以下のミュージッククリップは、乃木坂46の新曲「ポピパッパパー」Short Ver. (作詞:秋元康 作曲:Akira Sunset・ha-j)
もうこの時点で当ブログが何を指摘したいのか察した方もおられるかと存じるが、一応は以下に故スキャットマン・ジョン氏のパフォーマンスも埋め込んでおく。
スキャットマン・ジョン氏を敬愛する人々は多い。幼少期より吃音症に苦悩し、ドラッグやアルコール中毒など到底褒められたものじゃない状況を克服して52歳で音楽界でメジャーデビュー。苦悩と挫折の連続の後での成功、そして氏が設立したスキャットマン基金は氏の死後も多くの吃音症の人々を支援している。
日本でも熱烈なファンが数多く、今も各所でスキャットマン・ジョン氏のスキャットを聴くことが珍しくもなく、まさに永遠に聴き継がれる名パフォーマンスだ。そのスキャットをまんま持ってきてあろうことか「作詞・作曲」の名義まで付けて新曲とすることは許されることだろうか?不幸中の幸いというべきか、乃木坂46のパフォーマンスが余りにも低過ぎて多少は「似て非なるもの」とはなっているが「元」がスキャットマン・ジョン氏であることは疑いの余地がない。
この問題について言い得て妙と言うべきかパクリ元が分かる割には「似ているといえば似てる」という程度に収まっている「完成品とは全く別物という感じ」という意見に納得した。その意見に対して「
どっかのエンブレムかよw」というツッコミがありこれも同意。言葉としておかしい気もするが「似ているが似ていない」なのだ。そうは言ってもパクリ元とパクッた作品があったとして、パクった作品の品質が低い場合は大目に見ろといった雰囲気が正しいとは到底思えない。そもそもパクリが許されないが、仮にパクリ事件があったとして、パクリ実行犯は最低限の技術すらないのならばパクリ元を侮辱するような低レベルの模倣は尚更のことして欲しくないと過去には死ぬほど技術向上に努めてきた身としては感じるのだ。パクッた上でヘタクソなんて地獄だ。
この「ポピパッパパー」というふざけた曲名の作詞家・秋元康氏は2020年東京オリンピック・パラリンピックにも携わるとか。秋元氏は乃木坂46のプロデュースもしている。そういう人物がこの程度のモラルで良いはずがない。想像するだに恐ろしいのだが、例えばこの乃木坂46がオリンピックの開会式で「ポピパッパパー」を披露なんてことになったら世界が悪い意味で驚愕し、世界のスキャットマン・ジョン氏のファンは卒倒することだろう。
もう曲を作って発表までしてしまっているので既に世界に日本の恥を晒したこととなったが、落としどころという上から目線ではなくて賠償方法としてはこの「ポピパッパパー」という楽曲で得た収益は全てスキャットマン基金に寄付するというのはどうだろうか?それならば握手券を購入、もといCDを購入した消費者たちも納得だろう。
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