわけではない。反原発活動をするにしても適当なことを言って人に耳を傾かせる行為、もっと直接的に言えば人々の恐怖を煽って注目を得るようなやり方はするべきではない。「原発にはリスクがある」、「原発事故が起きれば放射線被害がある」、そういう意見ならば事実なので問題はない。「原発事故が起きれば周囲に甚大な被害を与える」、これも事実なので怖い表現ではあるが問題ないだろう。「原発にミサイルが当たれば核ミサイルになる」、これは駄目だ。事実ではないからだ。福島原発が上記画像のようになっただろうか?放射線被害はあったが核兵器どころか原爆級の損害は与えていない。核兵器は着弾時(正確には上空で起爆する)の熱線で周囲数キロ~数十キロの生命を蒸発させる。その後の濃縮ウランを基にした核爆発の汚染は甚大だ。原発が事故を起こしても周囲に深刻な影響を与えるが福島原発やチェルノブイリのように「安全ではないがすぐに対応に入れる」という状況となる。一方、核兵器が起こす放射線の影響は電子機器さえも無効化しロボットや無人機の侵入も阻む。核兵器使用後の起爆地点とその周辺数キロは生命どころか機械すらも立ち入れない死の領域だ。処理どころではない。軍隊でも退避する。核兵器と原発事故、どこが同じ程度の被害だろうか?
いつからなのだろうか?十数年から原発のリスクを訴えている当ブログの管理人ミジンコにとっても原発が核兵器のように悪用されるといった類の風説は最近のことのように思えるのだ。以前から(福島のようなことが起きるとは思っていなかったが)原発事故が起きた際の放射線被害や事後処理が子や孫の世代への莫大な負担となることは問題視されていた。実際に東海村やもんじゅの件もあり、原発には重大なリスクが伴い「リスクの割に合わない」といった意見ならばよく見聞きしていた。ところが最近はどうだろう?福島原発事故より突如として現れた反原発派と総称される人々はやたらと人々の恐怖心を煽り、まるで原発と核兵器が同じ扱いだ。当ブログでも取り上げたことがあるが
反原発デモ隊が「原発反対!ノーモア広島!ノーモア長崎!なんて支離滅裂なシュプレヒコールを上げているほどだ。核兵器と原発を同じように捉えていては議論が進まない。先ずは正しい情報と科学的な知識、別に専門家並にならなければならないというわけではないが、最低限の知識があってこその反原発活動でなければならない。もっとストレートに言えば、「自分は勉強はしたくない」、「自分では調べたくない」、「自分では努力したくない」、「でも反原発!みんな危機感を持って!」ではまともな社会人には相手にされるわけがないのだ。なにしろ街でいちいち反原発を唱えない人々だって原子炉の仕組みをニュースで散々見たので知っていたり、核爆発の原理くらいは把握していたりするものだ。学歴云々の話になると話が脱線してしまうので避けたいがやんわりと言えば、この日本では物理学を学んだ学生たちがゴマンと社会に出ているのだ。勿論、そのまま物理学の道に進んでいる専門家も多数に及ぶ。そういう専門知識を有する人々も反原発派の放つトンデモ理論が耳に入るということだ。反原発を叫んでいる人々、またネットでそういうことに興味を示したり、安易な基礎的な質問を繰り出す人々よりも、よほど原発に興味が無さそうにしている人々の方が原発に詳しいなんて現実は悪い冗談のようだがこの日本の現実だろう。
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