オウム真理教元信者であり17年もの逃亡生活を送っていた菊池直子被告への高裁の判決は逆転無罪だった。これにより被告は釈放。
裁判長は同じく元オウムの井上死刑囚の証言について17年前の記憶が鮮明に残っている方がおかしいといった理由で無罪判決としたようだ。井上死刑囚は菊池被告が都庁爆弾テロについて余り動揺する素振りを見せていなかったので、あらかじめ菊池被告が運んだ薬剤などは爆弾製造に使用されるものという認識があったのではないかという印象だったようだ。つまり今回の裁判は、菊池被告が運んだものが爆弾になるということを分かっていたか否かが争点だった。分かっていたのならばテロを幇助したと判断でき有罪なのだが、今回の判決、検察も意外だと驚きを隠せない逆転無罪判決だった。裁判官は井上死刑囚の証言はまったく信用ならないと判断したのだ。
17年も経った後での証言はアテにならないという前例ができてしまうと、逃亡犯はなるべく長く、証言者たちの証言の信憑性が疑わしくなるほどの年月逃げ続けた方が有利ということになってしまう。確かに17年もの前のことを鮮明に覚えていることのほうが稀だろう。ただ記憶というものはどんなに前のことでもその時に受けた衝撃などの度合いにより何十年経っても覚えているエピソードはあるものだ。都庁を爆破した後のテロ組織の仲間内での会話という余りにも異様な状況のことは17年前でも覚えていて何ら不思議ではない。当ブログの管理人ミジンコだって17年前どころかもっと前の記憶、主に人生の節目、節目の経験はその時の会話すら良く覚えている。高裁が17年前の記憶を信用しないと断定する前例は決して作るべきではない。そもそも17年前の記憶が曖昧だと断定することのほうが間違っているのだから。
菊池被告についてはそもそも逮捕された時の罪状の内、地下鉄サリン事件とVXガス事件については証拠不十分で起訴すらされていない。検察が公判を維持できるに足る証拠を揃えられなかったということだ。そして被告は劇物を運んでいるという認識があったと裁判長は認定しているのにテロが起きるとは認識していなかったと判断したのが今回の判決だ。なんだこの裁判長は?爆弾の材料を運んでいる人がいて、その人物がテロの実行犯と同じ組織に所属していて、そして実際に爆弾テロが起きた後に出頭もせずに17年間逃亡していたとしてもテロは知らなかったと本気で信じているのか?井上死刑囚の17年前の記憶は完全に否定しているくせに、ここまでテロについて点が線になっている話について「(テロが起きるとは)知らなかった」を信用してしまうのか?この無罪となった被告は、ではなぜに17年間逃亡し続けて出頭しなかったのだろうか?そりゃ出頭には勇気がいるのだろうが日本中が震撼した連続テロについて知らずに爆弾の材料を運ばされるといういわば「巻き込まれた」と感じている人物が一生逃亡しようと決断するとは動揺していたとしてもおかしな判断だ。17年間もその巻き込まれたことに怒りも弁解しようとする気持ちも起きずに潜伏するほうを選ぶ無実の人って相当に珍しい。
菊池被告が有罪・無罪という結果自体、つまり被告が収監されるのか世に放たれるのかはもはやこの日本にほとんど影響がないとは考える。テロ組織の元メンバーとしての脅威はないと考える。但し、この高裁判決の17年前の記憶、具体的にはちょっとした会話を詳細に覚えているわけがないという判断は前例として残すべきではない。例えば親との些細な会話、初恋のときの記憶(初体験のことなど特に)、社会人1日目、大切な人との最後の会話など、人は短い会話でも忘れていない会話って結構あるはずだ。井上死刑囚はテロ直後の会話を覚えていると述べているのだ。自らもテロに参加して死刑囚となった人物が、自らが所属していたテロ組織が都庁を爆破したという直後にその件について誰かと会話して、そのリアクションが薄かった(驚いていなかった)という記憶が今も鮮明に残っていても何ら不思議ではない。
繰り返すが、地下鉄サリン事件とVXガス事件は不起訴。証拠が揃わなかったからだ。そして公判が維持できると検察が判断した都庁爆破事件については、裁判長が証言者の17年前のことを鮮明に覚えているわけがないと判断して無罪。これでは被告はなるべく長く逃げてから裁判に臨んだほうが有利ということになる。長く逃げていれば証拠は揃わないし、証言者たちの証言の信憑性も薄れると高裁が言っているようなものだ。今回の高裁判決、「逃げ勝ち」という言葉が頭に浮かんだ。テロリストに甘い国に明るい未来なんてないと断じたい。
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