おそらく当ブログをご覧の皆さんのほとんどがニュースで見聞きしているいじめ事件の↓この件。
今週はなかなか隙間の時間が無くテレビをつけてニュース番組を見る機会がなかった。このいじめの件の報道もネットで触りだけは知っていたが詳しいことは知らずに、打ち合わせの中での雑談の中でわらびに事前にこの画像にあるような教師の信じ難い対応について教わっていた。「信じ難い」と表現したものの別にわらびの言っていることは信じてはいた。だが、この「上から目線ですね(目先と書いているように見えるが誤字だろうか?)」という表現を担任の先生が書いたということがどうにも現実のことのように思えずに実感が湧かなかった。
そして実際のこの画像をネットで見ることとなった。その際に通話中だったが絶句してしまった。例えで言っているわけではなく一瞬ではあるが絶句。
自殺した少年が先生に伝えたメッセージには「先生にいじめの多い人の名前を教えましょう。もう限界です。」とある。自分がいじめに遭っていると大人に伝えるだけでも少年のプライドはズタズタだったことだろう。自分がいじめに遭っていることを伝えるだけでもどれだけ勇気が必要だったことか。「教えましょう」という表現は少年の精一杯の恥ずかしさを隠すための表現であり上からものを言っているわけでは断じてない。照れ隠しというには事態は余りにも深刻だったが、こんな悲惨な状況の少年でもいじめに遭っていることを恥ずかしいという気持ちは理解できる。いじめている側が10000%悪くたっていじめられている側はその境遇を恥じるものだ。そんなことは馬鹿でも分かるはずだが担任の教師は見て見ぬふりをした。
この教師についてもそして元凶のいじめた側についても私刑は許されない。それでもおのずと起きるであろう帳尻合わせが起きることをついつい願ってしまう。こんな教師が教師を続けられることは生徒にとって悲劇であるし、人が死ぬまで追い込むほどのいじめを行った奴等は例え同級生の14歳であろうとも相応の罰が下るべきだ。常習的に人が死ぬまで追い詰める犯罪は「いじめ」ではなく自殺を強要した刑事事件にするべきだ。
いじめ自殺のニュースは何十年経っても改善されていない感がある。そりゃ大人の世界でもいじめは存在し、そもそも動物の世界ですらいじめがあるのだからその根本から正すことは相当に難しいのだろう。それでも義務教育期間の小中学校の生徒がここまで追い詰められて誰も救わないまま最悪の結末を迎えることを阻止できない社会は先進的でも無ければ洗練されたものとも到底言えない。いじめを延々と楽しむクソガキたちや今回のような教師の改心を待つよりも先ずは制度改革だろう。今もいじめを受けている生徒たちはゴマンといるであろうし、それを今回の教師のように見て見ぬふりをしている教師もいることだろう。制度で改善していかなければ手遅れになる命がこの日本には少なくないはずだ。政府は世界遺産登録よりもよほどこちらに力を入れるべきだ。自殺したり、学校に行けなくなり(それが必ずしもいけないことではないが)何年もひきこもったり、10代の人生をかなり遠回りしてしまいその後の人生も苦労する人々が現にいる。いじめが理由で命を落としたり、高校や大学に行けなくなったり行くのが何年も遅れた人々は100%とは言わないまでも人生において相当に重いハンデを背負うことになる。それの最初の原因が十代前半で受けたいじめなんてことはまさに悲劇だ。
クソッタレないじめっ子たちや何もしなかった教師たちはのうのうと生きていき、いじめに遭った少年少女が死んでしまったり外に出ることも恐ろしくなり人との関わりも拒絶するなんて異常な不公平を延々と続けているようではいけない。最近、失態続きの安倍政権は大きな仕事を得て喜ぶべきだ。安倍政権が存続している間にいじめ対策の抜本的な改善政策を推進するべきだ。当ブログでは日本の文句ばかり言って代替案を出さない野党とは異なり案も出す。教員資格とその更新制度を設け、性格判断テストなどの人物評価も実施するなどの当たり前の措置は当然取るにして、批判も出るではあろうが「命優先」、よく鬼だ悪魔だの、なぜか戦闘地域でさえ死神扱いされるが本当は温和なマナティこと当ブログの管理人ミジンコが法律(制度)としてすぐに設置するべきと考えるルールを以下に箇条書きで記す。甘い措置ではクソいじめっ子もクソ教師もビクともしないことを承知の上での考えだ。
1.政府が設置する機関に申告した生徒は即座に転校できる制度:
公立校ならば全国各地どこでも可能とする。生徒の申告後にその機関から保護者や学校に連絡が入る。つまり生徒が転校可能となるまでの過程で一切の邪魔が許されない制度。勿論、通学距離などの問題が生じ、場合によっては生徒の引っ越し、それに伴う親の引っ越しなどという大きな問題が発生するが・・・・では、保護者の皆様に問いたい。いじめに遭っている子供が自殺することを防ぐことよりも優先するべきことがあるだろうか?と。
いじめ申告をした生徒は何度でも転校して良いものとする。転校先でもいじめられたらまた転校すれば良い。これが大事だと考えることもおかしい。いちいちいじめっ子に付き合う必要はない。いじめっ子に向き合う必要もない。何度転校したって死ぬよりもずっと良い。そもそも転校100回したってそれが社会に出てからは糧になるかもしれない。人生すべてのことが死ぬよりもマシ。転校申告者が続出した学校はメスを入れる必要がある学校として分かり易くなる。1校から何名もの転校申告者がいた場合はそこには重大な問題がある可能性が高い。相当凶悪ないじめ集団がいるかもしれないし、教員たちの怠慢というべきか今回の事件のような教師がいるのかもしれない。そういう学校に自浄努力を求めるよりも政府の直轄機関が教員更迭などの人事権を行使し、いじめ加害者については傷害事件などでの立件を含め「いじめ=犯罪」として処理する。
2.嘘発見器(ポリグラフ)をいじめられた生徒と申告した生徒といじめた容疑の生徒の両方に後にハンムラビ法典を採用:
いわゆる「目には目を」を適用。これも学校側には任せられないので上記「1」と同じ政府が設立させる機関が行う。全てのいじめられた生徒の申告は現状まったく信用のおけない教育委員会や学校を通さずに生徒が行えるように徹底して教育委員会ならびに学校による隠蔽を防ぐ。この政府機関設立には勿論のこと我々の血税が使われるわけであるがそれも議論の余地があることは認めたい・・・・が!それを言い始めたら現時点で存在する数々の政府機関の仕事しなさっぷりや国益を損なうことしかやっていない機関などの廃止を含めた議論も同時並行で進めないとフェアではない。ともかく新設機関の設立コストが問題視されることは納税者の当然の感情だとは思うが現在の教育委員会などがここで挙げている対策を行えるとは到底考えられない。
いじめられた側が「虫を食べさせられた」と申告する。酷い話ではあるがいじめ事件のときに幾度も聞いたいじめ側の悪魔的な強要だ。いじめられた生徒、いじめたとの疑いがある生徒の両方をポリグラフにかける。ポリグラフの信頼性を疑う余地はあるにしてもこの案で扱われる質問は非常に単純明快、いじめた内容なのだ。2名ないしは複数名が同じ結果だった場合、即ちいじめられた生徒には今回の例の場合「あなたは虫を食べさせられましたか?」に「(答えは全ていいえと答えるように決められているので)いいえ」と答えるとそれは嘘にあたるので反応アリとなる。いじめたとされる生徒には「あなたは〇〇くん(さん)に虫を食べさせましたか?」と質問し、その反応を見る。両者の反応が虫を食べさせられ・食べさせたという状況と一致すればハンムラビ法典の適用だ。いじめた生徒にはやったことと同じ罰を下せばいい。いじめた生徒が泣き喚こうとも親が出て来ようとも許さない。そのいじめを受けた生徒はそこまでやられても生きているのだからいじめた生徒も虫を食べようとも屋上からカバンの中身をばら撒かれようとも裸にされようとも全て「目には目を」ということだ。それがイヤならばいじめなければ良い。やった内容がそのまま自分に返って来るという恐怖はいじめの抑止力にもなる。それでもいじめる馬鹿はいるとは思うがせめてハンムラビ法典くらいの罰が無ければ公平性に欠ける。
3.警察が介入する:
そもそも「いじめ」という表現が適切ではない。今回の事件を見ても明らかに暴行傷害などいくつもの罪状が挙げられるほど悪質な犯罪だ。いつまで経っても学校内で収めようとするが何もしないという状況では一向に事態は改善しない。「1」で挙げた政府新設機関との連携も考えられるが、先ず第一に傷害事件が既に発生している時に教師や校長などが事件を取り扱っていることが間違っている。いじめとは、場合によっては教師も共犯者の場合もあり、捜査機関が介入するべき刑事事件が発生しているのだ。なんで同じような凄惨ないじめ事件が何十年も繰り返されているというのにいつまで経っても学校内で隠蔽できるような状況が続いているのか?いじめられっ子はいきなり警察署に駆け込んでも良いとするべきだ。「1」で挙げた機関の設立が難しかろうとも警察署は今そこにあるのだ。いじめられっ子が先生に相談するなんて甘い、そして隠蔽される恐れのある体制をいつまで堅持するのか?これではもっと子供たちが殺されてしまう。「いきなり警察」のどこが悪いというのか?殴られ荷物を盗まれ死ぬほど追い詰められた生徒たちが警察署に行けば警察が対応してその生徒がその学校に通わないで別の学校に行けるように速やかに対処する権限を警察が持てばいい。何十年間もいじめ対策に無策だった教育委員会や学校側に今も任せていることがそもそもおかしい。これを言ったらキリがないがそもそも教育委員会は何をやっているのか?という存在ではあることは否定できないだろう。いじめの共犯者たちにいじめられた生徒を守れるはずがないことは今回の事件でも明らかだ。
4.学校に行かなくてもいいということは周知させる:
これを言うとPTAはしかめっ面をするだろうが、死ぬほどのことならば学校に行かないという選択はアリだ。そりゃ学校を年齢相応に卒業したり義務教育くらいは受けておいた方が良いということには疑いの余地はないが、だからといっていじめっ子や教師に追い詰められて自殺まで選択するくらいならば学校には行かなくて良いのだ。行った方が良いのだが死ぬほど苦しいときには学校を休学するという選択は十二分に賢明な選択だ。そりゃ学業が遅れたり留年することは非常に重い選択なので本来は「1」で挙げたような転校の方が当ブログでは人生における被害は軽減されると考えるが緊急事態のとき、つまり自殺寸前まで追い詰められたときは全てを放り投げて休んじゃえ!ということ。問題は休んでいる期間も問題が解決されているわけではなく、いじめる生徒も無対応の教師も存在するわけなのではあるが、自殺という手段よりも次の解決につなげられる。学校を休むが必ずしもイコールとして悪いことではないという教育を小学校の道徳の時間などに盛り込むべきだ。休めない子たちが自殺まで追い込まれている。不登校がこれで助長されると怒る人もいるのだろうが、だったらその子と同じいじめを受けてみんかい!と言いたくはなる。大人だって耐えられないような屈辱をいじめられた生徒たちは受けている。そんな思いをする場所に毎日通わないでもいい。要は緊急事態なのだ。その緊急事態は「死」だ。それを回避するためには何でもするべきだ。問題は後で解決すれば良い。大前提として学校を休んじゃいけませんは必ずしもいじめられた生徒には適用されないということを周知するべきだ。
色々と長々と書き連ねた。今回の教師による自殺した少年への余りも酷い対応の数々に驚き、部外者ではある自分でも今も動揺しているが故だ。元々、幾度もいじめについての事件を取り上げているブログではあるが今も学校ではいじめが起きていることに絶望すら感じる。消費者庁といった消費者保護を目的とする政府機関もあるのだ。いじめ対策の政府機関はあって然るべきだと考える。この数十年で何の改善も見られないのならば法制度を整えていくしかないと考える。勿論、多くの教員が生徒との関わりに人生を捧げていることも理解はしているが、それはそれとして現実として今回のような教師もいるのだ。学校側だけでは永久にいじめを無くすことはできないのだと証明したようなものだ。勿論、いじめは動物というべきか群れ、集団の根源にあるものなのかもしれないが、それでも人間として今回のような教師の自殺を考えていることが明らかな少年への対応にはいてもたってもいられなくなる。悲痛な思いで助けを求めている少年が上から目線で何かを求めていたはずがない。
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