昨日(日曜日)に広島で作られた人文字。安保法案反対を人文字で主張したのだそうな。はぁ、なんとも暇というか必死というか・・・・・。
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「NO WAR」7千人が人文字 安保法案反対で 広島(Yahoo!ニュース 朝日新聞)
これ主催者も人柱もとい人文字になった参加者たちもまったく自覚していなさそうな点がひとつある。実際本当にその数がいたのかどうかはお人よし過ぎるかもしれないが主催者発表を信じるとして7,000人が集まったという。広島で主催してたった7,000人しか集まらなかったということだ。その7,000人という数字では広島の選挙区で何名の議員を国会に送ることができるだろうか?小選挙区でも難しい上にそもそもこの7,000人が全て同じ選挙区に居住しているわけではないだろう。比例代表で考えると尚更のこと絶望的に少ない数、それが7,000人なのだ。主催者側もマスコミもまるで7,000人が多い数字のように伝えるが国政に影響を与えるには余りにも少ない数だ。つまりストレートにいえば少数派なのだ。その少数が多数に負けて意見が通らなかったということは民主主義としては正解ということになる。
まぁ、数のことは置いておくにしてもこの人文字、余りにも幼稚ではないだろうか?そもそも意味不明だ。「NO MUSIC NO LIFE」といったフレーズを模倣したのだろうが、「戦争がないと安倍(総理)もない」とは現実と異なっている。戦争をしていない今の日本に安倍総理は確かに存在する。人文字参加者たちは現実を直視するべきだ。安倍総理は戦争をしていなかった日本の総選挙で大勝して総理大臣に再任された。そして今も日本は戦争中ではない。安倍総理が今の戦争のない日本の総理大臣だ。
集団で集まれば何か達成した気になっているオオバカヤロウたちが目立つ世の中ではあるが、日曜日に家族とゆっくりと過ごす人々、週の疲れを癒し週明けに備える人々、週末に趣味を楽しむ人々など、そういうこうやってニュースに取り上げられない極々平穏な日曜日を過ごしている人々が圧倒的多数派だ。そんな人々は日本で未曾有の大災害が起きた直後の日曜日に人文字で現職総理大臣の足を引っ張ろうなどとは考えない。そういう節度と常識がある人々が多数派だからこそ日本はちゃんとまわっているし大災害があっても何度でも復興している。
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