進歩しないというか、過去から学ばないというか・・・・・
この2015年にも今もって「総括」という言葉で誤魔化した集団リンチが行われているようなのだ。まだ事件当時は生まれていない方々も含めて、この「総括」と過激派が称した集団での暴行や「浅間山荘事件」は聞き及んでいることだろう。
このところの国会前のデモに集まっている集団によってまさに再びあの集団リンチであった「総括」の気配を感じた方々は少なからずおられることだろう。当ブログの管理人ミジンコも同じ思いだ。あのデモで集まった人々の狂気に触れ、再び「山岳ベース事件」のような惨事が起きるのではないかと今も心配している。SEALDsの学生たちのあの浅薄さ、軽さ、そして流されやすさを見て心から次の「山岳ベース事件」の加害者であり被害者たちの予備軍に見えて仕方がないのだ。
下に山岳ベース事件のwikiによる概要を掲載するが、もしこの事件をご存知ない若い世代の方々が興味を持ち「山岳ベース事件」をキーワードにgoogle検索をする場合はご注意願いたい。検索結果の最初のページに画像検索候補も出るわけなのだが、それらには非常にショッキングな画像が多数ある。具体的に言うと連合赤軍メンバーによる集団リンチ(総括)によって亡くなった女性メンバーの遺体の写真などが出てくるのだ。モノクロ写真とはいえ、それはもう凄惨な遺体写真であり、個人や男女の判別などはつかないほど損壊している。SEALDsの学生たちの能天気さを見るに、リーダー格のメンバーはまだしも「なんとなく」で参加している学生たちは今参加しているデモ隊の成れの果ての姿としてこういった「山岳ベース事件」や「浅間山荘事件」、もしかしたらそもそも安保闘争についてさえ検索したことさえないのではないかと疑っている。もし「山岳ベース事件」を1度でも調べたら今自分たちが参加しているSEALDsの運動の危うさを痛感することだろう。最初は誰だって「大丈夫♪ 心配しすぎ♪」と自分たちを肯定する為に自分たちを納得させるものだ。だからこそ危ういのだ。老婆心ながら言うと今のSEALDsの学生たちの浅はかさを見ると山岳ベース事件の再来を感じさせるのだ。SEALDsに安易に参加している学生諸君よ、安保賛成派へのくだらないイヤガラセ投稿や書き込み、そしてツイートでの傷の舐め合いに執着していないで、是非とも下記の内容を読んでいただきたいものだ。自分たちはそんな凶暴な大量殺人犯にはならないとタカを括っているのかもしれないが、社会からそして一般常識から乖離して先鋭化した愚か者集団の末路とはこういうものであり、はっきり言ってSEALDsはこの山岳ベース事件の当事者たちと酷似している。
山岳ベース事件(wikipediaより)
1960年代以前の日本では学生や労働者による政治運動や政治活動が盛んであった。そんな中、学生を中心とした新左翼諸派は、1967年頃より急速にその活動を先鋭化させていった。
新左翼の過激な闘争は当初社会の注目を浴びたが、一般市民は次第に彼らの運動に賛同しなくなっていく一方で、警察は新左翼に対してより強硬な姿勢で臨むようになり、そうした時流や風潮に納得できない一部の若者たちは、より過激な活動を行うようになった。その中でも最過激派の代表格が、1969年9月に公然と登場した共産主義者同盟赤軍派、及びほぼ同時期に過激な闘争を開始した日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)で、同年10月の国際反戦デー闘争や同11月の佐藤首相訪米阻止闘争で新左翼主流武闘派や全共闘が壊滅し政治運動が穏健化する中、彼らはハイジャックやダイナマイト闘争などを行い、その活動をより先鋭化させていった。
1971年に入ると、革命左派は銃砲店を襲撃し銃で武装するようになり、赤軍派は金融機関襲撃による資金獲得を行うようになる。彼らに対する警察の取り締まりは一段と厳しくなり、また革命左派や赤軍派も警察に対して「殲滅戦」(殺害)を企てるようになっていった。一方、この頃から中核派等の新左翼主流派勢力やノンセクト・ラジカルも過激な闘争を復活・先鋭化させるようになり、交番爆破や東峰十字路事件のような機動隊員の殺害事件も起こるようになった。
1971年に入って共闘関係を結ぶようになっていた赤軍派と革命左派は、やがて「連合赤軍」の結成を宣言したが実態は無く、その一方で両派とも警察の厳しい追及によって活動に行き詰まっており、「殲滅戦」においても他党派に遅れをとるようになっていた。両派は事態を打開するため共同の軍事訓練を行い、指導部会議を重ねていたが、その最中、
「総括」と称するリンチで短期間に30名弱のメンバー中12名を殺害し、自ら組織を弱体化させたのが「山岳ベース事件」である。その後、その残党である5名が長野県軽井沢町の別荘「あさま山荘」に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げ、警官2名と民間人1名を射殺する「あさま山荘事件」を起こすことになる。
なお、1971年8月には革命左派において山岳ベースを脱走したメンバー2名を「処刑」する印旛沼事件が起こっており、同志殺害という一線は既に越えられていた。当時、この事件は両派幹部内での秘密であったが、革命左派の被指導部メンバーには「処刑」に感づいていた者がいたとされている。
自分たちの過激な思想を受け入れない社会へのひがみ根性が結局は内側に向き仲間同士でリンチ殺害を繰り返したのだ。自分たちはそうならないとSEALDsの学生たちは言い張ることだろう。そんなことは当たり前だ。連合赤軍のメンバーたちだって当初は僅かしか残らなかったメンバーたちと一人また一人と殺していくなんて考えもしなかったことだろう。でも、そうなった。平和な社会と敵対して暴力で社会構造を自分たち好みに変革しようなんて幼稚なテロ思想の末路とはこんなものだ。
さて、長々と語ったが今回の本題はこの報道について。特に
赤字にした部分に注目していただきたい。
男性監禁、屋上から転落させる…中核派2人逮捕 (YOMIURI ONLINE)
過激派・中核派の拠点「前進社」(東京都江戸川区)で今年5月、活動家の男性が5日間監禁された後、屋上付近から転落し、一時意識不明の重体になる事件があったことがわかった。
警視庁公安部は28日、男性を監禁し、転落させたとして、監禁致傷容疑で同派活動家の男2人を逮捕した。
同派内部で「総括」と称した暴行が依然として続いているとみて、解明を進める。
捜査関係者によると、2人は5月上旬、仲間の活動家の男性を5日間にわたって前進社の建物内に監禁した上で、5階の屋上付近から転落させた疑い。男性は、屋上の雨どいから逃げようとした際に転落して意識不明の重体となったが、その後、回復した。
公安部によると、
中核派は最近、組織性を前面に出さずに市民団体のデモに加わる「ソフト路線」を進めており、逮捕された2人も、安全保障関連法案に反対する国会前のデモに参加していた。
冒頭で述べたとおり、今の時代にもまだこんな「総括」とやらが実行されていることにいささか驚いた。被害者の5階からの転落は逃亡しようと試みてのことなので総括と称した暴行とはまた別ではあるが、そもそも被害者は5日間もの監禁により命を賭して逃亡を図ったのだ。例え5階という高さであっても雨どいをつたって地上に降りようと試みたのだろう。それほどの身の危険を感じたということだ。
人を5日間も監禁した先に行き着くことは何だろうか?5日も拘束したあとで被害者を解放したところで組織の存亡の危機だ。かといって暴行や監禁をした後では被害者の存在自体に組織の命運がかかっているということになる。それが法治国家であり警察機構が機能している国、日本だ。「山岳ベース事件」と丸っきり同じ状況がこの現代でも生まれているじゃないか!しかもその逮捕された被疑者2名は国会前デモに参加しているというじゃないか!SEALDsも参加したあのデモにだ。なんの後ろ盾もない、背後に政党もなく、カンパだけが活動費だと自称するSEALDsも参加しているデモに混ざり合っている中核派組織がこうやって炙り出されている。しかもその中核派組織では今もって「総括」なんて狂気が健在なのだ。ちょっとはSEALDsに「ノリ」で参加している程度のお馬鹿さんたちは目が覚めただろうか?本気でSEALDsがなんの後ろ盾もないと考えているようならばもう救いようがないのだが、それでも当ブログの管理人を含めて周囲の「まともな大人たち」は救いの手は面倒くさがりながらも差し伸べる。まだ学生の内、いわば甘えが許される段階で今更の恥なんていう感情はかなぐり捨てて大人たちに現状を相談し、学生の本分である学業と「まだ選り好みしなければ手遅れではない」と断言できる就職活動を行うべきだ。SEALDsに参加してまだ何者にもなれていないのにクソ生意気なことを叫び、この国の首相を罵倒し、下品なシュプレヒコールで多くの国民に心痛を与えたこともちゃんと社会の一員となることできっと許される。そもそもSEALDsの学生程度だと無力なくせに分不相応な叫びばかりで社会の先輩たちからは怒りの対象にすらなっていない。馬鹿にされ呆れられているだけだ。
今回の国会前デモに参加した中核派による総括ならびに被害者の重体という事実、そして2名の逮捕者。あのハンガーストライキに参加した学生の住むシェアハウスにも公安による家宅捜索が入った。公安警察による家宅捜索が何を意味しているのかさすがに学生にでも分かるだろう。ただの犯罪扱いではなくテロリストやスパイの嫌疑がかかっているからこその公安の出番なのだ。SEALDsも学生運動という隠れ蓑が剥がれてきてきな臭くなってきた。SEALDsの学生たちもそろそろどんな言い訳をしたところで共犯者扱いになるフェーズに移行しつつあるということだ。SEALDsの学生たちよ、後悔しているときにはもはや手遅れなのだ。活動家ではなく学生に戻るならば今をおいて他にない。
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