なんて恥ずかしい光景なのだろうか。野党といえども国政を担うべき国会議員たちが馬鹿みたいにプラカードを掲げ大騒ぎ。議会制民主主義への冒涜とも言える暴れっぷりだ。採決は声の大きさで競うものではない。民主主義国家の議会では採決によって法案の可否が決まる。これは議会制民主主義での揺るがない絶対ルールだ。少数派でも騒げが否決に持って行けるというものではない。
東京新聞などが盛んに「強行採決」という言葉を使い始め、他のマスコミ各社も追随し「強行採決」と大合唱。野党も盛んに「強行採決」という言葉を使うようになった。この表現は大きな誤りだ。現在の与党である自民党と公明党は、民主的に行われた選挙の結果、両党合わせると衆議院での議席の過半数を獲得に至っている。その投票結果は何も強行的に行われておらず、我々有権者が自民党ならびに公明党が過半数を獲得するほど投票したということだ。「強行採決」という表現が根本から間違いであり、我々有権者に対して言語道断なほど失礼な表現なのだ。自民党や公明党に投票した有権者たちは何も強行的なことはしておらず、一人一人が自分たちの権利を行使したに過ぎない。その結果として過半数を獲得した与党が法案を可決しそうになると「強行採決だ!」と批判するとは有権者たちを馬鹿にしている行為だ。かつては民主党政権が誕生したこともある。そして今は自公両党で法案を可決できるほどの議席を獲得している。全ては有権者たちの決断の結果だ。どういう結果になろうがそれを「強行採決」だと断定し批判するとはマスコミも野党議員たちも民主主義を否定していることを自覚するべきだ。どんなに少数派が求めていない法案であろうとも少数派が大騒ぎすれば否決に持って行けるというのではあれば、それこそ選挙そのものの意味が無くなってしまう。民主主義だ。少数派の言いなりにならないことはむしろ民主主義、いわば多数決の論理としては健全だ。
「議論が充分になされていない」という意見も今回の安保法案反対派の常套句だ。その意見も民主主義においては暴言だ。選挙の前に有権者たちは考えて投票している。自民党が選挙で勝てば安保法案どころか党是である憲法改正すらも視野に入っていた。それが見えていた上で有権者たちは自民党に投票したのだ。マスコミも野党、特に民主党は有権者を馬鹿にし過ぎだ。「議論が充分になされていない」なんて言うことが選挙結果を見ていない現実無視の妄言だ。選挙結果を見れば有権者、即ち民主主義の根幹をなす国民が何を選んだのか分かる。議論がまだ足りないどころかもう充分に何十年も議論を重ねてきたことだ。安倍政権が発足した衆院選では民主党にウンザリしたが故の自民党への投票が多かったことは明白だ。自民党支持票にプラスして民主党を嫌悪する有権者の投票が自民党に多数の議席を与えたのだ。つまり民主党が悪夢の政権運営をしたが故に安保法整備が進んだという皮肉な面がある。現状を見て「強行採決」などと叫ぶことがお門違いなのだ。民主党議員たちが怒るべきは政権担当時の自分たちの愚かさだ。
野党が国会で大騒ぎし、マスコミが安倍政権を親のカタキのように憎み筋違いの批判を繰り返し、日本に仇なす活動家たちは国会前で連日のデモだ。左翼活動家の側面も持つ著名人たちはまるで安倍政権が戦争を起こすかのように騒ぎ立てるがどう見ても過激で暴力的な表現を多用しているのはそんなデモ参加者たちや安倍政権を非難し続ける著名人たちだ。冷静に見れば国会(議会)のルールに則って何も不正が行われた形跡もなく可決された法案を「強行採決」だと野党もマスコミも活動家たちも絶叫しているのだ。議会で決を取り過半数の支持を得た法案が可決されたのだ。その前には民主的な選挙もあった。全てルール通りに執り行われ、これ以上の民主的なプロセスはないといえるほどだ。これのどこが「強行採決」なのか?それでは先の選挙結果は何だったのか?自分たちの思い通りにならないからといって議会制民主主義で可決された法案を強行的に可決されたといった表現を使うことは卑怯な印象操作だ。
ともかく議会でプラカードを持った議員が多数動きまわるといった幼稚な行為はもう金輪際止めてもらいたいものだ。国政を担う場でいい歳した大人たちがやることじゃない。自分たちの意見を通したいのならば大声で騒ぐのではなく、より多くの有権者の支持を獲得し、より多くの議席を獲得することだ。他の方法で国の未来を左右することなど許されないことだ。
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