ドレスデン爆撃についてはもっと悲惨な光景の写真はいくらでもあるがそれは控えたい。この写真でも充分にその悲惨さが伝わることだろう。ひとつの美しい街が壊滅したのだ。
ドレスデン爆撃(wikipediaより)
ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、英: Bombing of Dresden)は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。
4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡した。
「東からドイツに攻め寄せるソ連軍の進撃を空から手助けする」という一応の名目はあったが、実際は戦争の帰趨はほぼ決着しており戦略的に意味のない空襲であり、ドイツ空軍の空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こった。
第2次世界大戦において最も苛烈な爆撃攻撃を受けたとされるのがドレスデンだ。日本人は広島、長崎への原爆投下や東京大空襲の経験や生まれていない我々でも資料写真などを数え切れないほど見ているので空爆後の廃墟と化した都市の光景には若干の慣れがあるかもしれない。欧州戦線ではそもそも原爆投下も東京大空襲のように都市部で爆撃機にやられるがままの空爆ということ自体が珍しいことで、ほとんどの大都市には高射砲や迎撃機などの備えがあった。その為、コンクリートや石造りの建造物が立ち並ぶ都市がドレスデンのように一面瓦礫と化すほど猛烈な空爆は異例だったのだ。爆撃機がやって来ようとも都市に迎撃する手段があれば好きなようには爆撃できないということだ。
ではドレスデンの状況はどうだったのかと言えば、軍事施設も無く、欧州随一とも賞される美しい街の景観が故に攻撃されない都市のように住民たちは考えていたようだ。これはドレスデンのあるドイツ側の勝手は思い込みではあったが、後にドレスデンへの攻撃は連合国側でも非難の声が多数上がっており、戦略上ほぼ無意味な爆撃が行われたいわゆる無差別爆撃という評価で固まっている。
攻撃されないとタカを括っていたドレスデンには高射砲もなく迎撃機の備えもなし。落とされることのない爆撃機のべ1,300機が満載の爆弾を全て落としたからこそ街が消滅した。防空壕に入った住民たちの焼死体やミイラ化したご遺体が多数発見されているが、それは都市全体が火災という状況で防空壕から出ようにも出られない状況が故の悲惨な死だったことだろう。石の建造物の街がそこまで燃え上がったのだ。いかに大量の爆弾投下があったのか想像に難くない。
いわばドレスデンは連合国軍のはけ口にされたのだ。こういうと連合国側は否定し怒るのだろうが、もう連合国側の勝利が見えたところでまだ降伏しないナチスドイツへの怒りのはけ口として無抵抗の都市を焼き払ったのだ。無抵抗だからこそ狙われたということだ。怒りのはけ口なのに撃墜されては堪らない。戦略上は意味がなくとも爆撃機が落とされない都市はどこかと検討したらドレスデンという都市を見つけたといったところだろう。大都市なのに無抵抗とはまさに理想的だったことだろう。そしてドレスデンは壊滅した。
9条がなんだとか、日本の防衛構想を批判し、安保条約すらも否定しつつ、日本で平和な生活を送っている国会前のデモ参加者たちはこのドレスデンの光景を見てなにか言うことはないのだろうか?戦争とは片方だけの思惑では絶対に進まない。9条がどうのとか武器を持たないから攻めないでくれとか、そんなことは攻める側からすれば真っ先に狙うべき急所だ。
当ブログの管理人ミジンコは日本をドレスデンのようにはしたくない。アフリカでは「攻められないだろう」とか「こちらに攻撃の意思がない」だとかが通じて助かった村がひとつもない。むしろ男が出払っているとき、つまり守りが薄くなると武装勢力に襲われる集落ばかりだ。だから常に備えを怠らないようにと現地の人々にしつこいくらいに指導する。つまり暴力の仕方を教えるわけなのだがそれを悪と言われしまっても止めようがない。「あの村は軍事訓練を受けている」という噂が立てばそれだけ女、子供、老人が誘拐もされず殺されない。実のところそんな訓練なんて行っておらずとも噂だけでも強烈な抑止力になるのだ。日本にだって抑止力は必要だ。戦争なんてすることはない。ただ日本は怒らせると恐ろしい国だと世界に知らしめれば良い。9条云々のデモ参加者たちはこれを野蛮だとか暴力的だと言うのであろうが、日本が戦争をしないための日本の恐さ、いわば安保や自衛隊などの防衛力を失うわけにはいかないのだ。文句があるのならば攻めてくる方に言うべきことだ。
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