アメリカではこんな指摘が話題となっている→「みんな2015年に注目しているけれど、2017年は『バトルランナー』が描かれた未来だということを忘れている。」
た、確かに・・・・。サブゼロ、バズソー、ダイナモ、ファイアーボール、キャプテン・フリーダムとストーカー(処刑人)たちの名前やどうやって倒されたのか(※ キャプテン・フリーダムは実はシュワちゃんと戦っていない)を今でも全員覚えている自分のこのツッコミどころ満載の映画への愛は普段の生活では何の役にも立たないのである!!!元気に言ってもどうなるもんでもないが・・・・。
主人公のシュワちゃんたちを追跡・処刑することを仕事とするストーカーたちの様子がテレビ中継され、視聴者が処刑ショーを熱狂して見ており、これが国民へは理不尽な社会体制のガス抜きとなっている世界が描かれている。それがこの映画では2017年だというのだから現実にもうすぐだ。当時は日本のみならずアメリカでもストーカーという言葉は追跡者という意味合いが強く、まだ今で言うストーカーが起こす事件は存在したもののそれほど表面化していなかった。劇中のストーカーたちは見た目は完全に悪役といったキャラクターでも視聴者に熱烈なファンがいる大スター扱いとなっている。殺し屋がヒーロー扱いで政府に邪魔な人々を殺人ショーで消すという酷い世の中となっているのだが、考えてみれば現代でも独裁国家は似たようなことをやっている。
シュワちゃんが常に抱えている問題と言えることだと思うのだが、シュワちゃんは体格が良過ぎて敵役の方が明らかに弱そうに見えてしまうのだ。出世作の「コマンドー」では中盤でもラストでも1対1の対決があるのだが「俺は元グリーンベレーだ!怖いだろう!」とか言っている黒人俳優の台詞が泣きごとのように聞こえてしまったり、この「バトルランナー」でも何人かのただ太っているだけのストーカーたちよりも筋骨隆々ピチピチユニフォームのシュワちゃんの方が生物として明らかに強い感じで実際に次々とストーカーたちがシュワちゃんに狩られている。いくらストーカーたちは武器を持っていても惨敗なのである。最初に撃破されるサブゼロなんて、おまえ、何の為に出てきたんだっていうくらいのアッタマ悪いやられ方で泣けてくる。でもそこがイイ!のである。
[12回]
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