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Fワードが空を飛ぶ。

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「真の漢は拳を使う」

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シャルリー・エブド誌の最新号にまたイスラム教を侮辱する風刺画が掲載される模様。

つい半日前に「私はシャルリは間違っている」という記事を書いたばかりだ。これがシャルリー・エブド誌のやり方だ。ふざけるのもいい加減にしてもらいたいものだ。

最新号に掲載される風刺画を見た。泣いている預言者ムハンマドが「Je Suis Charlie(私はシャルリ)」と書かれたボードを持っている姿が描かれている。そしてそのイラストのタイトルには「全ては許される」とある。

テロを防ぎたいのであれば「Je Suis Charlie(私はシャルリ)」という運動は絶対に参加するべきではない。イスラム過激派だけではなく、平和的な大多数のイスラム教徒まで貶める行為をシャルリー・エブド誌は今も続けているのだ。こんな挑発的なことをしておいて、そして同誌とはまったく関係のない犠牲者を数多く出しておいて、それでもこの狂った雑誌は今も預言者ムハンマドを茶化したイラストを表紙として使うというのだ。こんなことは許されない!

シャルリー・エブド誌が暴走しなければ警察官たちも殉職することは無かった。スーパーで人質となった4名も命を奪われることは無かった。シャルリー・エブド誌は先ずはその自分勝手な表現の自由とやらの余りにも大きな犠牲を省みるべきだ。シャルリー・エブド誌のやり方は報道の自由とも異なる。言論の自由を守る戦いでもない。ひたすら他者を貶めては部数を稼ごうとする目立ちたがり屋のブレーキが壊れているだけだ。

これでも「私はシャルリ」と言えるだろうか?

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真ん中の人の足が地につかずに浮いていることによって証明。

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おっしゃー!もう一本!

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俳優ジョージ・クルーニー氏が「Je Suis Charlie(私はシャルリ)」と記載されたバッチを付けている姿をニュース映像で見た。驚いた。あれ程までにアフリカで起きている虐殺を食い止める為の活動に尽力している尊敬すべき人物でさえ、今起きているフランスで起きたテロへの抗議活動に(言葉は良くないかもしれないが)流されているということに驚いた。テロへの抗議は理解できる。イスラム過激派への怒りも人として当然だろう。しかしながら、テロを憎む人々が自分たちもシャルリだ、即ちシャルリー・エブド誌だと称する活動の広がりは止めるべきだ。

長年、当ブログをご覧の方々は勿論のこと、先日、当ブログに掲載したシャルリー・エブド誌の風刺画について率直な意見を述べた記事をご覧になった方々ならば、なぜに当ブログの管理人が「私はシャルリ」という言葉に敏感になり、またその表現が適切とは思えないことがご理解いただけることだろう。預言者ムハンマドを誌面で描くだけでも偶像崇拝を禁じているイスラム教への冒涜であるにも関わらず、あろうことかムハンハドを侮辱するイラストを数々掲載してきたのがシャルリー・エブド誌なのだ。先日の記事では風刺画と称すればどんな侮辱行為も許されるとは思えない気持ちを綴った。なにもシャルリー・エブド誌の(当ブログは風刺画とは考えていないが)風刺画に抗議していたのはイスラム過激派だけではなく、各国のイスラム教の指導者たちもムハンマドを侮辱するイラストの掲載を止めるように求めており、同誌がイスラム教徒への誤解を広め、差別が広がることを懸念していた。表現の自由だとか言論の自由だとか、そういった自由の理念を歪曲させて自分勝手な自由を作り出し、またその勝手な自由を振りかざして他者を延々と侮辱する行為をシャルリー・エブド誌はずっと続けて来たのだ。

先日の記事では、2点の風刺画(?)を掲載した。2点ともシャルリー・エブド誌に関連するものだ。シャルリー・エブド誌が再三再四に渡って掲載し続けた預言者ムハンマドを侮辱するイラストは取り上げなかった。理由は二つ。偶像崇拝を禁じているイスラム教への敬意を優先するべきだと考えたことと、シャルリー・エブド誌の一連のイラストが余りにも下品で酷いからだ。福島原発事故についての酷い風刺画(?)を掲載した理由は、当ブログをご覧の大多数である日本人ならばシャルリー・エブド誌でも描いていた風刺画家の他者の心を傷つけるやり方を理解しやすいと考えた。(掲載誌は異なるが同じ風刺画家が描いた)相撲取りが腕や足が3本に描かれている絵をどう捉えるのか、日本人とフランス人編集者たちとでは全く異なるのだ。もっと言えばあの絵でいかに日本人が傷つけられたのかをフランス人編集者たちは理解していない。そして故マイケル・ジャクソンが亡くなった直後の風刺画(?)も紹介した。当時、多くが白人編集者と白人風刺画家で占められるシャルリー・エブド誌編集部から、あんな「やっと白くなれたね」などという皮肉とイラストが生み出されたことに人種差別を感じたものだ。あんな差別的かつ故人を侮辱するイラストが風刺画と認められること、表現の自由というやつに含まれるなんてことはおかしい。表現の自由、言論の自由、報道の自由・・・・自由、自由とナントカの自由を振りかざせば故人を尊厳を傷つけて良いなんて自由は間違っている。

殺害されたシャルリー・エブド誌のステファン・シャルボニエ編集長は「ひざまずくより、立って死ぬ」と公言していた。言っていることは一見カッコイイのだが、事件が起きる前から「散々イスラム教を侮辱し続けておいて何を言っているのだ?」というのが当ブログの率直な感想だった。まるで何か正義の為に戦っているかのように語っていた編集長だったが、やっていたことは預言者ムハンマドを侮辱した下劣なイラストを何年間も再三再四に渡っての猛抗議を無視しての掲載だ。死ぬ時にひざまずくとか立っているとかいう問題ではなくて、イスラム教徒たちはイヤガラセを止めて欲しかったに過ぎない。子供の頃より親よりも大切にしろと教わった預言者ムハンマドが同誌では延々と侮辱されてきたのだ。それを止めるという行為にひざまずくも立っているも無いというものだ。また、この編集長はそういったイラスト掲載を止めない理由として他の宗教からは抗議が来ていないとしていた。これは嘘だ。正確には同誌の他の宗教とイスラム教との扱いは明らかに異なっていたのだから、他の宗教からの抗議の数の差異で語ることはアンフェアだ。同誌はイスラム教を集中攻撃しており、他の宗教はほとんど眼中になかったことは過去数年の誌面を見れば明らかだ。現に福島原発事故に絡めて日本を描いたイラストでは防護服姿のキャラクターたちが描かれており、宗教ではないが日本人には不愉快でしかないものがあった。前述のマイケル・ジャクソンのイラストなんて抗議以前の問題だろう。この編集長は「自分には妻子がいない」と称して恐れるものはないとしていた。そういう問題だっただろうか?言論の自由を阻もうとする敵と闘う編集長というイメージ作りをしていたようだが、いかんせん問題の本質は「侮辱的なイラスト掲載を止めてくれ」と言われ続けていたに過ぎない。妻子がいないから何だというのか?妻子がおらずとも家族がおらずとも多くの犠牲は出たじゃないか!もっとこの編集長に他者の気持ちを酌むことができればという思いがどうしても強い。

「私はシャルリ」でみんな納得なのだろうか?シャルリー・エブド誌のやってきたことが本当に正しいことだっただろうか?むしろ同誌はイスラムへの偏見を助長していた。預言者ムハンマドを事あるごとに侮辱していたことの根底にはイスラムへの差別があるのだと常々感じていた。フランスには各国首脳たちが集い、370万人ものデモがあった。あんな大規模なデモは見たことがない。しかし、あれは平和的なデモだろうか?当ブログの管理人は、あの大規模なデモがイスラム教徒には恐ろしい攻撃の始まりのように映ったのではないかと心配で仕方がない。ましてや「私はシャルリ」では、イスラムとの溝を深め、そして対立を激化させるだけだ。イスラム教を侮辱し続けた週刊誌に皆がなるというのか?そんな馬鹿な選択をするべきじゃない。テロが憎く恐ろしいからといって「私はシャルリ」などという愚かな流れに身を委ねるべきではない。

今10歳の子が20歳になるまでには10年もある。大人たち、すなわち社会がイスラム教徒との対立を煽るのではなく辛抱強くお互いを理解し認め合うことが自然な土壌を作っていくことがテロを防ぐ最善策だ。「表現の自由を守れ!」などと称してシャルリー・エブド誌が今までやってきたことを肯定するような流れを作るべきではない。確かにシャルリー・エブド誌はイスラム教を侮辱してきたのだ。デモ参加者たちも、テロを起こされたからといって開き直るのではなく、事実は事実として認めるべきだ。その上でイスラム教徒を含めた世界全体でテロが起きる状況を根絶する対策を考え取り組むべきだ。本来はその対策はもう分かり切っていることなのだ。テロ対策は教育だ。前述のとおり「(大人になるまで)10年もある」、そんな10歳の子に勉強する機会を与え、将来はその学力や志向性に応じた仕事に就ける社会を用意しておくことだ。勉強していくことでイスラム過激派の主張の矛盾を見抜き、欧米諸国の理不尽な要求が理不尽であるということを理解できるようになる。ズルい大人たちにとってはやり難くなるだろうが、勉強を積み重ねて嘘を見抜けるようになったイスラムの若者たちがテロの無い社会の構築に貢献してくれることだろう。

「私はシャルリ」なんて言っちゃ駄目だ。それはイスラムとの対立しか生み出さない。「シャルリも間違っていたがテロでは何も解決しない」、これがテロを憎む世界の人々が言うべきことだ。

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フェイスタオル5枚とバスタオル1枚。

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韓国の製菓メーカーや清涼飲料水メーカーの倫理観の低さには呆れる。韓国人留学生が日本に来て初めて子供の頃から親しんでいたお菓子の数々が実は日本のメーカーを丸々コピーした上に味も劣るものだと知って愕然とするのだとか。しかもこういう劣化コピー商品、いわば不味い商品、味だけではなく包装の品質まで劣る商品の数々が海外でも売られているのだから日本メーカーの利益と評判を大きく損ねている。

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元朝日新聞記者で従軍慰安婦報道に関わった北星学園大(札幌市)非常勤講師の植村隆氏(56)が9日、週刊文春で「捏造(ねつぞう)記事」などと書かれて名誉を毀損(きそん)されたとして、発行元の文芸春秋と誌上で発言した西岡力・東京基督教大教授に計1650万円の損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。

「編集と経営の分離」徹底=記事の点検継続、訂正方法見直し-慰安婦報道・朝日新聞


 訴状によると、問題となったのは週刊文春の昨年2月6日号の記事など。1991年に植村氏が慰安婦について書いた朝日新聞の記事をめぐり、西岡氏は「捏造記事と言っても過言ではない」などと誌上で批判した。
 提訴後に記者会見した植村氏は「朝日新聞が設置した第三者委員会でも捏造はないと認められた」と強調。家族への誹謗(ひぼう)中傷や大学に対する脅迫があったことについて「記者である以上、批判はしょうがないが、家族が巻き込まれたら言論のレベルではない」と話した。

ソース元: 時事ドットコム



日本人全員から訴えられてもおかしくない人物がこういう手段に出ることに憤りを覚えるが我々が怒ったところでこの男には何も響かないのだろう。そういう他者の気持ちが少しは酌める人物であったのならば長々とありもしない強制連行を創作して日本を貶めない。自分の記事は表現の自由だったり言論の自由だったり報道の自由を持ち出すくせに、自分についての記事は許さないということらしい。「家族が巻き込まれた」と述べているのでそういうことがあったのだと一応は信じることにはするが、この植村氏は自分の立場を理解していないようだ。今、何を言われたところで強制連行記事の嘘が余りにも巨大ですべてが嘘に見えてしまうのだ。人は生きていく上での積み重ね、要は他者にどう捉えられてきたかでその信用度が増すというものだ。今この時点で植村氏の述べることを植村氏だけの証言で信じることは余りにも難しい。それでは朝日新聞の一連の強制連行捏造記事をその内容通りに信じてしまう愚行と同じことだ。

一連の朝日新聞による従軍慰安婦捏造事件についてその捏造の張本人から素直な謝罪が出てくるとは期待してはいなかったが、このような逆ギレ会見、そして損害賠償訴訟が行われるとは予想の更に斜め上を行っている。これには良くも悪くも訴訟を起こされることに慣れている週刊文春も苦笑いだろう。

先ず、文春と同じく訴えられてしまった西岡力教授には心から同情している。勿論、同氏は大学教授を務める立場であり、その発言には確固たる信念が宿っているのだろうから覚悟はあったのだろうが、それにしてもあの朝日新聞の同新聞社すらも捏造だと認めている捏造記事について問題が大きく取り上げられる前に「捏造記事と言っても過言ではない」と発言したら名誉毀損で訴えられるなんてとんでもない話だ。客観的かつ中立性を保って見ても、西岡教授はあくまでも事実を専門家として分析した上でその結果を述べたに過ぎない。朝日新聞の捏造記事の情報源を辿っていけばそれがなんの根拠もないただの創作物であったことは当時から明らかであり、その事実を受けて「捏造記事と言っても過言ではない」はむしろ学者としての断定を避けて控えめな表現に抑えた感がある。

それにこの記者会見では「朝日新聞が設置した第三者委員会でも捏造はないと認められた」とあるのだが、それは第三者委員会が提出したどの文言をもってしてそう解釈したのだろうか?そこも引っかかるが、この名誉毀損と証する告訴については上から下まですべてがツッコミどころといった感もあり関連ニュースを見聞きするだけでも嫌な徒労感が募る。また日本人としては従軍慰安婦強制連行というものが作り出されたことによって日本と日本人の尊厳が随分と傷つけられてきた過去を嫌というほど味わっているので、先ずは告発の全容というよりも・・・・どの面下げて名誉毀損とかぬかしているのか!という気持ちがなにより先に来る。

あくまでも再確認に過ぎないが朝日新聞の一連の従軍慰安婦強制連行などの捏造記事を作り上げた当事者の筆頭ともいうべき人物とはこういう人格なのだということだ。朝日新聞も退職者であるという理由でこういう件についてなんの責任も取らないという姿勢も余りにも無責任だろう。あくまでも朝日新聞があってこそのこういう元記者の誕生とその後の暴れっぷりだ。朝日新聞が文春と西岡教授の訴訟にかかる諸経費をかぶるくらいのことをするべきだ。もしまだ朝日新聞が報道機関だと自称するのであれば、むしろ文春と西岡教授が問題が大きくなる前に苦言を呈してくれた恩人とも言える。そういう捉え方ができないのであれば朝日新聞は報道機関としてもう終わっているということだ。そもそも報道機関としては始まってさえいなかったのかもしれないが。

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特急がスピード違反している!

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1度バラしたものの、正確には戻せなかった模様。

白線が無ければ分からなかったかもしれない。

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皆さん、ご存知のようにフランスの風刺画で有名な政治週刊紙シャルリー・エブドがまたしてもテロの被害に遭った。3年前は火炎瓶で放火され事務所が全焼。今度は12人もの命が暴力で奪われた。どんな理由があろうとも相手を殺害して良いということにはならない。イスラム過激派のやり方には心底憤っている。

そのテロへの怒りとはまるで正反対のことを言うようで皆さんも戸惑うかもしれないが、テロが起きた街とも縁が深く、またテロ対策もしている会社の支部を構えている都合もあり、現地でのテロへの抗議デモや日本国内での報道内容に違和感を覚えるが故の記事を書きたい。

どうにも現地のフランス国民の多くも日本国内の報道でも「言論の自由」がテロによって脅かされているといった捉え方のようなのだがそこにとても違和感を感じる。一連の風刺画、政治週刊紙シャルリー・エブドの運営方針、そして風刺画家たちのやり方は「言論の自由」、即ち「報道の自由」として語るべきことだろうか?死人に鞭打つといったかたちになってしまうようでこの記事を書こうか悩んだのではあるが、真実は真実としてちゃんと語るべきが当ブログの存在意義だと考えるので言うべきことは言いたい。

風刺画についてエスプリが利いているなんて言えば、ちょっとばかしは賢くなったような気がするものだ。当ブログの管理人ミジンコも余り偉そうなことはいえず、そのちょっとばかし賢くなったような気がする一人に過ぎない。もう二十数年購読しているニューズウィーク誌で最初に読むのは風刺画のページだ。そんな風刺画好きな自分でもシャルリー・エブドの風刺画の数々は笑えないどころか不愉快な印象しか持っていない。イスラム過激派を擁護するつもりはさらさらないが風刺というよりも侮辱だと捉えたテロリストたちの心境がまったく理解できないとは正直言えない。

シャルリー・エブド誌ではないがフランスの週刊紙カナール・アンシェネが下に掲載する風刺画(?)を掲載した。福島原発事故に起因する汚染水を摂取した相撲取りたちの腕や足が3本になっているという内容だ。左手前のレポーターは「凄いぞ!福島(原発事故)のおかげで相撲がオリンピック正式種目に選ばれた!」と言っている。当時かなり問題になった件なのでご記憶の方々も多いことだろう。日本人の我々がこれを素直に風刺と捉えられるだろうか?



実はこの風刺画を描いた作家が今回のテロの犠牲者の一人だ。(風刺とは思えないが)福島の風刺画が掲載されたのは前述のとおり今回のテロの被害に遭ったシャルリー・エブド誌では無かったが、風刺画を描いた作家は同じ人物であり今回のテロで命を奪われている。さすがに殺害されてしまったことは気の毒に思うが、どうにもフランスのデモや日本国内の報道を見るに、志の高い作家が信念を曲げずにテロの犠牲となったといった流れを作ろうとしている感があり、その点についてはどうにもすんなり受け入れ難いのだ。テロの犠牲者たちの自業自得とは言わない。テロは許されないことであることに変わりがない。但し、一連の風刺画のモラルというべきか、作風の下劣さは見るに堪えないものが多く、そもそも「風刺」にはなっていないものをシャルリー・エブド誌は毎週のように掲載しているのだ。それでも言論の自由というものはあるのかもしれないが、延々と他者を誹謗中傷していく行為はどうにも言論の自由というものに当てはめることが納得できない。

下の表紙はマイケル・ジャクソンが亡くなったときのシャルリー・エブド誌のものだ。マイケル・ジャクソンをガイコツとして描いて「やっと白くなれた」と書いてあるのだ。


風刺画とすれば故人をここまで貶めても良いものなのだろうか?倫理観というよりももはや人間性の欠如を同誌の風刺画には感じる。

どうも国内の報道では再三再四に渡って脅迫を受けていたシャルリー・エブド誌が屈せずに風刺画を止めなかったらテロの犠牲となったかのような論調であり、フランスで今現在も起きているテロへの抗議デモも「言論の自由」が脅かされているという趣旨のようなのだ。う~ん、この週刊誌に言論の自由を当てはめることが妥当だろうか?言論の自由とは相手を好きなだけ侮辱して良いとする権利ではないと考えるのだが・・・・う~ん、皆さんにこの「テロは許せないが、かといってこの週刊誌や風刺画家たちの今までのやり方を素直には支持できない」という複雑な心境が伝わっただろうか?言葉足らずで申し訳ないが、現地のことに結構詳しい身としては黙っていられなかった次第。

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最近は投稿動画などでも小さな船などでクジラと急接近するものを見かけるが実際それはとても危険なことだ。ミジンコは特殊な訓練として海面にパラシュート降下することを続けているがクジラが狩りをしているところなんて死んでも降下なんてしたくない。・・・というべきか本当にそんな危険なことをしたら死んでしまうかもしれない。そんなことをしたら、この画像の鳥のような目に遭わないとは言い切れないからだ。実際に降下後に近くにクジラの群れがいることが判明して急いで逃げたこともある。その位、クジラは危険なのだ。クジラが敵意剥き出しで襲って来るというわけではなく、クジラの存在そのものがその質量からして海面の人間には脅威になるということだ。

クジラとしてはニシンやイワシのような小魚やオキアミのような微生物しか餌として眼中にないのだろうが、いかんせん狩りの仕方が大きく開けた口に入った生物を一気に飲み込むというやり方なのでその範囲に入った生き物は軒並み食べられてしまう。いちいち鳥であろうが人間であろうが選別はされないのだ。

本来、野生動物とはそういうものだ。人間が勝手につけたイメージとは異なる獰猛さを持ち、時に野生動物の生態は雄大であるが残酷でもある。ホエールウオッチングと人間が勝手に称しているだけで、それはクジラにしてみれば外敵が障害物として狩りの邪魔をしているに過ぎない。そもそも口に入れば人間だって餌だ。世界では悠長にクジラを触ろうというツアーまであるようだがそれもどうかと思う。ほんのちょっとのクジラの気まぐれでこの鳥のような目に小さな船に乗っている人間たちがならないとは言い切れない。人間のイメージ通りにクジラが行動するなんて考えは傲慢さの表れだ。野生動物はそんなことは知ったこっちゃないことだろう。

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半径1メートル以内への接近は不可能。

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こんなことは社会人としての常識の話になるのだがアポなしでいきなり会いたいと望んだところでそれが叶うことはなかなか無い。基本、面談を望むならば事前に先方の予定をお尋ねして先方の都合に合わせることがマナーだ。多忙な者同士、両者の予定のすり合わせがなかなか上手くいかない時はお互いの立場、要は「会っていただきたいと望む者」が工夫して会えるようにするべきだ。

一応は当ブログの管理人もアポ取りが難しいと言われている立場ではある。5分の隙もないというほどの日常ではないが、実際誰かに会ったことによって進み始めてしまう案件をなるべく控えたいというのが本当のところ。先方にとってはいわばチャンスのような案件だとしても、こちらとしては抱えきれないということもしばしばあり、しかも過去の経験から結局の仕事量が段々と話を持ってきた先方よりも結局はこちらの方へウェイトがのしかかるということが数多く、正直いってそんな手間な案件を抱えるよりも自分たちで最初から最後までやり遂げる案件を優先したいのだ。安易にアポイントメントを受けると先方にこちらとしては不本意な期待を抱かせてしまうこともある。それは罪なことだという考えもあり、面談前の段階である程度は当方としてもまだまだ検討したいという気持ちが強いものの、進める可能性がまったくないというわけではない件でしか面談までは進めないというのが先方への礼儀だと考えている。

もうずっと昔の話なのではあるが、シリコンバレーのベンチャー企業のCEOとCTO(最高技術責任者)とそのベンチャーへの投資家である自分とで巨大IT企業との面談に望んだことがある。そのアポを取ったのは自分だった。ミジンコが携わっている他の企業との取引などで親しい間柄の企業ではあったのでミジンコに相当に配慮してくれての面談設定だった。面談してこちらのプレゼンを見てくださったその企業の方々とはミジンコも初顔合わせで、旧知の方々はその件では直接的に関わる部門ではないところ所属であったり、取締役なのでいきなり最初のプレゼンには出席しないという状況だった。まぁ、結果から言えば惨敗だった。それでも時間も人も使って面談をセッティングしていただいた企業には感謝しているが、話の冒頭からして可能性がゼロといった感のある面談の辛いこと辛いこと。そしてよくよく考えたら自分も同じような立場で面談の申し込みがあれば簡単に受けていたなと反省した。その企業よりもよほど酷なことをしていたのかもしれない。例えば会社の前で待っているデザイン部門志望の学生さんたちの作品をチラっとでも見てしまったり、カリフォルニアではもっと酷いことにエンジニア志望の青年がやってくる度に会社案内までしていた。シリコンバレーのベンチャー企業には例え小規模なベンチャーといえ、相当なスキルが無いことには入社できない。むしろ小さい会社の方が抜きん出た技術力を有する社員を求めている。理工系の学部卒というだけではかなり厳しいのが現実だ。若手起業家たちが提携話を持ち込んできてはどんなに長いプレゼンだろうがアポなしでも予定が合えば聞いて晩飯が深夜0時になったことなんて何十回もある。それでも企業としては簡単に提携話は進められない。99%が倒産か安値で吸収されてしまうような世界で安易にイイネ!と提携するのは自殺行為だ。血気盛んなアポなし行動も実は悪くはないと感じる部分もあるのだが、現実的に彼等がその世界で通じるのか否かは別問題だった。残酷な親切心とでも言うべきか、とにかく今は相手にあまり淡い期待を抱かせることは控えるようにしている。

アポイントメントとは受ける側としても、そのくらい深く考え慎重になるべきことなのではないだろうか?そりゃ会いたがっている人々に会ってあげたいという気持ちも人情というものだ。それでも最初から先方の期待通りにはいかないと分かっている件、先方の申し出の実現性が乏しいと感じた場合、「会わない」という選択はそれほど酷い対応とは思えない。会ってみて「やっぱりダメ」というよりもよほどお互いの為だ。

沖縄県・翁長知事がアポなしで上京して日本国の首相や官房長官との面談が叶わなかったと不満のようだ。それを沖縄タイムスがまるで悲劇のように報じている。詳しくは→ 翁長知事、政府と面談未定 キビ交渉、異例の事態(沖縄タイムス)

沖縄県知事は「サトウキビ交付金関係の政府要請、全国知事会出席のため上京した」とある。政府への交付金交渉についてアポなしとは余りにも非常識だ。沖縄タイムスは基地問題で政府と対立する沖縄県知事が冷遇されているという論調だが、そういう面よりも先ずはアポイントなしで首相や官房長官に会おうとする知事の非常識さについて言及するべきだ。それに山口俊一沖縄担当相との面談は実現しているのだから政府がなにも沖縄県知事を拒絶したというわけでもない。むしろいきなりやって来た知事に対して閣僚が時間を割いているのだから政府としては随分と歩み寄っていると考える方が自然だろう。

仲井真前知事時代は沖縄県は政府と交渉できていたのに今度の知事では政府に拒絶されているといった沖縄タイムスの論調も整合性に欠ける。当時の仲井真知事だってアポなしでは簡単に日本国の首相との面談は実現しなかったはずだ。単にアポあり・なしの話を変に歪曲させて、まるで政府が今の沖縄県知事に限って拒絶しているかのうような報道は中立性も公平性にも欠けている。どこの誰であろうと首相や官房長官にアポなしでは会えないという当たり前のことをいちいち基地問題に絡めて語ることはフェアではない。

これは今の沖縄県知事と沖縄タイムスとのマッチポンプのようなものだ。アポなしでは会えないと分かっているくせに首相や官房長官に会おうとして結果として会えなかったら「基地問題で対立する政府が沖縄を冷遇している!」と大声を上げる知事、そしてそれを更に歪曲して伝える沖縄タイムス。もはやアポなしという根幹の部分は無かったことにされて、ひたすら「政府は沖縄を見捨てるのかー!」という大合唱だ。これでは首相が会ってくれなかったという状況を作り出す為のヘタクソな演出だ。そうじゃない。首相はアポなしでは会えない。それだけの話だ。

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ミジンコ
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男性
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戦闘訓練を受けた経営者
趣味:
余裕をかましている悪党をギャフンと言わせること。
自己紹介:
詳しくはプロフィールをご覧くだされ。
 わらび☆かんがるー子


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