昨日、名古屋市で行われたデモ。先週は日本にとっては大災害の起きた週であり、そういう時の週末にもこういう攻撃的なデモが開催されるのかと若干の憤りは感じる。こういうところで人や組織の本質が出るものだ。
まぁ、それでもデモを行う権利を誰かから奪うわけにもいかない。日本ではデモの自由もあるのだ。ただ気になったのはこのデモの様子なのだが写真を見る限り・・・・
いったいどこに女子がいるのだろうか?デモのタイトルからして若年層の女性が安保法案に反対しているという趣旨のはずだが「女子」と呼んでも差し支えないほどの参加者は数えるほどしかおらず、そのほとんどは中年以上、多くは高齢者だ。
国会前のデモでも年齢構成をざっと見ると高齢者の多さが目立つ。仕事や学業そっちのけでデモに参加できる余裕のある人々は自然と無職の高齢者ということになるのだろうが、この怒れる女子と称するデモ然り、例の学生運動と称するSEALDsのデモ然り、高齢の参加者の割合が多いことは一目瞭然だ。SEALDsのデモ行進を見れば明らかなのだが先頭部分は学生で占めているが後列になるとシルバー世代が多数加わっている。それでも何故か女子が中心であったり学生(社会人未満)が中心であるかのように銘打ってデモを主催するその姿勢がおかしい。単刀直入に言えば堂々としていないということだ。デモ参加者の年齢構成をいちいち偽る必要なんぞどこにもないはずだ。現状をそのまま伝えれば良いはずだ。それでもなぜかこういったデモでは毎度毎度、若々しく見せようとするタイトルが使用される。〇〇老人会ではイメージが悪いということなのだろうか?高齢者主体の組織では新規構成員獲得に苦労するということだろうか?
確かに「女子」という言葉はまるで流行のごとく何にでも付けられた感はある。女子会などはその最たるものだろう。女性が飲み会を開けばなんでも女子会ということになっている。そういうただの交遊の席では名称がどうであれ許されるものだが、一応は政治主張を世の中に届けようとするデモ行進で事実とは異なる「女子」を使うことはふざけ過ぎだ。デモの実態がデモの名称とは異なるいわば虚偽であるというのに政治主張だけは本物だと主張されても信じる気にはなれない。要は嘘で固めないで誠実にちゃんとしろ!ということだ。人に声を届けようとするときの基本中の基本だ。
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