まったくもってセジョン大学のパク・ユハ教授には同情する。どんなに研究者として客観的な立場で歴史を検証したところで、それが名誉棄損とされ起訴されてしまったのだ。パク・ユハ教授は、昨年には著書での記述について元慰安婦と自称する9名から名誉棄損で訴えられ、そして今度はソウル地検から「秩序の維持などのためには言論の自由や学問の自由は制限される」という信じられないほど酷い理屈を出されて起訴されてしまった。
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韓国 従軍慰安婦の書籍執筆の教授を在宅起訴(NHK)
学者が客観的に研究を重ねてそれを発表したら一般市民のみならず検察まで起訴してきたのだ。もう歴史研究家は韓国に住む場所はないのかもしれない。もしくは歴史を捻じ曲げてでも今の韓国政府や国民に媚びるような嘘を発表しなければならないということになってしまう。それは研究者としての死を意味する。
このパク教授はどうすれば良かったというのか、韓国では答えが出ない。従軍慰安婦について現地(朝鮮)のブローカーたちが手引きしていたことは覆しようもない事実であるし、20万人もの女性が強制連行されたということが事実であればその痕跡がまったく存在しないわけがないのだが、証拠の欠片も出てこないどころか当時のことを知る強制連行があったとされる場所に住む人々はそんなことがあったはずもないと一笑にふしている場合もある。そりゃそうだ。そんな大規模な誘拐事件が目の前で起きていれば現地の人々は何をしていたのか?という疑問が浮上する。まったくの無抵抗で20万人もの女性たち(しかも少女たち)が連れて行かれたとするのならば、戦後直後から大事件として日本は糾弾されていたはずだ。戦後長い間、そういう大事件として従軍慰安婦が取り上げられなかった理由は、戦地では必ずといって良いほど存在する金銭授受のある仕事としての売春として認識されていたからで問題視されていなかったからだ。
このパク教授にしても特に親日的な人物というわけではないように見える。別に日本に肩入れして著書を執筆したわけではなく、単に専門家として譲れないことは譲れないということだったようだ。そりゃ学者としての矜持というべきか、研究結果を捻じ曲げることなど受け入れられなかったのだろう。(真偽の諸説はあるものの)ガリレオ・ガリレイの「それでも地球は回っている」を思い出した。パク教授にしてみれば起訴されたところで「それでも朝鮮人仲介業者はいた」であるし「20万人は事実と異なる」なのだ。
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