白の背景に白い字では折角の告知が見えなくなる。文字の枠に色を付ければまだ少しは見易くなるものを読み手、つまりは他者のことへの配慮が絶望的にないことを自ら告白しているような広告だ。こういう馬鹿な広告を作って言いたいことが総理大臣に向かって「舐めるな」だとさ。しかも総理を呼び捨て。はぁ・・・・馬鹿だねぇ、本当に馬鹿だねぇ(←この呆れはまともな社会人には100%通じているかと。)
別に安倍総理は高校生を舐めているわけでも軽視しているわけでもない。いちいち総理大臣に噛みつくことが賢いことではない。自分がまだ安倍総理の視界に入れるような立場にまで登りつめる前は(もうすぐ18歳からとなるが)20歳になるまで待って投票によって自身の意見を政治に反映させれば良い。それでは物足りない、もしくは自分の声が届いていないと感じたのならば政界に進む道だってある。自分は努力を怠っておいて、そして何から何まで勉強や信頼される人間形成など困難なことはスキップしておいて総理に直接「なめるな」では話にならない。政界だけではなく経済界であろうとも先端技術の研究開発というフィールドにおいても、その分野の権威ともなれば総理に直接声が届くどころか総理の方から頭(こうべ)を垂れて意見を求められることがある。
余談だが以前に拍手メッセージで当ブログの管理人が総理に会えれば良いのにといった声を頂いたことがある。むしろ会えない立場なのだと思われていたことにいささか苦笑いした。この国では、そこまで総理大臣は神だとか天上人といった立場ではなく、民間レベルでもいくらでも声を届ける門戸は開いている。そして安倍総理は良くいえば気さく、悪く言えば鈍感なところがあるので総理を批判している相手の意見も胸襟を開いて話し合うことがある。問題は理解力の方だろう。消費税増税を行ったら大変なことになるとあのクルーグマン教授とイエール大・浜田名誉教授にアドバイスを受けてもそれを聞かずに増税、そして皆さんご存知のようにアベノミクスが停滞した。最近、聞かないなぁ、アベノミクスって言葉・・・・(遠い目)。ともかく民間人であっても声を総理大臣に届かせることはできるのだ。総理に向かって「なめるな」とかまだ半人前が言うことが図々しい話だ。
得てして「舐めるな!」と叫ぶような情けない連中は舐められるような言動をしているものだ。舐められまくっていることを認めたくはないだろうが感じてはいるが故に異常に舐められることを恐れる。だからこそ出てしまう言葉が「舐めるな!」というなんとも情けないこととなる。舐められたくなければ舐められないような人間、つまりは尊敬される人間になれば良い。ひとつの職業を極めている人は絶対に舐められない。学歴を得ることもひとつの手だ。「勉強すれば東大に入れた」と豪語する東大に入ったことがない者よりも本物の東大生は遥かに敬意を持って社会から受け入れられる。SEALDsのデモ活動でもやたらとこの「なめるな」という表現のプラカードなどを見かけるが、問題は「舐める・舐められない」といったくだらないことではない。総理大臣は馬鹿を舐めている暇などなく、日々忙殺されているのだ。総理の視界に入りたいのであれば、総理(or 総理秘書官)から電話がかかってくるような立場になりたいのであれば、総理が絶対に舐めないどころか警戒するほどの人物になりたいのであれば、高校生は先ずは勉強だ。それが舐めらない立場になるための最短距離を選んでいることになる。連日、国会の前、いわば外側で大騒ぎが行われているが、国会の中で分刻みで奔走している議員たちも官僚たちも政治スタッフも民間からの協力者たちも総じて高学歴だ。ハーバードのビジネススクールを出た人が珍しくもない。そもそも今更学歴云々を誇示する必要がないほどの権威たちが佃煮にするほど忙しく走り回っている。高校生ならば、舐める・舐められないといった次元の低いことに注目していないでそういう忙しい大人たちを目指せばおのずと総理には絶対に舐められない存在になる。そこまで行けば、もしかしたら自分が総理大臣になって欲しいと願われるようになるかもしれない。目指すべきはそこではないだろうか?高校時代の貴重な時間を努力は怠りながら主張だけはする、いわば図々しい負け犬が傷を舐めあうような集会で浪費するべきではない。
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