基本、馬鹿なんだろうなとは思う。このツイートは本人により既に削除済みなのだが誰かに指摘されたり、世間をザワつかせてからやっと自らの問題発言に気がつく輩というのは得てして愚か者ということだ。
このSEALDsの奥田という学生、自分は大学に殺害予告文書を送られて警察に被害届を提出している立場でありながら、この国の総理大臣に対して「しね」と連呼することについて止めもしないどころか同調しているのだ。本当にここまでアタマすっからかんだと怒りよりも、その短絡的思考の行き着く先が怖い。つい先日も自分たちの思想を受け入れない平和な社会に対して仲間同士で殺し合った「総括」という名の過激派たちの集団リンチについて触れたが、基本的にこういう自分たちの主義主張が通らないと社会が悪い、政府が悪いと逆ギレするタイプの駄々っ子たちは自分たちに向かう暴力は悪としながらも自分たちが敵とする対象への暴力は容認する傾向が顕著だ。
活動家や活動家予備軍たちは、いかなる暴力や脅迫を伴った過激な発言は対象を問わずに否定されるべきであるというのに、なぜか自分たちの攻撃対象への暴力も脅迫も是とするのだから矛盾している。仲間が発する脅迫は良し、自分たちへの批判は全て悪とするのだから全くもってご都合主義だ。ここまで思考停止しているとそりゃ悩む前に行動してしまうことだろう。ブレーキが壊れているというよりも元々そんな機能がない暴走車といったところか、本来自分たちの矛盾を一旦停止して考えるべき機会は幾度も訪れているというのにそのチャンスを1度も活かさないまま今に至っている。なにが「当然だと思う」だ。ただの学生運動の仲間内とはいえ、首相を呼び捨てにして「しね、しね、しね」と何度も言う者がいたら、それは「当然」のことでは決してない。
恐ろしい発想だ。首相に対して「しね」と思って当然なのだそうな。戦争反対とし、暴力も否定するべき国会前デモ参加者たちが警察官に暴行を振るい逮捕者続出。そして首相に「しね」と言うことも当然ときたもんだ。そして戦争反対?馬鹿もここまで来ると笑えない。自分たちの暴力は容認するくせに平和を訴えるという笑えないコントはいい加減にするべきだ。
1969年、ワシントンDCにてベトナム戦争に反対するデモ隊が鎮圧部隊(州兵)のライフルの銃口に花を挿した。平和を訴えているからこそデモ隊は花を選んだのだ。花で銃口が発砲不可能なほど塞がるわけではないが鎮圧部隊のMPたちはこれで撃てるわけがなかった。花に対して弾丸という選択肢は有り得なかった。
意見の対立はあるにしろ、相手の死を望んだり、その死を望む声を「当然」として容認するなんてことは余りにも暴力的であり排他的でそこに議論の余地は生まれない。本当に人に耳を貸してもらいたければ先ずは暴力的な言動を徹底して排除することが先だ。暴力は容認する、人(敵)の死も望む、話を聞け!ではまともな社会では通じない。
そもそも話すべき相手である安倍総理が死んでしまっては話し合いすらできなくなるではないか。安倍総理に死ねと叫ぶ安保反対派たちの大きな矛盾だ。国会前で太鼓を連打し拡声器で叫ぶのではなく、もっと平和的に語りかければ今よりずっと支持者も増えたかもしれない。花を配れとは言わないが、「しね」を容認では話にならない。
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