紀里谷和明監督の「ラストナイツ」を海外にいる時に何度もテレビで観られる機会があったのだけれど毎回途中で寝てしまった。アメリカなどではだいぶ前に公開された作品なのでもうレンタルなどでも旧作扱い。映画専門チャンネルなどで手軽に視聴できるのだ。主演のクライブ・オーウェンは大好きな俳優なのだが、とにかくこの「ラストナイツ」は冒頭から演出がスローで眠気を誘う。正直、クライブ・オーウェン主演作としては最低の評価を下したいが最後まで観ていないのでまだ結論を出すまでに至っていない。モーガン・フリーマンは大スターとしては割合とインディペンデント系の作品などのオファーも断らないようで小作品でもその存在感を発揮している。しかしながら、この「ラストナイツ」では存在感が希薄で役柄以上に暗い表情だ。はっきり言ってアメリカでは酷評されている作品だ。まだ日本で未公開だとは知らなかった。人知れずレンタルに並んでいるものだと思い込んでいた。
紀里谷和明監督については監督作としてあの悪い方で爪痕を残した「キャシャーン」と「GOEMON」がある。どちらの作品も観たことがある。「キャシャーン」は劇場で観た。劇場は混んでいた。エンディング曲を当時の妻であった宇多田ヒカルさんが歌っていたことがあってエンディング・クレジットの最後まで多くの観客は席を立っていなかったことを覚えている。そして場内が明るくなり観客は一斉に席を立った。あんなに一斉にザワザワし出した劇場もそうはない。一緒に来た家族や友人たちに思いのたけを伝えずにはいられないという人々が多かったのだろう。いわゆる「なんじゃこりゃ!?」という感想だ。そりゃあんなストーリーではザワつくのも仕方がない。何から何まで説明不足どころか説明なし。映像は当時としては美しかったが観客置いてけぼりの意味不明な描写が多過ぎてポカーンとしてしまった。今でも分からない。なんでキャシャーンはあの巨大なロボットの時計を12時に合わせると止められると知っていたのだろう・・・・。
「GOEMON」はだいぶ撮り方が上手くなっていたと感じた。酷評するほど酷い作品だとは思っていないが、かといって面白かったか?と問われるとそれは否だ。ゲームのオープニングムービーを長時間観ているようなもので映像はキレイなのだが何度も観たいほどのものではないといえば良いだろうか、これが映画ですと言われても困惑してしまう作品なのだ。
その紀里谷和明監督が映画監督でもある松本人志氏の番組に出演していた。日曜午前にちょうど観る機会があった。その番組の内容が以下のようなニュースになっている。
オマエが言うな!松本人志「ハリウッド映画は苦手」発言に疑問の声あがる (Daily News Online)
このニュースで述べられているほど紀里谷和明監督や松本人志氏が悪意を込めてハリウッド映画を語っているようには当ブログの管理人は感じなかった。雑談の中でそういうことを言ってしまった程度だとは思う。但し、前述のとおり、紀里谷和明監督の今までの3作品ともに疑問な身としては苦笑いではある。日本の体制云々を語る以前の問題をこの監督の作品には感じるからだ。観客からお金をいただくエンタメ作品を世に送り出す時には「なんで分からないの?」ではなく、分かってもらえるように作り上げるべきだと考えるからだ。実際、劇場入場券や有料チャンネルの契約料を支払っている身としては、紀里谷和明監督作品については「観た記憶を消す」という条件で返金が可能ならばそうしたいほどだ。
そして松本人志氏については紀里谷和明監督よりも更にタチが悪いと感じている。もう皆さんに説明する必要もないことだろうが、松本人志監督作品のいずれもが酷評されている。100%とまでは言わないがどの作品も圧倒的多数の批判の声だろう。当ブログの管理人は松本人志監督作品のいずれもが評価できない。「大日本人」の時に劇場を途中で出て、その後の2作品はレンタルはしたのだが冒頭で停止してそのまま返却した。そういうわけで最後まで観ていないのだから評価する権利がない。ただ言えるのは途中で観ることを放棄したくなるくらい不愉快な作品ばかりだったということだ。もう10年ほど前の8,000作品あたりから数えることを止めたが恐らく当ブログの管理人は1万作品を超えた映画鑑賞経験がある。当ブログの常連さんたちには言わずもがなだが、このブログの映画に関してはちょっと狂っている管理人は相当にくだらないB級どころかZ級作品でも楽しんで観るタイプなのだ。この数年ではっきりと観ることを拒絶した作品といえば「ムカデ人間」と松本人志作品くらいなものだ。耐え難い苦痛を感じる下品な作品はさすがに観たくはないということだ。ちなみに世界で一番嫌いな監督がラース・フォン・トーリア監督ではあるが作品には(大嫌いだが)芯があると考え、全作品を押さえている。つまり、作品テーマ自体が理解する気も起きないような作品は拒絶しているということだ。
日本がどうのだとか、ハリウッドがどうだとか、そりゃ言い出したらキリがないことだろう。日米で仕事をしている身としてはそんなことはそれを議論すること自体が不毛だと感じるのだ。一長一短、ケース・バイ・ケースのことに固執して自身の作品作りが明後日の方向にいくなんてことは愚かなことだ。確かに日本の撮影現場にまったく問題がないわけではないだろうし、ハリウッド作品だって大予算の割には随分とお粗末な作品だって次々と放出されている。だが、他の人がおかしい、失敗しているからといって自分まで失敗する必要はないはずだ。この日本の2監督は、ご託を並べる以前に先ずは自分たちの作品を鑑賞中の観客の表情を観察するべきだ。先ずはそこからだろう。
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