記事タイトルはこの十年延々とミジンコが抱えている疑問。もちろん、単純に「かわいそう!」と言うのは容易いし、どこかのレポーターのように散々とアフリカの子供を傷つけておいて、なんでか自分がボロボロと涙するなんて無神経さならばどれだけラクなことか。考えないでアフリカと向き合えば、それこそ直線的に自分の勝手な目標に到達できるのかもしれない。
例えば、下の写真。これを見れば、この社会がいかに酷いものか、その断片くらいは想像できるかと。ただ、この少年が果たしてかわいそうと思われたいのかどうかは言い切れない。少なくとも我々のようなアフリカ人が本来持つべき権利を蹂躙している者たちが、それはそれとしてこの少年をかわいそうと思うなんて、なんというかもうこの世界に救いが無さ過ぎていったいなにが正しい行動なのか?といつも悩む。
ミジンコはコーヒーが大好きで外でも家でもコーヒーを常に飲んでいる。コーヒーを飲んでいるからといってアフリカに対して悪者だとは思わないが、かといってそれがアフリカ人たちにとっては良い結果だとも思っていない。要は全てを解決した上で生きるのは難しいということ。
世界が抱える問題を全て解決してから前進している人間なんてこの地球に一人もいない。本当に考えれば考えるほど難しい。
アフリカに行く前にいつも自分の周囲への必要な伝言を急いで電話したりメールする。別に日本に帰って来れないと悲観しているわけでもないが、ストレートにいえばミジンコから伝言を受け取るような人たちはミジンコがダメな人たち、頼りない人たちって思っているってこと。そういう人たちの共通項はひとつやふたつではなく、本当になんでこんなに重なるところが多いのだろうと、それに気づいた最初の頃は驚いたし、そのピタリ感に感動すらした。
アフリカで先進国への恨み節を語るアフリカ人たちと、日本でやれ会社経営が上手くいかない、やれ店が繁盛しないと嘆く日本人たちと全く同じ行動(生活)パターンがある。
- 人に言われないと動かない
- 悪いことの原因は先ずは自分ではなく周囲に向く
- いかに努力したかを説明するときは勢いがある(でも成果は出ていない)
- 成功者が運が良いと思っている
- ライバルが失脚すると自分が上に上がると信じ込んでいる(結局、他の者が上に行く)
などなど。
素直にかわいそうというにはあまりにも同情できない部分が多いのだ。倒産した会社の経営者が延々とまだ仕事がある人たちを批判し続けた上で失業保険や生活保護を受けたとしたら、せめて自分を支えている納税者たちの悪口だけは控えるべきではないか?とは思うのが人情だ。
アフリカの貧困地域の人々、特に女性や子供にはひたすら同情したい気持ちにもなるし、救いたい命がそれこそ山のようにあるのだがアフリカの国々を一人格として見たとしたら、それこそ前述の日本の会社潰した後で延々と社会への不満を納税者に対してぶちまける元経営者とかぶる部分が多々ある。
なんでもかんでも人のせい、社会のせいと言うのは簡単だが、それでは事態は一向に改善されない。
今のアフリカに必要なのは、そういう表現は難しいが「愚痴」の部分をそれは「愚痴」だと自覚することだと思う。
特に戦後の復興を果たした日本で生まれた身には、国が荒廃しているからを理由に全ての可能性を否定することは受け入れ難い。確かにアフリカのいくつもの国の国民は飢えているし、日本でいう危険とは次元の違う危険な生活環境には心底同情しているのだが、それでもアフリカ人たちはいつかは自分たちで立ち上がらないとならないはずだ。
アフリカはかわいそうと簡単に言うのではなく、アフリカ人自身の意識を変えていくことが先決だ。ミジンコが常に提案している打開策は「教育」なのは常連さんたちには言わずもがなだろう。ミジンコの場合はもっとつっこんだやり方を進めているのもご承知かと。要は頭の良い子に優先的にチャンスを与える方式。これには批難もあるがミジンコはこの方法が最短でより多くを救う方策だと信じている。別に自分が絶対に正しいとは言わない。この方針を否定している人が別の方策で結果としてミジンコよりも遥かにアフリカに貢献したなんてことが将来あるかもしれないが、それを素直に称賛する所存。誰が上手くやったかの競争ではなく、誰でも良いから解決できる人の登場があれば良い。
アフリカへの同情ではなく、また、なんでもかんでもアフリカ人を被害者としてみないことが実はアフリカの状況を改善するための近道なのかもしれない。先に述べた日本の会社の倒産を防げなかった経営者たちに自分がどの程度同情するだろうか?と考えた。全く同情しないというわけではないが、かといって同じ経営者として見れば、出来得る努力を怠った故の結果と見ないわけにもいかない。なにしろ同じ産業界の会社が一斉に倒産するなんてことは無く、生き残っている会社はどの産業にも必ず存在する。
アフリカの貧困・紛争に苦しむ国々を「かわいそう!」「募金!募金!」と一面だけを捉えるのではなく、実は「なんでこんなに怠け者なんだ!」「何事もテキトー過ぎる!」「働け!」なんて、日本人が日本人には当たり前に言い放てる言葉をアフリカ人に向けて言えることこそが、もっと具体的にアフリカの諸問題を日本人が捉えられるときなのだと思う。本当に「かわいそう」と言うのは簡単なのだが、それだけではどうにもあと500年経ってもアフリカの貧困国は貧困国のままで、紛争も止まらないような気がしてきた。
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