現在、海外でのんびりと・・・・いうわけにもいかず仕事に奔走し、そして会社からホテルに帰る途中のスーパーで買った白オレンジ寿司(と呼んでいるイカとサーモンのみが入った寿司パック)を肴に一杯・・・・やれるわけもなく次のウェブ会議に備えている。昨日、日本の友人でもあり仕事仲間でもある人物がウェブ会議中にテレビ画面の方にパソコン(カメラ)を向けて録画したという「テレビタックル」のSEALDsの学生たちへの取材VTRの一部を見せてくれた。帰国してからゆっくり見ようとは思うがなにぶん当ブログ管理人のミジンコというおじさんは連日デモに参加できる暇人とは別世界に生きており、60分の番組を見ることも叶わず何年間も録画したテレビ番組が蓄積する一方。世の中に何か影響を与えたいだとか、社会を良き方向にすることに参加したいというのであれば、自己の研鑽は勿論のこと、「偉くなる(出世する)」ことは具体的な近道だ。但し、その為には日々忙殺される。シリコンバレーで天才と称される人々の誰もが余裕で仕事をこなしているわけでもなく、結局のところスケジュールがギッシリだ。あるCEOは結婚する条件として奥さんから週末絶対に2時間は自宅で会うことを提示されている。要は週末は家に居ろということなのだ。なんだ2時間なら簡単じゃないかと思うなかれ、それができないほど世界的に有名な企業のCEOくらいになると自分の時間なんぞ取れないのだ。
そんな忙しいCEOたちが世界を便利にする為に奔走する中、連日連夜、デモといういわば仕事や学業に忙しい人ではなかなか参加が難しい行事に参加しているSEALDsという集団の取材VTRを視聴したわけなのだがほんの数分間でもツッコミどころ満載。今回は若干SEALDsについてその愚かさに辟易としているので1点だけに留めるが、利用される側、いわば愚者の悲哀を見た感がある。学生たちのインタビューを見ると本気で背後の組織が何もないと信じている者や資金源がカンパのみだと妄信している者までいるのだ。遥か昔の安保闘争のときと同じ構図だ。多数の学生が将来の可能性を奪われ、それを利用した一部の最初から「そのつもりだった学生たち」は自分たちの求めるキャリアを築いて政治家になったり、絶妙なタイミングでフェードアウトして何事も無かったかのように社会に溶け込む。大騒ぎに参加した大多数の学生たちはエキストラ程度の役割であったというのに学生時代に安易に流されてしまったせいでその後の人生は苦労の連続で更に社会を逆恨みする。そんな人生を台無しした元学生運動家たちが怒るべきは社会や政府ではなく、本来はエキストラを手配し利用した卑劣な連中であるはずなのにそれを認めると自分たちの学生運動そのものを根底から否定することになるので元学生運動家たちは目をそらす。なんと都合の良い愚か者たちなのだろう。今、自分たちに内定を与えない企業に対して「そんな企業には入らない」と豪語している学生諸君よ、その発言を一番大笑いして聞いているのは我々社会人の先輩たちではなく、君たちが存在しないと信じ込んでいる裏で君たちに気がつかれないように操っている悪い大人たちだ。盲目的な信者ほど利用しやすいものはないし使い捨てやすいものもないのだから。
さて、長くなったが本題。
SEALDsのデモ活動などを仕切るリーダー的な役割の学生たちのことを同組織では「副司令官」と呼ぶのだそうな。副司令官たちは15人ほどおり、デモの参加者のネットを利用した点呼や現場での処理に従事する模様。もうこちらも苦笑いしかでないのではあるが、誰からも強制されているわけでもなく、どこの組織のバックアップ(影響)を受けているわけでもないと自称する学生組織のリーダーたちの肩書きが
副司令官なのだ。えっと・・・・・どこかに司令官(本当のリーダー)がいるんじゃないか?(苦笑)
司令官という肩書きは軍で使用するものだ。階級とは別にその地域(戦域)を統括し全責任を集約して負うべき職にあたるのが司令官だ。その司令官を補佐する役目が副司令官なのは皆さんには釈迦に説法だろう。で、当然のことながら「副」であるので司令官が任務続行不可能となった際には副司令官がその任を引き継ぐ。副司令官が複数いる場合は副司令官の中で予め序列を決定しておき、主席(筆頭)にあたる副司令官が引き継ぐ。
どこからどう見ても副司令官という肩書きは軍隊の中で使うものだ。SEALDsだとか国会前でドンチャン騒ぎをしている集団は戦争反対なんではなかったのか?戦争を嫌悪する言葉を叫びつつも組織内で使う肩書きに副司令官という表現を用いることに違和感を唱える学生はいなかったのだろうか?何度も言うがこのSEALDs、アタマのテッペンからつま先までどこかズレている。ズレているといえばまだ優しい表現で、当ブログからしてみれば「馬鹿しかいない」という印象だ。普通は誰か「副司令官」ではマズいだろうと言う。そもそもデモを仕切る代表なのに15名もいる「船頭多く・・・・」の典型なのも、責任の所在を明確にしていない無責任さの表れであるし、その代表者の肩書きがなぜか「
副司令官」とはまるで悪い冗談だ。どこかにいるであろう司令官が一番笑っているんではないだろうか?
厳しいことではなく現実問題としてデモという社会的に大きな責任が伴う行動において「知らなかった」とか「そんなつもりではなかった」は通じない。子供のおふざけでは許されないのだ。もし今後デモが激化して学生から逮捕者や怪我人が出た場合、この副司令官たちはその責任を取れるはずもなく、またこんなおこちゃまな副司令官たちではどうしようもない渦にデモ参加学生たちは飲み込まれていくのだ。そりゃ赤い色が大好きな組織の数々はただでさえ獲得が難しい人材確保の機会を得て大喜びだろうが、(それも責任があるとは思うが)軽い気持ちでデモに参加していたら人生もう取り返しがつかないほど横道にそれてしまい就職、結婚などなど人生の一大イベントのたびに支障をきたす経歴となった学生たちが同じくおこちゃまな副司令官たちに泣きついても誰も何ともしようがなくなるいわば「詰んだ」ような状態に陥る。公安の要注意人物のリストに載ってから日本の為に頑張ろうとしたってそれはもうテロ警戒のフラグでしかない。一生、危険人物として国から警戒されながら生きる人生はそれが勲章になるような反社会的な勢力でしか通用しない。
副司令官なんて肩書きで呼ばれて気持ち悪くならないのだろうか?SEALDsの副司令官たちに最後に皮肉をひとつ。当ブログの管理人ミジンコは民間軍事会社のオペレーションの統括責任者となる場合がある。要は地域の治安維持や要人の警護などで起きる全責任を負う立場だ。それでも司令官(コマンダー)なんて呼び方は絶対にさせない。民間軍事の世界は軍事とは言いつつも実際は警備だ。司令官なんて肩書きを受け入れる民間軍事会社の職員がいたら「おまえは軍に帰れ!」といった感じになる。あくまでも軍事ではなく、民間の警備でありたいのだ。言葉として民間軍事という表現が広まっている為に今も使われているが民間軍事の世界には司令官はいない。軍事的なオペレーションは行わないからだ。それは政府と軍の仕事だ。「司令官!」なんて呼ばれたらアレルギー反応を起こす。そのくらい司令官という表現は軍独特のものなのだ。その肩書きを平気で使う戦争反対を叫ぶ集団か、悪い冗談としか思えない。
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