https://twitter.com/tako_ashi/status/666966768582307840
https://twitter.com/tako_ashi/status/666983570028822528
自己矛盾についてこれほど酷いツイートもそうはない。
「話し合い」そのものを「お花畑」とは思わないが、「話し合いが全てに通じる」と信じ込んで他の対策を放棄することは「お花畑」だろう。
テロリズムに対してこのくらい適当にモノを言えることがむしろ気楽そうで羨ましくさえ思えてしまう自分は疲れているのだろう。正直言ってパリ同時多発テロより多忙を極めており、既に数ヶ国を移動している身だ。こう言っては何だが平和だ何だとデモなどで叫んでいる暴力的な人々よりも自分の方が行動自体は平和を追求していると思うのだが、いかんせん自分は武器も取るし、面倒なことになると分かった上でも「馬鹿に馬鹿と言う」ことも時折やるので平和的な人物とは見られないかもしれない。それでも当ブログの長年の常連さんたちには伝わっていることもあると信じているので更新をほとんど休んだこともない。
たぶん、この小田嶋氏のような人のほうが自分のような性分の者よりもストレスが少なく長生きするのだとは思う。それがカッコイイかどうかは別だが。
どうもこういう「話し合い議論」について無視されていることがあるように思えることについて。ISILなどのイスラム武装過激派は敵対する人物どころか何の関係もない一般人さえも自分たちが殺すことによって幸せになると信じているのだ。実際にそれをまんま信じ込んでいる若者が多いとは思えないが中には本気の本気でそれを信じているテロ組織のメンバーもいる。それを信じていないとバレると粛清されてしまうので信じているふりをしているメンバーもいることだろう。狂信的なメンバーも半信半疑なメンバーも「殺された相手が幸せになる」というそのテロ組織の教えを逃げ道にしてテロ(殺人)をためらうことなく実行しているのだ。我々でいうと心肺停止状態の人に対してAEDを使うようなものだ。なんとテロ組織のメンバーはテロの犠牲者たちを救ったと信じ込んでいるか、そう信じているふりをして粛清を免れているのだ。で、そういうテロ組織のメンバーたちに「話し合い」が通じるだろうか?彼等は「話し合い」をしようとする人を救済したいと思うことだろう。その救済とは殺害なのだが・・・・・。
そりゃテロ組織にいた元メンバーたちと洗脳が解けた後に会ったこともあるし、そういう洗脳を解く施設を視察したこともある。そんな経験があると尚更のこと「テロリストは殺せ!」とは言い難くなる。「もしかしたら・・・」と思ってしまうからだ。そう、もしかしたら爆弾を身体に巻いたテロリストがまともな環境さえ与えられれば暴力を放棄して贖罪を自発的に行うようになるかもしれないことを知ってしまうとむしろやり難くなる。助命嘆願書のおかげで命拾いした元武装過激派メンバーが妻子を持って働いているなんてことを知らない方が色々と躊躇しないでは済むことだろう。それでもテロを起こそうなんて人間が目の前にいたら「話し合い」なんて選択肢は先にこない。「お花畑」がどうのといった次元では語れない。テロリスト(武装過激派)たちと実際に戦闘をした経験者たちからしたら、この小田嶋氏の弁なんて吹き飛ぶような現実がある。「話し合い」よりもテロリストの周囲にどれだけの平和に暮らしていた人々がいて今まさにそのなんの罪もない人々が爆発や銃撃の犠牲になると想像でき、ましてや過去に爆発や銃撃の犠牲者たちの姿を見たことがあるのならば、テロリストを沈黙させるほうを選ぶに決まっている。
上の写真は、パリ同時多発テロの標的となったバタクラン劇場に突入した警官隊が使用した盾。テロリストがいかに激しくAK-47を撃ってきたのかが分かる。「話し合い」が通じる段階ではないということはある。
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