なんらやましいこともないパリ市民からしてみれば、この写真のようにどんな格好でどんな装備でいようが警察官や兵士は市民を守る側なので脅威ではないということ。むしろ重装備の警備担当者が近くにいると頼もしいということだ。日本では自衛隊が迷彩装備で市街を移動するだけで猛抗議するどこの市民だかも分からない市民団体がいる。おそらく自衛隊が同じことをしたら発狂する市民団体がいることだろう。それでもそれなりの装備でないと自動小銃を持ったテロリストには抗せない。一部の市民団体の直情的な感情よりも犠牲が増える前にテロリストを止めることが最優先だと当ブログは考える。
海外観光経験が沢山ある方々にとっては観光地の警備員がライフルを持っている光景は慣れたものかもしれない。日本でまんまこのように今すぐ警官を重装備にしたり自衛官も街の警備に配置しろとまでは言わないが、今の内からの国民としての慣れが必要なのではないかと感じている。例えば総理大臣の警護チームはもう見えるところで自動小銃を携行しても良いのではないだろうか?テロの標的になりそうなイベントを警備する警察官の一部は一般人にも見えるかたちで自動小銃を持っていても良いのではないだろうか?そんな「慣れ」はイヤだという感情も分からなくはないがテロが起きてから対応しますでは余りにもお粗末であるし犠牲が増える。もし日本でパリやマリのように自動小銃で武装した集団によるテロが起きたときに、現状では交番や警ら中の警察官では対応できないことが気がかりだ。例えば警ら中の警察官の数人に1人は自動小銃を携行しているといったことがあれば抑止力としても効果が期待できる。
銃がチラホラ見える社会が健全とは言えないがもう世界はそういう状況よりも10歩ほど悪い方向に進んでしまった。市民が警備する側の重装備(自動小銃携行)に慣れておけば、望まないとはいえ最悪な事態が起きたときに警備する側が動きやすくなるはずだ。本来ならば市民一人一人が警官隊が突入した時の手の上げ方、伏せ方などの共通事項を作っておくことも急ぐべきなのだ。例えば、ドラマや映画のように降参したテロリストや人質が両手を頭の後ろにというやつは自爆スイッチを疑われて紛争地帯では即射殺される。安易に伏せるのも良くない。伏せるのならば両手を見えるところにバッと広げておかなければならない。死んだふりをしたテロリストに起爆装置を押される恐怖を感じている突入部隊は、伏せている人がピクっと動くだけでその人に発砲するかもしれない。ドラマの主人公は誤射はしないが現実では誤射は山ほどあり撃たれた人質は数知れずだ。
そりゃ銃に慣れることなんて日本人からしてみれば抵抗感があるのだろうがテロの標的がソフトターゲット(なんの関係もない一般市民)に移行している今、テロリストたちが持っている武器と同程度の武器を守る側が持っていないと守れるものも守れない。前述のように「今すぐ」というのは難しいのだろうが、テロリストたちに「やりやすい」と思われる前に日本の警備体制をテロリストたちが恐れるくらいの方がマシだ。
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