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ブログを移転しました→ http://blog.livedoor.jp/marugoto_mijinko/ 今後は移転先でお会いしましょう。とっくに移転したブログに延々とコメントをつけても何も出ませんよ。
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今年はアクション大作の公開が立て続くので「マッドマックス 怒りのデスロード」は夏本番の上映を回避したかのようにビミョ~な時期の公開となっている。世界興行収入ランキングで10位以内に入っている「ワイルドスピード スカイミッション」と「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」の公開の狭間にこの「マッドマックス 怒りのデスロード」は公開されていることからも日本公開は相当に慎重に時期を選んだ感がある。しかも「ターミネーター ジェニシス」や「ジュラシック・ワールド」と夏場は大作公開が続くので「マッドマックス 怒りのデスロード」は6月以外に時期が無かった感すらある。

そんな狭間の公開の「マッドマックス 怒りのデスロード」ではあるがアクション大作としては今年の公開作ではアタマひとつ抜けていると断言したい。アタマひとつクレイジーなのだ。アクション大作豊富な2015年、群を抜いて狂っている。原題の「Fury Road(狂気の道)」は伊達ではない。同シリーズは基本そのどれもがイカれているのではあるが、今回の新作は最強に狂っている。流石にジョージ・ミラーだ。世界最強の狂った監督は健在なのだ。実はミジンコ、とっくの前に同作品を観たのであるが何を言ったところで同作品の凄さは伝える力量がないと感じるほど同作品がイカレポンチーノなので黙っていた。それに余りの迫力なのでここでオススメすると劇場で死んじゃう人がいるんじゃないかと心配だったのだ。が!つい最近わらびも「爆音上映を観てもう1度行く」というほどジェットコースター苦手な人間でも大丈夫と確認できたので当ブログで紹介する所存。

先ず、シリーズを通して最大の見所であるカーチェイスなのであるがその迫力をシリーズ全4作品の各シーンを挙げてフォントサイズで表現したい。

マッドマックス(初代)の冒頭でナイトライダー(暴走車)とマックス達警察車両とのカーチェイス→ MAD MAX

マッドマックス2のラスト、マックスが運転する大型トレーラーとヒューマンガス軍団との攻防→ MAD MAX

マッドマックス3のラスト、爆走列車とそれを追う砂漠の女王軍団→ MAD MAX

新作「マッドマックス 怒りのデスロード」での最初のカーチェイスシーン、フリュオサ大隊長率いるウォータンクと警護のクルマとバイク数台と襲いかかるヤマアラシ軍、そしてその戦いに追いつくイモータン・ジョーの軍団→ MAAAAAAAAAAAAAAAAAAD MAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAX!!!!!!!!

控えめに言ってもこのくらいの迫力。散々観たシリーズの新作だからといったことでの盛った話ではなくて、本当にこのくらいの大迫力。CMなどで多少は迫力あるシーンが流れてはいるがあんなのはごく触りの部分に過ぎず、いわば脇役とも言えるヤマアラシ軍ですらこの迫力なのだ。そしてそんな戦いが2時間続く・・・・・おっちゃん、死ぬかと思ったよ・・・・・。

フリュオサ率いる少数の車両の右手から迫る2台のトゲトゲクルマ。縄張り荒らしに挨拶だぜヒャッハー!という感じ。こんな↓クルマ。どうやって車検を通したんだ!


迎えるフリュオサ大隊長と子分たち。全然怯んでいない。凶暴 vs 凶暴なので当然話し合いが行われるわけもなくいきなり火薬の付いた槍をヤマアラシに投げつけるはヤマアラシはボウガン撃ってくるわで平和解決を求める人が一人もいない地獄。

更に左手からもヤマアラシ2台おかわり。そして後方からもデカアラシが1台。デカアラシにはショベルカーが積んであり、ショベルアームでフリュオサ大隊長の大切なウォータンクを小突いてくる暴挙。タリバンとかISILとかが真似するので止めて欲しい魔改造だ。現実でそんなのに襲われる身にもなって欲しい。

そして後方から追いつくイモータン・ジョーとその軍団。こんな↓奴等が追ってくるのだ。


なんだよ、コイツ、色々とおかしいだろ!怖すぎるわ!こんなのが新聞の勧誘員だったら契約しちゃうかもしれない。

イモータン・ジョーはウォーボーイズという戦闘員たちを育て上げており、彼等は死を恐れずに転生を信じている。つまり戦いで名誉ある死を迎えると転生してもっと良い人生が待っていると信じているのだ。だからむしろ戦闘での死を望んでいる。イスラム過激派の幹部たちが末端の戦闘員にやっていることと同じだ。但し、イモータン・ジョーの軍団では謎のルールがあり、銀色のスプレーを口の周辺に噴きかけてから特攻すると尚良いらしい。致命傷を受けたウォーボーイの一人が口元に銀色スプレーをかけてから「みんな俺を見ろーーー!」と叫びヤマアラシに爆弾槍とともにジャンプ、爆発炎上するヤマアラシ。それを見て仲間のウォーボーイたちは「よく死んだーーー!!!」と賞賛。もうやだ、こんな世界・・・・・。

そんな北斗の拳のケンシロウでも生き残れるか定かではない世界でも一応は主人公のマックスは輸血用の袋としてしっかり生存。主演のトム・ハーディーはまたしても猿ぐつわをかけられている始末。「ダークナイト ライジング」のベイン役のときもマスクで顔を覆っていたのでほとんど顔が出ていなかったが今回もかなり長いこと猿ぐつわが取れない。ジョージ・ミラー監督はわざとそういう設定にしているドSなのだろう。

今回、マックスの影が薄く、一番インパクトのあるシーンが冒頭で口からトカゲのシッポを出してムシャムシャのシーンである理由はシャーリーズ・セロン演じるフリュオサ大隊長と影の主役とも言えるウォーボーイのニュークスの存在感だ。↓このスキンヘッドがニュークスだ。余命いくばくもないことを悟り、なんとか戦いの中でイモータン・ジョーに認められて死にたいと考えている若者。前半では「この軟弱クソヤロウが!邪魔しないでさっさと死にやがれ!」と思っていたが後半では「ニュークスもっと頑張れ!超頑張れ!おまえはまだまだやれるぞ!ガソリンをもっと吐け!」と応援してしまうのだから、これもジョージ・ミラーの魔術だ。
 

このウォーボーイ・ニュークスのキャラが余りにも立っている為にマックスの影が薄くなってしまった感がある。更に名前も出てこない脇役ではあるのにそのインパクトたるや映画史に残る存在なのが↓コイツ。


このギターから炎を噴出しているギターリスト。この車両は後部に太鼓部隊もいる。ガソリンの奪い合いで殺しあっている世界なのに延々とギターから無駄に火炎を撒き散らすコイツは・・・・・。そもそもこのロックな車両、戦闘的にはほとんど何も貢献していないのだが場が盛り上がる。いいのかそんな車両で!?

とにかく大迫力なのだ。CGではなく本当の迫力とはこういうことなのだと実感する作品だ。この作品ばかりは大型スクリーンで観ないことには勿体ないと感じ、遅ればせながら記事にした次第。カーチェイスの迫力で言えば過去100年間で最強だ。MADなんてもんじゃない。MAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAD!!!なのだ。

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3年5組 ミジンコ

明日から毎週金曜日、3週連続でテレ東の午後のロードショーでマッドマックスの1から3作目までを放送するというのでマッドマックスとの思い出を書きます。最初にマッドマックスを観たのが小学生のとき、フジテレビの土曜洋画劇場だったので小学生の作文のように書きたかったのですが、ひらがな沢山だと皆さんが読み難い上に自分でも書き辛いので普段どおりの文体で書きます。でも小学生のときのミジンコが書いたと考えてくだされ。

ミジンコが小・中学生の頃、土曜洋画劇場では毎年「マッドマックス2」が放送されていました。今だと放送できないようなシーンが満載の映画です。撮影中にスタントマンが2名亡くなったという壮絶なカーチェイスはそりゃもうお茶の間で流して良いのか?という大迫力でした。当時は「バーニング」なんていう大バサミを持った怪人が大学生たちをチョキチョキぶち〇してしまうような酷いホラー映画も同じ時間に流していた、そんな大らかな時代でした。大らかなのか!?

たまに勘違いしている若者がいますが、あの「北斗の拳」がもろに影響を受けたのが「マッドマックス2」の世界観です。核戦争後の世界でモヒカンでマッチョなヤロウどもがヒャッハーと叫びながら善良な人々に襲いかかるという設定は「マッドマックス2」が作り上げました。なので、たまに「マッドマックス2」や「3(サンダードーム)」を今更観て「北斗の拳」に似ているとか、あろうことかパクリ扱いをしているジャパニーズを見るとなんだかなぁと思います。

「マッドマックス2」のラスボスであるヒューマン・ガス様の極悪非道ぶりは小学生のミジンコには衝撃でした。完全な悪、まったく人間性を見せないまま最後まで酷いヤツでした。しかし当時まだ小学生だった自分にとっては筋肉隆々のヒューマン・ガス様は超恐ろしい存在だったので、バカ、アホ、オタンコナス、フンコロガシ、アニサキスのウンコ、この腐れ外道のどぶ川の上澄みほどの価値もない真性クズヤロウが!くらいしか言えませんでした。

「2」ではマックスの愛犬が悲しい最期を迎えるところも衝撃でした。あんな獰猛なワンちゃんもボーガンの矢には敵いません。そもそもマックス、てめぇは気絶している場合じゃねーだろうが、この役立たずのごく潰しめ!とやんわりと怒ったことを覚えています。実はミジンコ、数年前に「2」がブルーレイ化されるや否や購入したのですが、1度再生してその余りの残酷描写に「こんなの子供の頃に平気で観ていたのか?」と自分の子供時代に驚愕しました。そしてそのままブルーレイをどっかに捨ててしまったようです。暴力、レイプ、死、死、死、と、とても家に置いておける作品とは思えず、それがブルーレイ画質になったことに年取った自分は耐えられなくなったようです。その割にはおまえ民間軍事会社やっているじゃねーかと一人ノリツッコミ♪ ぶっちゃけウチの警備員たちの方がおっかねぇっす、テヘ♪

そんな残酷な「マッドマックス2」ですが傑作です。要は作品作りとしての芯があるのです。暴力、暴力、スピード、スピード、クラッシュ!とこれをこれでもかっていうくらいに映像化しようという心意気は凄いものがあります。中途半端じゃないのです。子供ながらにこういうぶっ飛んだ作品を作る人はすげぇ人なんだろうなと思いました。つまりジョージ・ミラー監督まじリスペクトっすという感情です。

ヒューマン・ガス様、獰猛なワンちゃんもインパクトがありましたが、一番の驚きは女戦士でした。ラストの長丁場のカーチェイスでトレーラーの上でモヒカンたちを撃退していたワイルドなお姉さんです。女性が男以上に戦うというシーンはとても珍しく、大型トレーラーの運転で忙しい主人公マックスよりもトレーラーの上のアマゾネスと後部のおっさん2名が活躍します。正直いってアマゾネスさんの最期が今でもトラウマです。後部に布陣していたおっさんの最期も強烈です。

まだまだ衝撃的な要素があります。皆さんついてきていますか?あと2つあります。ひとつはヒューマン・ガス様よりも目立っていた実質的な悪役主席の巨躯の赤モヒカンとその恋人(中性的な男性)の存在です。同性愛とかまだよく分かっていなかったミジンコ少年が初めて映画中で見た同性愛者です。さすがにニューヨーク市在住歴もあるので今は同性愛者に驚いたりとか、そもそも同性婚すら賛成なミジンコですが、子供の頃はマッチョなゴリラ男と女性みたいな青年が明らかにカップルであろう描写に衝撃を受けました。

そしてもう1つの衝撃は野生児です。全然人になつかないというのになぜかマックスを慕う少年は人の本質を見抜いていました。ぶっきら棒で誰にも心を開いていないマックスは本当は優しく深い心の傷を負っているが故に人と深く関わることを避けているということを野生児は見抜いています。ミジンコ少年はこのガキンチョ分かっているじゃないか!と感動したものです。しかも野生児は大事なところで大活躍してマックスを助けます。もし野生児がマックスの運転するトレーラーに乗り込んでこなかったらマックスは100%死亡していたことでしょう。そのくらい野生児の噛みつき攻撃は有効でした。ところで中盤で野生児が放ったブーメランで赤モヒカンの彼氏がお亡くなりになったわけですが、その怒りの矛先はなぜかマックスに向きます。赤モヒカン、見りゃ分かりますがかなりのアホです。

そんな衝撃テンコ盛りの「2」ですが、「2」というからには「1」があるはずだと気になったミジンコはテレビ東京のお昼の映画枠で「1」を初めて観ました。つまり前後してしまったわけですが「2」の後に「1」を観たわけです。核戦争前のお話でした。救いはそこだけです。なんでマックスがマッドになったのか良く分かるストーリーでした。そりゃマッドにもなります・・・・・。明日、それがテレ東で放送されます。冒頭のカーチェイスは余りのイカレポンチっぷりに映画史に残ると称する声が大きいです。ミジンコもそう思います。なにしろ逃げる方の逃亡犯よりも追いかける方のメタボな警察官の方が狂っているのです。しかもその後に登場する真打ちであるマックスが更に輪をかけてクレイジーなのです。おまえ、逃亡者にパッシングして大事故誘発してどーすんねん!ってことです。

「3」もかなりの暴走でした。ティナ・ターナーが女王役です。サンダードームのチャンピオンだったデコボココンビなんて今だと色んな方面から苦情が出てきそうですがジョージ・ミラー様は気にしません。

実はまだ最大の衝撃を述べていません。もう社会人となったミジンコがある映画と出会います。ブタが牧羊豚になることで有名なあの「ベイブ」です。ミジンコが好きな映画ランキングで不動の5位以内に長年輝いている名作です。当時、周囲に言いまくりました。オーストラリアから凄い映画が来たぞと。その頃はもうまったくオーストラリアの衝撃大魔王ジョージ・ミラー様のことはアタマから離れており油断しておりました。「ベイブ」もジョージ・ミラー様がお作りになったことを知り幽体離脱しました。マッドマックスとベイブを同じ人が作っているとはどうしても信じがたく同姓同名なのかと何度も調べました。残念ながら同じ人でした・・・・・。

人の中には天使と悪魔がいるとも言いますが、ジョージ・ミラー様の中にはイカレ暴力スピード狂とカワイイ子豚ちゃんが住んでいるようです。そのジョージ・ミラー様がまた監督をやると知り、ミジンコは恐怖と期待で死にかけました。おじいちゃん、もう映画撮ったでしょ!とかツッコミたくもなりましたがジョージ・ミラー監督は生涯現役なのでしょう。しかも「ベイブ」の続編ではなく「マッドマックス」を再び撮るとはたまげました。

今まで「マッドマックス」をリスペクトしたであろう作品をいくつか観ましたがどれも本家の迫力には到底及ばないものでした。今度の作品の副題は「Fury Road(狂気の道)」です。邦題では「怒りのデスロード」とかいうダサい訳になっていますが、本来は狂気というかイカレたカーチェイスってことです。それもムービートレーラーを観て納得です。相変わらずジョージ・ミラー監督が狂っていて嬉しいです。「2」の頃は当然としても今回もCGではなく本当にイカれた車たちを走らせてクラッシュ、爆発させているようです。本当にジョージ・ミラーはすげぇ監督だ!

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この非日常な光景は何かというと・・・・




アメコミの悪役たちが減刑を条件に特殊部隊を組んで悪と戦うという「スーサイドスクワッド(自殺部隊?)」の映画撮影中の一コマ。バットマンの悪役として有名なジョーカーまでもが政府の命令に素直に・・・ではないがともかく従って悪の組織を叩き潰す。まさに毒をもって毒を征すなストーリー。

アメコミ作品は苦手なのではあるがこの作品には期待している。勧善懲悪な話よりも清濁併せた話の方が現実に近いと思うのだ。それになんとなくではあるが、こういう面子の方が味方になると頼りになりそうな気はしないだろうか?

ひとつ気がかりなのは監督がデビッド・エアーなところ。アメリカでは非常に注目されている監督ではあるが映像描写、特に銃などで人が死ぬシーンの残酷描写がなんというか当たり前だが残酷なのだ。「エンド・オブ・ウオッチ」、シュワちゃんの「サボタージュ」、「フューリー」と同監督の作品を観てきたが確かに上手いのではあるが残酷なのだ。そこ描かないとダメ?とツッコミたくなるようなシーンが結構ある。だからこそ話題にはなるのであるがアメコミに残酷さを発揮すると空回りになるような気がする。まぁ、超大作映画ではあるので、そこは周囲が上手く調整するのであろうが、いつものデビッド・エアー作品のように人が自動小銃で滅多打ちになったり、人のアタマが戦車砲で吹っ飛ばされたりといったシーンはアメコミ作品ではどうかやらないで欲しいと願っている。

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上は「シャークネード」の第1作からの主人公フィンが乗っていた旅客機が遭遇したサメ嵐・シャークネードによって機長も副機長もサメに喰いつかれて機外に放り出された後の光景である。そう、主人公フィンが操縦したこともない大型旅客機を操縦して無事に着陸させるのである。この程度のハプニングは前作「シャークネード」が製作者も出演者も予期せぬ話題となったことに比べれば大した問題ではないのである。

どうも前作が話題となり制作会社のアサイラムも遂に小金持ちになったのか、オープニングのクレジットに妙なCGを多用したりしてアサイラム作品にはあるまじき予算の余裕を感じさせるけしからん作りとなっている。しかあぁぁぁし!ご安心召されい皆の衆!アサイラムが金を持ったところで猫にコバンザメ!ちゃんと金かかった駄作になっている安定性。アサイラムはよく分かっている。

とりあえずアサイラムが金を使ったと思われるところが以下の気象予報シーン。劇中、何度も何度も気象予報シーンが流れるのであるが、気象予報士が解説する画面にサメマークが登場するのだ。


最初はサメ台風も小規模だったのでサメ表示も控え目な感じ。


静止画だと分からないが竜巻のCGの中にクルクル回るサメがいる。



サメ台風の巨大化によりこんな表示に!
まさに時代はサメ台風といったところか。こういうところを頑張っちゃたものだから、他の部分がかなりおざなりになるのもいつものアサイラム・クオリティー。ある意味ブレない会社だ。
 
第1作はロサンゼルスが舞台であったが、主人公フィンは元々はニューヨーカーだったとのことで今回はニューヨークへの里帰りとなっている。前作でロスの危機を救った英雄として、またサメに丸呑みされたのに逆にサメを内側からチェインソーでぶった斬って生還したダイハード男(なかなか死なない男)として全米屈指の有名人となっているフィン。ところがフィンはサメ台風との対決で親友を二人も失っていることを思い自分への英雄視を受け入れていない。なんということだ。アサイラム作品のくせにかなりまともなことを主人公が述べている。どうしてしまったんだフィン!変なクスリでもやってんじゃねーだろうな!?

・・・・とちょっとはフィンのまともさを見直している矢先にフィンと愉快な仲間たちが野球観戦中のスタジアムをサメ竜巻が襲う。まずい!メッツが危ない!フィンたちのことはそれほど心配じゃなかったがメッツの選手たちがサメに喰われてしまうのは困る。ところがメッツのホームスタジアムがロケに使われ、野球のシーンらしきものもあるにも関わらず、メッツの選手たちは1人も登場しない。やはりメジャーともなると選手を出演させる作品も選ぶのだろうか?さすがメッツ、賢明な判断だ。


フィンの地元ニューヨークの家族や友人たちはメッツの大ファンたちだという。当ブログの管理人ミジンコもニューヨークに住んでいたこともあり、MLBではメッツがひいきのチームだ。ニューヨークというとヤンキース・ファンだと思われがちだがヤンキースは宿敵であってファンではないのである。ニューヨークには2球団あるんだと声を大にして言いたい。正直、こういう作品に限ってヤンキースではなくメッツが選ばれるのはどういうことか?アサイラムのヤンキースをいじるのには及び腰でメッツならばいっかなぁという不届きな思惑が透けて見える。確かにその通りだ、コノヤロウ!ちなみに上のシーンはサメ竜巻が接近して観客が逃げ惑う中、フィン一行は殺る気満々でお土産屋のバットを窃盗、画像のヒゲ男に至っては看板に掲げてあった巨大バットをむしり取って盗む始末。器物破損と窃盗事件の発生である。サメと戦うためにバットというチョイスはどうかと思ったが結構な数のサメをかっ飛ばしていたのでアメリカではサメにはバットが一般的なのかもしれない。


怯えるニューヨーカーたちを落ち着かせるために消防車の上で演説を始めるフィン。サメに食べられても大丈夫だと聴衆を説得。いや、それはおまえだけだろう。普通はサメに喰われても大丈夫じゃないからな、フィン。

そんなフィンの演説が終わるや否や、サメ竜巻から一匹の大型サメがフィン目がけて突撃!


チェインソーを持ったフィンは無敵だ。サメをかわしつつ・・・


サメ両断!注目すべきはサメの部分はCGであるから後から足しているわけで、撮影時にはマンハッタンという大都会にて消防車の上でチェインソーを持ったおっさんがこのポーズをしていることだ。

ニューヨーク市長もどうかしている。大都市が壊滅しそうなほどの巨大台風が接近しているというのに、ただの一般人であるフィンにチェインソーを渡して後は丸投げだ。大都市の危機を一人の男に全て託す行政とその依頼を自信満々で受ける一人のイカレポンチ、こんなことでいいのかニューヨーク市!

一応ラブロマンス要素も追加したつもりらしいのだがどこまでがラブでどこまでが狂気なのか分からない演出で評価しようがない。例えば、女性の皆さんは自分の腕がサメにパクリと持って行かれたときに、半日後にそのサメをぶち殺した男性が死んだサメの口に手を突っ込んで腕を回収し、その手の薬指にはめてあった指輪を抜き取りプロポーズしてきたらどうだろうか?この作品の場合は女性は「まぁ、ステキ♪」となるのでハッピーエンドなのだが現実にそんなことが起きたら絶叫モノだろう。まぁ、そんな恐るべき演出もこのシリーズではよくあることのひとつに過ぎない。きっと3作目もそうなることだろう。

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You wanna 酔わない ヘビッシュ♪ 梅酒の味のソーダ♪ わたしのためのソーダ♪

そりゃ、ウメッシュだ!(ノ`Д´)ノ彡┻━┻

どこの誰がやったのかは知らないが東南アジアで捕獲したライギョたちに遺伝子操作を行い巨大化&水陸両用化。その改造ライジョたちが輸送中にルイジアナ州の湿地帯に逃げ出して沼はもう大騒ぎさ。

そんな生物兵器と化したヘビッシュと卵たくさんを運ぶ輸送車がUPS(アメリカ最大規模の宅配業者)のロゴを消しただけの中古の配送車であることは見なかったことにする。細かいことを気にしていてはこういう作品鑑賞は先に進めない。輸送車のなんとも頼りないドライバーたちはお約束としてすぐにヘビッシュの餌食に。その後の処理班もヘビッシュの犠牲に。なんとなく自分からヘビッシュに喰われに行っている気がしなくもなかったが気のせいだろう。

冒頭で舞台となる湿地帯に建てられている家屋でブードゥーの儀式らしきニワトリを生贄にした儀式の映像が流れる。ニワトリになんてことすんだ!と憤ったが、なんでもそれはその湿地帯にかけられた呪いを鎮めるための儀式だったらしい。その呪いはその湿地帯でお亡くなりになったマーガリートお婆さんによるものらしく、そのマーガリートさんのお孫さんが長年に渡って湿地帯の呪いを抑えていたとのこと。


こんな感じで銃でバンバン撃たれても人を襲いまくるヘビッシュ。遺伝子操作の結果でこうなってしまったのか、それともマーガリートの呪いでこうなってしまったのかは最後まで判然としない。

で、ヘビッシュ被害の拡大を防ぐためにはどうすれば良いのか、それをマーガリートさんのお孫さんが説明してくれる。


広大な湿地帯の中心に封印されているというマーガリートさんの心臓を見つけて砕けだってさ。困ったものだ。ヘビッシュを大人しくさせるにはいくつかの問題があるようだ。

先ず、広大な湿地帯の真ん中の座標を探り出し・・・・

そこに沈んでいるという呪いババァの心臓をサルベージして・・・・

その心臓を粉砕しろって・・・・

できるか!そんなキモいこと!!! (ノ`Д´)ノ彡┻━┻

でも皆さんご安心を。このムチャぶりをしたマーガリートの孫はヘビッシュが美味しくいただきました♪


お婆ちゃん、自分の呪いのせいで人生を捧げて湿地帯の平和を守ってきた孫が猛獣の餌食になってしまって良かったんだろうか?

お孫さんには気の毒だったがひとつだけ良いことがあった。この後、マーガリートの呪い云々の話は一切出てこなくなる。いったい呪いの話はなんだったんだろうか・・・・。
 
ヘビッシュ軍団の猛攻に遂にルイジアナ州軍は決断する。

空爆だ。

ちょっと待てい!!!

なんで州軍が空爆できるほどの航空戦力を保有しているのか!?これにはオバマ大統領もビックリだろう。

作品中に登場する空軍はどう見ても航空ショーのアクロバット飛行隊(しかもフィルムが劣化した古い映像)なのは、はは~ん、さてはヘビッシュ製作委員会はアメリカ軍に協力を断られたな!まぁ、米政府としては賢明な判断だろう。

大統領を通さずに民間人が残る湿地帯をためらいなく空爆するアクロバット飛行隊。湿地帯は火の海と化す。マーガリートの心臓も燃えたんだろうかと登場人物たちのただの一人も気にしていないことを心配してしまった自分もある意味ヘビッシュの被害者だ。

←コイツがヘビッシュみんなの母親にあたるママヘビッシュ。いわゆるラスボスだ。空爆を逃れて主人公一行(←誰が主人公だったのか確信が持てないが・・・・)に襲いかかる。

モンスター・パニック映画にありがちな「なかなか死なないラスボス」に抵抗があったのか、あっさりと数秒で退治されていた。実は素直な良いお母さんだったのかもしれない。

ヘビッシュ、もといウメッシュを飲んで寝よ。

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こ、これが連邦、もといフィリピンのモビルスーツか・・・(驚愕)

薄っぺらい!まぁ、でも中国のガンダムよりかは角など余計なものがない分だけオリジナルのガンダムに近いといえば近い。

昨年、何度か東京MXで再放送されていた初代ガンダムである「機動戦士ガンダム」を数回チラ見したのだけれど、自分の思い出補正が余りにも強いことにいささか衝撃を受けた。30年前の作品なので当たり前なことなのだが作画、アニメーションなど色々とかなり辛いものがあった。要は自分が子供の頃にカッコイイと感じていたモビルスーツ戦などの作画の質の低さに驚く場面が幾度もあったのだ。

例えばこんな感じ↓



ガンダム太りすぎや!(涙)

それでもガンダムは言うまでもなく凄い作品だった。ちなみに映画を死ぬほど、いや実はもう映画を観過ぎて死んでいるのかもしれない当ブログの管理人は映画の予告編にもうるさい。

予告編 予告編 予告編 ←どう?うるさい?

予告編が見たいから劇場に足繁く通っていた時もあったのだがネットが普及した今、いつでも予告編の長尺版が見られるのだから良い時代になったものだ。大スクリーンに映し出された予告編によって「こんな凄い映画が今度公開されるのか!?」と鳥肌が立つほどアガるときがある。そんな予告編として最高に興奮した予告編が「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」だ。


当時は珍しかったCGをいち早く取り入れてスペース・コロニーを描いている。そんな技術的な部分も魅力的だったがなによりもアムロとシャアがもう1度あいまみえるというのだ。これが興奮せずにはいられようかー!と当時思った。実は土曜日に書道塾に行く時間帯と「Zガンダム」と「ZZ」の放送時間帯(確か夕方17:30)がモロに被っており、まったく見ることができなかったので、なんでアムロとシャアが過去に同じ軍にいたりとか、この劇場版で対立する構図になっているのとか等なにも分からない状態だったのだが、劇場版はこの予告編での期待値どおりに最高に面白かった。実はミジンコ、初代ガンダム以外はまったくの無知なのだ。

既にアメリカへの留学、しかも映画を作る学科を志望していた身であったのだが、もしかしたら日本のアニメ映画の方がハリウッド作品よりも上なのではないかと思ったりもして、その留学の決断が間違っているのではないかと焦ったほど。そのくらい「逆襲のシャア」は映像からキャラクターの台詞まわしからして最高峰だった。本当に焦った。アメリカに渡っている間に日本がアニメ作品で世界を席巻するのではないかと感じたのだ。そうなると高校生の頃から日本のゲーム製作やアニメ製作(そういえば放送はテレビ東京だった!)に参加していた恵まれた立場であったのに、わざわざアメリカに行く理由はなんなのだろうか?と悩んだりもし、そして留学失敗となることが恥ずかしくもあり周囲には一切話さないで留学計画を進めていた。そんな「本当に米国留学は意味があるのか?」といった焦りはアメリカ留学中に劇場で観た「ジュラシックパーク」、そして程なくして日本で公開されていたまだ子役だった安達祐実主演の角川映画「REX 恐竜物語」の日本の映画雑誌に掲載されていた画像によって解消された。同じ恐竜モノでなんであそこまで差がつくのか・・・・。

今、この「逆襲のシャア」の予告編を見ても興奮する。こういう予告編で盛り上げて本編も傑作という作品があるから映画予告編を見ることが止められない。

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当ブログでは「ウォーキングデッド」で検索された方々の訪問がほぼ毎日ある。恐らく幾度もブログで取り上げたから検索にも引っ掛かり易いのだろう。1stシーズンが日本で公開される前からずっと日本でも「ゾンビものだけれど凄い面白い作品がある!」とオススメしまくっていた。ミジンコとしてはラストで映画館でショック死しかけた「ミスト」の監督であるフランク・ダラボンが満を持してドラマの製作総指揮をするということでその期待値だけでメーターを振り切っていた。

実際のドラマシリーズは1stシーズンはゾンビものとしては傑作だ。大成功した1stシーズンであるのに制作会社のAMCが2ndシーズンの製作費を削減、ダラボンが降りてダラボンの側近ともいえる長年一緒に制作に携わってきたスタッフたちが残り2ndシーズン以降を制作している。クレジットにはダラボンの名前は今も「Developed(原案)」として残っている。正直、2ndシーズンは迷走といった印象だ。その後、ダラボンの構想では2ndシーズンにする予定だった刑務所を起点としたエピソードが3rdシーズンとなってだいぶ盛り返した感がある。
 
1stシーズンは短いこともあってか「もっと観たかった」といった感想でとても続きが気になった。2ndシーズンは「行方不明だったソフィアとの再会シーン」で余りのショックで気絶しかかった。正直観るのを止めようかと思った。3rdシーズンでガバナー(提督)の瓶詰めアタマコレクションで観るのを止めようかと思った。残酷描写にウンザリだったが人間ドラマが面白いのでそれでも止められなかった。ドラマの一貫したテーマは「(ゾンビよりも)人間が怖い」なのだ。4thシーズンでのハーシェルの最期が余りにも酷いので、もう観るのを止めようかと思った。あの温厚で世界があんなことになってしまった後でも自分の命よりも人の命を尊重するハーシェルという老人の最期をあんな感じにするなんて脚本家は悪魔に違いない。それでも続きが気になる・・・・というよりもガバナーがムカつくのであのクソヤロウの最期を見届けようと視聴継続。途中、ガバナーまさかのイイヒト化に多少戸惑ったりもした。

そして5thシーズン、4thシーズンの終わりの方でやっと出てきた終着駅。なんでかバーベキューをやっている描写多数。えなり君御一行が到着したときも、お母さんが肉を焼いていた。その後の本隊(?)が到着したときも、なぜか外で肉を焼いている終着駅の住民たち。ここでネタバレクイズでござーる。この4thの終わりの方で描かれたほんの数秒のバーベキューのシーンをミジンコの周囲の女性たちに口頭で伝えるだけで「なんでバーベキューをやっていたのか?」の答えがすぐに出てくる。対して当ブログ管理人のミジンコは、全て映像で観ていたというのに、5thシーズンでのホニャララ加工工場のような場所を見ても「ウィルス研究?」と思って状況を理解できなかったのである。この件についてはミジンコが余りにも勘が悪いのではあるが、普段、様々な損傷激しいご遺体を見続けて運んで埋葬している経験から、そのドラマ中での描写がピンとこなかったのである。なんでバーベキューをやっていたのか?答えは・・・・言わない!もう分かったと思うけれど言いたくない!(涙)

5thシーズン第1話の開始10分、「やばい!次はえなり君だ!(泣)」というシーンで「もうテレビ消す!」と叫ぶミジンコ。「ダメ!」誰が言ったかはいえないがともかく折角有料チャンネルで観ているものを消したら許さんという人がウチにはいるのである。更にその人の隣の小鹿馬鹿(仮名)もテレビのリモコンを確保してミジンコに渡さないポーズをしやがる始末。日曜夜に人がサクサク殺されるドラマはイクナイと思いまーす☆

ともかく、その最初の10分、あんまりにも残酷でイカンと思った次第。そこから更に3話まで延々と「ホニャララうめぇ」という人たちと主人公グループとの死闘・・・・というか、主人公グループもたいがいにしろ!というくらいに容赦ない。そういう世界なのだから仕方がないということを強調したいのだろうが、4thシーズン後半で「姉妹」のエピソードなど、ゾンビものにそれを求めても仕方がないとは思いつつも、残酷描写ありきでエピソードが進んでいる感が否めない。1stシーズンだって非常に残酷ではあったのだがストーリーも面白かったし、ゾンビものとしては新しいフィールドを切り開いていた。大人気であるが故にストーリーが長期化してマンネリ感に焦っての過激描写なのではあろうが、残酷描写が残酷描写の為にあるといった感がある。

・・・・・というわけで4話目からは観ていない。いつかまとめて観るかもしれないが、ともかく今は抗議の気持ちも込めて続きを観るのを止めた。つまらない作品だとは思っていないが、かといって今は支持できない。当初は、えなり君がゾンビに食べられたら観るのを止めると述べていたがここらが潮時だと判断した。逞しくなったえなり君の今後は気になるがそれでも脈絡の無い残酷性は受け入れがたい。


ノーマン・リーダスという素晴らしい俳優が、その演技力や作品作りへの真摯な姿勢に比例した高い評価を受けて全米屈指の人気俳優に登り詰めたことがこのドラマシリーズの数多い功績のひとつだろう。若いときよりなかなか浮かばれない俳優生活ではあったがここにきてやっと花開いたことがなにより嬉しい。初のハリウッド作品出演があの「パシフィックリム」のギレルモ・デル・トロ監督の「ミミック」であり、この「ウォーキング・デッド」では兄のメルル役を志望してオーディションを受けたものの、メルルにはドラマで唯一ともいえる有名俳優が起用され、それでも彼を落とすには余りにも惜しいということで急遽原作には登場しない弟のダリルという役が作られたほどの評価。今やそのダリルがドラマでは影の主役のような存在だ。

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週末のスパーリングの為にジムの居間でフジテレビで高倉健さん追悼番組として放送された「南極物語」を鑑賞。30年以上前だったろうか、母親がこの作品の劇場鑑賞券を2枚入手してくれたことを覚えている。結局、劇場は超満員で入ることは叶わなかった。当時、その位に大ヒットした映画だった。犬のブリーダーであることもあってなかなか家族旅行などは難しく、それに加えて複数名の親族が選挙というものに度々出馬している状況もあり時期によっては家よりも選挙事務所にいる時間の方が長いという親だった。おかげで犬の世話ならば任せておけ!いや任せないで!という子供時代を過ごした。そんなほとんどどこにも一緒に出掛けたことがない我が子に初めて親の方から外出しようという提案だった気がする。それが劇場で南極物語を観ること。前述のとおり、結局は劇場に入ることは叶わなかったが母親と一緒に立川に出かけたことを今でも鮮明に覚えている。一緒に出掛けた回数が少ないからこそ1回1回の事が記憶に残っているのだ。

正直いってミジンコとしては映画が観れなかったことはそれほど残念でもなく、劇場の前で自分に謝る母が凄く悲しそうでその事の方がせつなかった。劇場に入れない分、帰りはレストランで食事ができてその方が良かったのだが、そういう気持ちを母に上手く伝える術を小学生の自分は持ち合わせておらず、ただ淡々と母の後をついて行っていたように見えたことだろう。あんまり言うとドン引きされるのだろうがミジンコは親と遊園地だとか観光地に行ったこともなく、かと言ってそれが不満というわけでもない子供だった。政治家の大人たちは周囲を巻き込むほど忙しいんだなと感じる程度で普通の家庭では考えられないくらいの頭数(多いときは十数頭)の犬たちの世話とサッカーで放課後から寝る時刻まで息継ぎもできないくらい忙しかったことは覚えている。だから皆さんは何頭ものトイプードルを散歩している子供を見かけても「あら、(たくさんの)ワンちゃんだ!」という理由でその子供を呼び止めないで欲しい。実はそれは1回目の散歩であと1回か2回、同じコースを別の犬たちで散歩しなければならない子供もいるのだ。思えば自分の脚の筋肉が発達しているのはこの頃がルーツなんではないかと思ったり・・・・。

さて、話はそれたが「南極物語」は母親との数少ない外出経験を思い出させるトリガーとなっているミジンコなのだ。それだけでもこの作品は自分には特別。

ヴァンゲリスが作曲したテーマ曲を聴くだけで涙腺が緩むのはミジンコだけではないことだろう。↓この曲だ。


もう泣いた?(;_;)俺も。

ジムのテレビのチャンネルを変えると「あ、コイツ、泣きそうになったからチャンネル変えやがったな!」と思われるのが口惜しいので動かざることマウンテンのごとしを貫いた。犬たちの首輪をきつく締めるシーンで悶絶。何度も観た作品ではあるが慣れない・・・・。デリーが氷の狭間に落ちるところで息が止まった。地平線の彼方に消えていくジャック、アンコの首輪の鎖を引っ張るという反則行為をしでかしたアザラシに激怒。あのアザラシめ!俺が相手だ、コノヤロウ!(涙)シャチに重傷を負わされるリキ。あのシャチめ!かかってこいや!いや来るな!まじ無理!シャチは無理!

なんだろう、残り2頭、つまり生還したタロ、ジロのみになって「もう誰も死なないんだ」とホッと一息となる映画って・・・・・。後はもうタロとジロの救援だけだと安心したものの、渡瀬恒彦(すげぇ若いな!)隊員が氷詰めになったゴロの亡骸を発見するというシーンがまだあったのだった。油断した。あの「ゴロ」の木の名札が氷の中から見つかるシーンはイカン(涙)

やっとタロ、ジロ発見。迎える渡瀬恒彦隊員と高倉健さん。け、健さん・・・・本当に凄い映画俳優だった。映画のクオリティーを演技で底上げすることができた数少ない俳優だった。タロ、ジロとの再会シーンでの高倉健さんのアップでまた泣けた。

故ポール・ウォーカーはディズニーがこの日本の「南極物語」のリメイク権を取得して映画化した「南極物語」の主演を務めている。ストーリーは日本のオリジナルとは大きく異なるものなのでリメイクという感じの作品ではないのだがポール・ウォーカーがアクション映画ではなかなか表現しにくい人間臭さを醸し出しており好演している。ポール・ウォーカーが旅立ってからまだ1度も観返していない作品だ。もうすぐあの事故から1年になるがまだまだポール・ウォーカーの出演作を観ることは辛い。「南極物語」だと、物語が物語なので尚更辛い。

母との思い出、犬たちの死、高倉健さんの雄姿、ヴァンゲリスの名曲、ポール・ウォーカーまで思い出してしまうこと、泣ける要素が多過ぎて堪らない作品であと少しでスパーリングなのだけれど、もーーーーー大変!

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映画「ワイルドスピード7 TOKYO HEIST(トーキョーヘイスト(東京の速さ))」の製作が再開された模様。このイメージ図には2014年とあるように本来は今年公開を目標にしていた作品だ。シリーズ3作目からメガホンを取っていたジャスティン・リン監督が製作を急がせる映画会社と対立して降任、そして主演のポール・ウォーカーの事故死とシリーズ存続が危ぶまれていたが前作は6億ドルの興収を上げるほどの大ヒットシリーズであり、映画会社としては中止は有り得ない選択だったのだろう。

このイメージ図にもあるように次回作ではジェイソン・ステイサムも出演する。6の最後の最後に少しだけ登場して、次作への登場を匂わせていた。5作目でドゥエイン・ジョンソンが登場し、6作目では3番目の主人公と化していた。ポール・ウォーカーが健在だったときでも、シリーズを引っ張ってきたポール・ウォーカー、ビン・ディーゼルの2枚看板ではダメなのかな?と疑問だった。元々の第1作目からして、低予算で豪華キャストでもないところがむしろ人気を博したというのに、段々と巨額の予算で高額なギャラで既に主演作が何本どころか何十本もあるスター俳優たちを起用する方向性にはずっと疑問だ。そこはシリーズが愛され続けている理由からはズレまくっている。

そう、ワイルドスピードの次回作には不満タラタラなのではあるが、富士山や東京タワーを背景に日本車をはじめとするモンスターマシンたちが駆ける雄姿が観たくないといえば嘘になる。それにポール・ウォーカーはずっと共演してきた家族とも言える仲間たちが出演する次回作の成功を願っていることだろう。そういう漢だ。

個人的な願いを言うと次回作でもポール・ウォーカー演じたブライアンは生きているということにして欲しい。前作のラストで3作目のTokyo Driftでクルマが横転炎上して命を落としたとされていたサン・カン演じたハンが実はなにかの陰謀によって事故死にみせかけた暗殺だったという演出をしていた。(※ 3作目の途中と6作目のラストシーンはまったく同じ時間軸)
ハンの死は序章に過ぎないといった演出だった。それは勿論ポール・ウォーカー演じたブライアンを含めたメンバー全員が標的だということだったのだが、本当にブライアンがその刺客の手にかかって死んでしまったといった演出は勘弁して欲しい。数々の窮地を脱してきたブライアンが7作目の冒頭でCGで登場してあっさり死亡、ドミニクたち残された仲間たちが復讐に燃えるといった演出は浅はかだ。ブライアンはそんな簡単には死なない。

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ギャレス・エドワーズ監督だということをもっと意識していればここまで失望しなかったことだろうと映画を観た後で気がついた。「ターミネーター 4」の監督が「チャーリーズ・エンジェル」(監督)や「The OC」(製作総指揮)のMacGであることを覚悟していたので、ターミネーターの大ファンであってもある程度の諦めがあって映画鑑賞後も「まぁ、こんなもんかな」と達観していられた。今回の「ゴジラ」も油断するべきでは無かったのだが、ギャレス・エドワーズ監督がまさか「モンスターズ/地球外生命体(原題:Monsters)」と同じような作品を大予算映画ではやるはずがないと疑ってすらいなかった。そこが今回は甘かった。

「モンスターズ/地球外生命体(原題:Monsters)」、この作品をご覧になった方はそうは多くないだろう。国内での上映館は僅かでその僅かな上映館でも人は入っていなかった。50万ドルという低予算でギャレス・エドワーズ監督が監督だけではなく撮影からCG製作までほとんど全て一人でこなし、主演の二人以外は全てその撮影現場にいた一般人の出演協力で完成した作品だ。その余りにも奇抜な手法により話題となり同作品は大ヒットとは言わないが大幅な黒字となったようだ。

この原題が「Monsters」な作品、日本で公開された時には地方の映画ファンたちなどは近場で見る術が無く、DVD発売/レンタル開始までは相当に期待されていた。そしてDVDリリース後はAmazon.comなどで批判の嵐。まさかに「駄作、金返せ」のシュプレヒコールが上がっているようだった。その批判する気持ちは“劇場で鑑賞後にポカーンとなった”自分には予想できた。なぜなら、その「Monsters(モンスターズ)」というタイトルの作品では怪獣らしきものは合計でもほんの十数秒ほどだったろうか、その程度しか登場せず、作品はなんと「恋愛ロードムービー」だったのだ。恋愛が散りばめられた作品だということは知ってはいたが、まさに上映時間90分強が苦痛に思えるほど俳優も女優もなんともビミョ~なキャスティングな上に他の登場人物たちは前述のように一般人の皆さん、その場限りのエキストラにしては皆さん演技が上手いとは思ったが現地メキシコの公用語であるスペイン語か英語が分からないと彼等の演技力を測ることも難しいのだ。

鮨屋に行ってラーメンを出せというのはただの迷惑な客だと思うが「モンスターズ」というタイトルの映画で事前に宇宙からの謎の生命体云々の話を聞いた上で映画を観てみたら、映画は全編を通じてただの恋愛ロードムービーでは怒るのも無理はないだろう。その衝撃も4年ほど経つと薄れてしまっていたようで「ゴジラ」の監督への警戒を怠った自分の迂闊さが許せない。くそう!

今回のゴジラ、CG部分は勿論のこと素晴らしく、称賛すべきところも多々ある。但し、やはり監督の演出力がエンターテイメント作品を作る上で余りにも足りない。今のCG技術が向上した状況で大予算で怪獣映画を作ればこの位にはなるよなという及第点にギリギリ届いている程度で「ゴジラ」の映画である必要性が全く感じられなかった。日本や日本の怪獣映画製作者たちへのリスペクトは大いに感じられるのだが、その尊敬を示す姿勢は作品のデキで表して欲しかった。劇中の台詞や設定、登場人物の名前でそこかしこに日本の怪獣映画への尊敬の念は伝わって来るのだが、出来上がった映画が怪獣映画というよりもまたしてもアメリカの軍人がサンフランシスコに住む妻子に出会うまでのロードムービーと化しているのでは台無しだ。 語ればキリがないし今の時点での数多くのネタバレは避けたいので、なぜにそこまで今回の「ゴジラ」に失望したのかを箇条書きに留めておく。

・以前にも「ゴジラは核実験の落とし子であるべき」にて述べたが、アメリカや旧ソ連の水爆実験の数々がゴジラを倒すために行ったとする設定はゴジラが核兵器により生み出された人類への戒めという理念を侮辱したものである。ゴジラが吐く炎は実は放射能を含んでいるという核兵器を生み出した人類への強烈なしっぺ返しであるというコンセプトは変えるべきでは無かった。アメリカは悪くないといった考え方ではゴジラは成立しない。核兵器はどうあっても悪だ。

・映画のタイトルを「MUTO(ムートー)」にすべきだった。ゴジラの僅かな出演時間に比べて映画序盤から最後までゴジラとは別の怪獣であるムートー夫妻が大活躍。ムートー夫妻のデザインがとても人気が出る感じのしないホッキキスと昆虫が合体したようなものであることも残念。

・ハワイでのムートー(オス)とゴジラが対峙した後でシーンが変わり、劇中待ちに待った最初の怪獣同士の対決シーンは劇中のテレビ画面でチラッと映るニュース映像で一瞬だけ流れるだけ。ラスベガスを壊滅させるムートー(メス)の描写もほとんどなくこれまたニュース映像でちょこっと流れるだけ。「モンスターズ」と同じような怪獣チラ見せはこの監督の性分なのかもしれない。

・長年ゴジラやムートーを管理・研究していたという機関の幹部(?)の博士である渡辺謙や助手の女性博士は結局はなにもしていない。米軍司令官に苦言を呈する役目が主な仕事だったようだが、広島原爆投下の瞬間で止まった懐中時計が父の形見として司令官にわざわざ見せるシーンなど、核兵器へのアンチテーゼ的な演出はあるものの総じて薄っぺらい。主人公の父親、母親、途中で出てくる両親とはぐれたアジア系の少年など、いる意味が全くないとは言わないが余りにも人物描写が希薄なのでまるで謎のキャストとなっている例がほとんどというキャスティングが総じて「なぜ?」と感じる稀有な作品だ。こう言ってはなんだが人間のキャストが全員いなくとも成り立ってしまうほど各キャストの存在意義が薄い。

・人間の主人公がいないといけない妙な縛りがあったのだろうか?主人公の米軍大尉が太平洋を横断しつつ、日本の架空の廃墟の街からハワイ、そして米国本土へと怪獣がらみの作戦に全て参加しているのだがどうしてもいないといけないキャラクターだったのだろうか?いちいち「愛」というテーマを盛り込まないと興行収入的に失敗すると恐れての演出が透けて見えている。

・ゴジラが人間の味方のような演出にこだわる余りに人間のほとんどはムートー夫妻に殺され、街を破壊しているのもほとんどがムートー夫妻のせいという作り方は大きな違和感があった。ゴジラはまさに人間では抗しようがない天災のような存在であるはずが、なんでかゴジラは人間には余り猛威を振るわない。むしろゴジラはムートー夫妻しか眼中になく米軍の攻撃などはまったく意に介していないのではあるが「ゴジラは人を殺さない」といったおかしなコンセプトに縛られて作られたような妙な演出の数々でゴジラ作品としてはわざわざ迫力不足にしてしまった。今後予定されているという三部作の2作目3作目への布石なのかもしれないがその布石自体が逆に今後の展開の足引っ張りになる可能性が高い。ラストも(またしても劇中のニュース映像で)「ゴジラは救世主か!?」とあったが余りにも陳腐な演出で笑ってしまった。

・最終決戦の映像が暗くて良く見えない。CGを誤魔化す手法として夜間というやり方はどうにかならないものだろうか?この作品に限らずCGを多用する作品はわざわざ戦闘シーンを夜に行う。「パシフィック・リム」の香港での戦闘などもそうなのだが怪獣やイェーガー(巨大ロボ)の各所が光を発しているので見え辛いというものの、どう腕や足が動いているのかは分かる。今回のゴジラの場合は絶望的に怪獣たちが闇と同化してしまうシーンが多く、これで関係者試写会で疑問視されなかったのか本当のところが知りたいところだ。まさか関係各位全て夜行性とかだろうか?

ちなみにゴジラの咆哮はシリーズ屈指の大迫力だ。あの咆哮を聴くためには是非とも劇場での鑑賞をオススメしたいが困ったものでストーリーをまったく支持できないので高い劇場鑑賞券、ましてや3D鑑賞券を安易にはオススメできない。再びゴジラ製作を決定した映画会社の幹部たちは恐らくは「Monsters」を観ないままでギャレス・エドワーズ監督起用にゴーサインを出したのだろう。何人もの有名な監督の名が挙がっては消えていく中でゴジラ監督選びは難航していたことは明らかだった。映画会社幹部たちは知らないだろうが「Monsters」は怪獣映画ではなく、陳腐な恋愛ロードムービーなのだ。それが今回のゴジラの悲劇の始まりだった。

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この夏最大の話題作が人知れずDVDリリース。一応5年くらい前に当ブログでも扱った「メガシャーク VS ジャイアントオクトパス」、一応最後まで観たものの直径1cmほどのロープで拘束されてしまう体長100メートル超はあるクロコザウルスに失望してレビューを書くことをスルーした「メガシャーク VS クロコザウルス」、そして待ってなかったけれど待っていました!メガシャーク・シリーズ第3弾、「メガシャーク VS メカシャーク」のお出ましだぜ、皆の衆!ちなみに劇場予告編を当ブログで紹介したら結構反響があって驚いた。みんなどうかしている・・・・(ボソ

アサイラム作品なので当然のごとく主人公を含む主要キャストに役者オーラが無い。


信じられないだろうが向かって右が主人公の女性パイロット。彼女はアメリカ海軍が誇るエースパイロット。その為、極秘に開発を進めていたメカシャークのパイロットに選ばれた。隣の男性がメカシャークの開発担当のエンジニア。なんだか人事に恣意的なものを感じるが細かいことを気にしてはアメリカで生きていけない。優秀なパイロットであるこのおばちゃんが若干メタボ気味なことも気にしてはいけない。アメリカ社会で生活していて、それは仕方のないことだ。アメリカでは空気を吸っても水を飲んでも太る。

ちなみに右がメカシャーク起動時の内部の機械の様子。自作PCでたまに見かける赤いダイオードが輝く空冷ファンだ。秋葉原や通販などで買える。メカシャークも見た感じ自作できそうだ。

こういった庶民的な部品に囲まれたメカシャークのコックピット。それでも人工知能「ネロ」が色々と難しいことを担当してくれるのでパイロットはラクチンだ。


これは生(ナマ)の方のメガシャークが民間航空機にかぶりつこうとしていたところを機械のメカシャークが体当たりして防いだ瞬間を捉えた貴重な写真である。なんで海の生物がわざわざ雲の上を飛ぶ旅客機を食べようとするのか、その感覚は理解に苦しむがメガシャークの気持ちは誰にも分からない。恐らく監督ですらメガシャークの行動原理なんていちいち考えて映画を作っていなかったことだろう。テキトーに襲い、テキトーに暴れて、テキトーにやられる、これらテキトー三原則を堅守してこそのアサイラムのモンスターたちだ。

アメリカ沿岸で軽く空母などを沈めた後でメガシャークはオーストラリア方面に向かう。なんでもデカいながらも基本はサメということで繁殖期もあり、その繁殖のパートナーのいるであろうオーストラリア方面に向かったと博士が力説。ちなみに劇中、誰もメガシャークとは呼ばない。終始、古代生物のメガロドンと呼んでいた。原題でも「メガシャーク」ではあるのだが基本このシリーズの巨大サメは太古のメガロドンが復活したという設定らしい。そんな貴重な古代生物を艦隊で猛攻撃するアメリカ軍は容赦ないぜ!USA!USA!USA!

戦闘中に負傷したおばちゃんパイロットが一端メカシャークから降りる。人工知能のネロにメガシャークの操縦を託す米海軍。ところがネロが暴走してメカシャークがオーストラリアの都市で大暴れ、予告編では陸上モードのメカシャークが大活躍するとばかり思っていたのだが、陸上に上がったメカシャークはひたすらオージーたちを食い散らかしていた。陸で巨大戦車と化したメカシャークが大暴れ、海からはメガシャークがやってきてオーストラリアの被害は甚大なものに。


これぞ、メカシャーク陸上モードの雄姿。どうせオーストラリアで暴れるのならばメカクジラの方が良かったのに・・・・。


オーストラリア沿岸で暴れるメガシャークに拳銃で応戦する米海軍司令官。「勝負はついていない」というよりもメガシャークに相手にされていない。

艦隊は全滅、海に漂う司令官。そこで静かに救助を待っていれば良いものを負けず嫌いな司令官は、わざわざ自分が生きていることをメガシャークに知らせる。こういうところがアメリカ人らしいといえばらしい。後先考えずに先ずは「負けていない」ことを主張する。

その主張の結果が・・・・・


お約束の結果に・・・・。雉も鳴かずば撃たれまい。メガシャークからしてみれば、司令官なんてあさりのお味噌汁にたまに入っているミニ蟹くらいの食べ応えしかないだろうに、わざわざ喰いに戻って来るなんてよほどアタマにきたのだろう。確かに自分の周囲を飛ぶ蚊が「かかってこいやー!」とか言ってきたら全力でつぶしにかかるかもしれない。

そんなメガシャークも開発エンジニアの機転によりメカシャークもろとも大爆発。最初から無人のメカシャークをミサイルと化してメガシャークにぶつけておけばオーストラリアは壊滅せずに済んだのに!それだとメカシャークというよりもサメの形をしたミサイルでしかないけれどさ。

正直いってアサイラム作品としては今作品は突き抜け方と馬鹿馬鹿しさの両面で小粒だった。タイトルからして相当期待されるものだったが、妙にちゃんと作ろうとして外してしまった感がある。アサイラムがちゃんとした映画を作ろうとしても無理があるというものだ。もっと身の程を知った作品作りを心掛けて欲しいものだ。こんなことではメガシャークも浮かばれない。

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この夏最大の話題作「メガ・シャーク vs メカ・シャーク」の予告編。
皆さん、お待ちどうさまでした!誰だ!?待っていないとか言った不届き者は!そんな腐れ外道はメガ・シャークに丸呑みにされちまえいえいおー!

原子力空母へダイブして撃沈するメガ・シャークの大迫力!そして今話題のダイオウイカも参戦!そして気になるのはメカ・シャークの陸上モードだ。それはもはや設計段階からしてサメに括る必要は無かったでは・・・・。

5/18(日)からの劇場公開。きっと誰も行かないんだろう!わかってんだかんな!ヽ( `皿´ )ノ

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上の画像はDVD版のメニュー画面。視覚障害者や聴覚障害者の為の様々なモードが用意されているDVDであるが故にこれ程の種類の鑑賞方法がある。試しに2度目の鑑賞のときは「視覚障害者対応日本語ガイドあり字幕なし」で鑑賞したみたがこれが役者たちの詳細に渡る動作や雰囲気を解説しており視覚障害の無いミジンコにもすこぶる快適に思えた。そしてほとんどの映画のDVDにはこういった多岐に渡る障害者対応モードが無いことにも気がつかされた。こういった複数のモードを用意することによって製造コストが上昇してしまうのだろうからメーカーとしてはおいそれと手が出せない部分なのだろう。先日、消費税増税に伴い生活保護費が上がるというニュースに憤った。社会保障を支える側の納税者は消費税増税分を節約や我慢で乗り越えているというのに、支えられる側の生活保護受給者には単純に消費税増税分に値するお金を安易に渡してしまう制度設計には重大な欠陥がある。自分の場合は、こういう障害者対応モードをつけたDVD/ブルーレイ作品には補助金を国庫から支給するといった税金の使い方の方がまだ納得がいく。働けるのに働かない生活保護受給者たちよりも望まないかたちで障害を持ってしまった人々が映画を楽しめる社会の方が感情的にしっくりくるからだ。バリアフリー社会もそうだがそういうところにお金が使える社会はそんなに悪いものじゃないと思う。

さて映画レビューもしないわけにはいかない。そこは作品の趣旨とは別に鑑賞者としての率直な意見に徹したい。もしオリンピックにパラリンピックに出るべき障害を有する選手が出場したとして、その選手が負けたときに「障害者だから仕方がない」といった感想は失礼なことだ。あくまでも競技の中では誰もが同じ条件だと見るべきだろう。その選手がオリンピックに出た以上はオリンピック選手であるのだから健常者の選手たちとまったく同じ基準で見られるべきだ。だから、この作品が障害者風俗の実情を訴えたビデオではなく映画としてエントリーしている以上、映画としての評価をしたい。

評価はとても低い。映画のレベルで言えば素人の自主製作映画をギリギリ超えている程度だ。68分という短い尺で助かったと思えるほど作りが雑でカメラワークまで素人かと思うほどだ。演出も雑なんていうものじゃない。まるで行き当たりばったりの撮影にすら思えるものでただカメラをまわしただけのようなシーンが続出する。主演・沙織役の小泉麻耶の棒読みはそれがデリヘル嬢だからそうやって心をどこかに置いてきてしまったような演技をしているのか、それとも単純に棒読みしかできない役者なのか最後まで分からないままだ。津田寛治、モロ師岡などのベテラン俳優たちはさすがの演技をしているのだが演出する側の監督に役者を生かせる技量が無いように見えた。学生たちの卒業記念作品を出品しちゃいましたといった作品でこういうのあるなぁとか、一応はフィルムフェスティバルと称する催しにて頼まれたので断れずに選考委員なんてことをやった身としてはあの悪夢の再現のようだった。撮る側の技量が低い作品を10分、ましてや68分間も観るのは本当にきつい。

そんな作品をなんでレビューする作品に選んだのかといえば撮影技術や演出は本当に最低の部類に入るのだが「監督が本当に作りたかったであろう作品は大傑作となったかもしれない」と感じるから。本当に酷くつたない作品なのだ。ところどころというよりも延々とド素人みたいな演出が続く。それでも本当はどう撮りたかったのかな?と思いを巡らせると世界で最高に惜しい作品なのではないかと思えてしまうのだ。監督の力量が上がり、作品作りができるレベルにまで達していればきっとこの作品は映画史に残る傑作だった。これは元々が監督がドキュメンタリー作品として作る予定がNHKに拒絶された為にノンフィクション作品化、つまりいきなり映画化となってしまった不幸が大きい。なにしろ自主製作映画すらも作ったことがない監督がいきなり撮った作品なのだ。

物語の主人公は障害者専門のデリバリーヘルス嬢、略してデリヘル嬢だ。デリヘルとは本番行為(セックス)はせずにお客様、そう男しか客はいないのだがそのヤロウどもからセックス抜きで抜く作業をお手伝いするという性風俗サービスだ。セックスなしというところが日本ならではな感じがするが本当にセックスは禁止なのだ。そ、それでいいのか!?と思ってしまう自分はまだまだ分かっていないのかもしれない・・・・が、やっぱりおかしくないか?と思ってしまう。まぁ、余り脱線しても仕方がないのでともかく、そのデリヘル自体はなにも障害者の為にあるわけでもなく健常者の男たちの方がむしろ利用している風俗だ。お客の自宅やホテルなどに出向き、エッチなサービスをしてセックス抜きの抜き(しつこい?)を完遂する、そんな抜きのプロがデリヘル嬢だ。主人公は元々は普通(健常者向け)のデリヘル嬢であったが過去の客とのトラブルもあって障害者向けデリヘル嬢に転向する。そのデリヘルサービスのオーナーが日本の性風俗産業についてや障害者の人口などに触れて競合の少ない障害者向けに特化したデリヘルは絶対に成功すると力説していた。説得力がある弁ではあったがその後の常連客たちの数々を知るに決して順風満帆な事業とは到底思えない。むしろあそこまで苦労が多い事業は例えそれが風俗サービスであってもなにかしらの強い信念がないと継続できるものでは無さそうだ。

そう苦労が多いのである。なにしろお客様は全て障害者。そして障害者だからといって大人しくて性格が良いとは限らない。むしろ障害者であるが故に性格がひん曲がった客が次々と・・・・・。なんで本番行為(セックス)なしを先ほどわざわざ強調したのかといえば、作品中の演出ではなく本当に障害者であるホーキング青山演じる常連客が本番させろとしつこいのなんのって、もうそればっかりなのだ。最初はそのしつこさにイヤな感じしかしなかったが、それが段々とせつなくも感じた。よくよく考えれば健常者ならばまだ他にチャンスがあるやもしれないセックスの機会は障害者デリヘルの客からしてみればそれが唯一無二のチャンスなのかもしれないのだから。「今度、電動クルマイスでカーセックスしてみない?」というホーキング青山には笑った。でもそういう自虐的な冗談を話せるようになるまで彼が噛み砕いて飲み込んできた人生の数多の口惜しく悲しい経験は想像を絶するものがあるであろうし、それを本当に冗談で済まして良い言葉なのか悩む。

常連客のまだ19歳の青年がいる。沙織が自宅を訪ねると母親が招き入れてくれる。裕福そうな家庭の息子は事故で脊髄を損傷して半身不随だ。障害者にはプライバシーがない。聞くと母親が望んでデリヘル嬢を呼んでいるという。息子の生殖能力が女性に触れることで回復すると信じている母親なのだ。母親が沙織に「ちょっと2時間ほど買い物に出かけてきますね。」と外出する。勿論、それは方便で近く公園で時間を潰す母親。耐え難い映像だ。息子の方は沙織がなにをしようとも下半身はどうにもならない。そして「もういいです」と沙織を拒絶する。沙織はその後、この青年に余計なお節介をするのだが余計だったかどうかは本当のところは分からない。その答えを安易に出すわけにはいかないのだ。それはその青年が何年、いや何十年も人生経験を積んでから出すべきことだ。・・・・と自分は思うのだが監督の方が実は妙なハッピーエンドに持って行こうとしているようなラストの演出で若干萎えた。

本当に惜しい。こんなに惜しい作品はそうはない。演出が余りにもつたないので映画として見ると到底評価できない作品なのではあるがもっと丁寧に作り込んでさえいれば傑作の誕生のはずだった。

拍手[13回]

恋愛映画が大嫌いだ。安易なストーリー、設定、「人はそんなに簡単に一生の恋に落ちるものか?」と疑問になるようなチープな恋愛をテーマにした作品がやたらに多くて避けたいジャンルではある。美男美女がちょっとしたつまずきを経験しつつもとりあえずキスをすれば解決といった駄作を観た後では無駄にした時間のせいでもったいないオバケたちが周囲でカーニバルを開催する。

そりゃ興行成績を考えれば恋愛をテーマにした方が無難ではあるのだろう。恋愛を描けばカップル客のデートでの選択肢となる可能性やその後のソフト化したときの出演者たちのファンによる売上も期待できるのだろう。そういう恋愛駄作の連発により邦画界は緩やかに自殺をしている感すらある。出演者の人気だけに頼った作品作りでは結果的にはその出演者たちに「駄作に出た」という喜ばしくないキャリアを与えてしまい、キャスティングの際の候補から外されやすくなる。そして次から次へと事務所の力頼りでしか出演オファーがやってこない俳優たちの出来上がりだ。本来はポテンシャルの高い俳優、女優は数多くいるというのに出演作が出演者たちを潰す。特に安易な設定の恋愛映画ではその傾向が顕著であると考える。

ここまで恋愛映画批判をしておいてこう言うのもなんだが恋愛映画の傑作がある。今回取り上げる「箱入り息子の恋」だ。人が人を好きになるときの描写、笑い、泣き、全てが見事に描かれている。先に述べておくとラスト20分ほどは蛇足な作品だ。具体的にいえば開始から1時間35分あたりまで、吉野家の牛丼号泣食いシーン(←後述)までで邦画の歴史に残る傑作となっている。

主人公は35歳の市役所勤務。記録係、13年の勤務で異動・昇進なし。友人、恋人なし。年齢と同じ年数だけ彼女なしということだ。そして余計なお世話だが童貞。平日も昼食を家でとって職場に戻る。同僚との交流もほとんどなし。夜と休日は格闘ゲームに時間を費やす。そして見た目が・・・・


星野源演じる主人公の天雫健太郎(あまのしずく けんたろう)は自他ともに認める根暗でパッとしない男だ。いわゆるコミュニケーション能力に問題があるタイプで人との接触を極力避けて生きてきた人物。

両親に心配されるほど他人との接触を求めない健太郎は雨の日にズブ濡れになりながら立ち尽くす女性に傘を差しだす。なにが起きているのか的確には把握できていないまま傘を受け取るのは夏帆演じる盲目の女性・今井奈穂子(いまい なおこ)だ。この夏帆の盲目の演技が凄い。今までに障碍者を演じる健常者の役者は数多く見てきた。夏帆の演技は群を抜けている。夏帆の盲目の演技はその演技手法を後世に残して欲しいと思えるほどに見事であり、その役作りをどのようにしていったのか非常に興味がある。盲目を演じる役者ではなく盲目な人にしか見えないのだ。


これは静止画だがどうだろうか?天使だ・・・・。い、いや、そういうことではなくて(汗)
彼女が盲目にしか見えないのだ。終始ブレることもなくずっとこの演技。夏帆の役作りの凄さが伝わっただろうか?

健太郎と奈穂子はお互いの両親が勝手に進める中、お見合いをする。実際にはお見合いといった形では成立しておらず、夏帆の父(大杉漣)の慇懃無礼な態度によりお見合いは破綻した。お互いの親が子供を愛するあまりに辛辣なことを言ってしまう。奈穂子が8歳のときから視力を失う病を患い今は全盲であると聞くと健太郎の母(森山良子)は「遺伝性」であるのかどうかを訊く。遺伝性の病気であるというのであればもうこの先の話はないと言ったようなものだ。こういった悪気のない発言のほうがきつい。奈穂子の父も健太郎を必要以上に蔑む。まるで自分の娘が盲目であることへの八つ当たりのように健太郎がいかにダメな男であるのかをいちいち解説するかのごとく罵詈雑言だ。

お見合いは台無しになったものの奈穂子の母(黒木瞳)が娘を思って行動に出る。健太郎の勤務先である市役所を訪れる母。ここから邦画史上屈指の恋愛模様が描かれる。

健太郎と奈穂子の初デートの場は牛丼の吉野家だ。奈穂子が望んだからだ。二人が会っている公園の外側、クルマの中で待っている奈穂子の母に奈穂子と食事に行くことの許可を取りに行く健太郎。その生真面目さに笑う母。奈穂子の母は二人を会わせたくて行動したのだ。許可もへったくれもない。そして健太郎はもうひとつ母親からの許可を願う。「手をつないでも?変な意味じゃなくて!」言うまでもなく手をつながないと吉野家まで誘導できない。


奈穂子が左利きだということに気がつき箸を動かすときに邪魔にならないようにと逆側にこっそり移動する健太郎。奈穂子の一口がとても大きい。初めて食べる牛丼に慣れていないのだ。盲目の人の苦労をこういうところで学べる。健常者がなんてことはなくこなす牛肉とお米を混ぜて食べることが最初は上手くできない。上の牛肉だけをこんな感じで食べてしまうとお米が余ってしまう。盲目の女性は化粧や好きな人の顔を確認することができない。そして牛丼を牛肉とお米をバランスよく口に入れることもできない。盲目の方々はそういうなんてことはない幸せすらもなかなか経験できないことを健常者はもっと理解しなければならないのだと勉強になった。

その後、世界最高に微笑ましいキスシーンがある。そのシーンは是非とも作品をご覧になっていただきたい。そのシーンはミジンコがとやかく言うまでもなくご覧いただければ分かっていただけると確信している。キスシーンで応援したなんて生まれて初めてだ。

奈穂子の父は終始一貫して健太郎には酷い態度を取る。企業経営者としての自信とプライドがモンスター化して出世からは遠い健太郎に襲いかかる。健太郎の母も感情的にならざるを得ない状況下とはいえ「あなた耳まで悪いの?」と奈穂子に言葉の暴力を投げつける。どちらも子供の身を案じての行動ではあるのだが行き過ぎてしまう。

奈穂子の母は娘にお見合いをさせる理由として自分たちの方が先に逝ってしまった後の娘の心配を挙げている。つまり自分たちに代わって娘を介護する相手を見つけようと宣言しているようなものだ。そこに悪意はないがその考え方では娘は一生の伴侶を見つけられない。

奈穂子の父が健太郎に厳しいのも娘を思ってのことだ。人間としてはどうかと思う数々の言動も実は娘の人生のパートナーを探す上では避けては通れない現実的な問題だ。相手の収入、将来性など相手のいない場では声に出して検討する内容ではある。この父親は相手に面と向かって声に出して言うから悪役のような存在になっているが一人で吉野家から帰る娘をクルマで迎えるシーンでの優しい笑顔は嘘ではない。

平泉成が演じる健太郎の父が物語の影の主人公だ。息子と正面から語り合うことを長い間避けてきた自分を責め、そして奮起するがなかなか上手くかみ合わない愛すべきキャラクターだ。劇中、健太郎の父は一度も奈穂子が盲目であることについての感想を述べていない。不器用な父親ではあるがそういうことを飲み込める大きな人物なのだ。格闘ゲームが妻よりもヘタクソなところも良い。

6人もの主要キャストが全てその役割を見事に演じている稀有な作品だ。この作品に関しては「Shall we ダンス?」や「そして父になる」のようにハリウッド映画化は難しいのではないかと見ている。6人ものキャスティングがベストマッチするようなことは先ずハリウッドでは不可能ではないかと思えるからだ。特に夏帆と同じような演技力のある若手女優が果たしているのかどうか、そこは疑問だ。

一人で吉野家に入った奈穂子は牛丼を食べながら号泣する。そしてもう一人も号泣。この作品を傑作たらしめた名シーンだ。夏帆が凄い、凄過ぎる!人を好きになるということはこういうことだ。このシーンの後は少しのやり取りで作品が終わっていれば尚更良かったように思う。ところがその後20分余りも物語は続くのだ。前述のように蛇足だ。

この後、健太郎と奈穂子がどうなるのかはまだ分からないところで作品は終わっている。末永く二人は一緒になるのかもしれないし、あっさりと二人の関係は終わってしまうのかもしれない。お互いの両親全員が二人の交際を賛成となったところでむしろ二人の方が冷めてしまうなんてことも恋愛ではあるやもしれない。そうは言っても二人が再び吉野家に行くところを願わずにはいられない。そんな心地良い作品だ。

拍手[35回]

サメとなにかしらのコラボはC級以下のモンスターパニック映画では数々描かれてきた。「シャークトパス」はサメとタコが合体したモンスターが大暴れ。巨大なサメと巨大なタコの対決を描いた「メガシャーク vs ジャイアントオクトパス」といった巨大モンスター同士の対決モノでもサメはワニやタコと並ぶ常連だ。今回はサメと竜巻のコラボ。竜巻に巻き込まれたサメたちは被害者とも思われるがその竜巻の被害者たるサメたちはなぜか空中殺法を駆使して人間を襲う。

アメリカでのテレビ映画ではあるので予算も少なくできることは限られていたのだろうがそれにしてもショボい作品だ。ラストでチェインソーを持った主人公が空から襲いかかるサメに丸呑みにされるものの中からチェインソーでサメを切り裂いて生還するといったこういう作品にありがちなトンデモ演出はあるものの作品全般からのスタッフと出演者たちのやる気の無さが伝わってきてつまらない作品が更につまらなくなった印象。

  ではなぜ数あるC級作品からこの作品をレビューに選んだのかといえばDVDを再生してすぐに衝撃の事実があったから。ジョン・ハードが脇役で出演していたのだ・・・。80年代、90年代の作品で脇を固める名優として活躍していたジョン・ハードが歳をとって(現在69歳)、こんなしょーもない作品に出演していることにはいささか衝撃を受けた。しかも作品中での扱いも酔っ払いのセクハラ親父。バーから武器として持ち出したイスを駆使して女性をサメから救ったり、別の場面ではそのイスでクルマの窓ガラスを割って犬を救出したりもしていてその後の活躍も期待したが作品開始から30分後に・・・・・。嗚呼、空気読めないサメのバカヤロウが!(涙)

驚くべきことにこの「シャークネード」、そのあまりのくだらなさにツイートなどで大反響。既に続編の製作が始まっているのだそうな。主人公の元妻役で出演したタラ・リードは続編にも出演するそうでインタビューでこう答えている。
「みんなと同じくらいわたしもびっくりしているわ。ジョークのつもりで出たんだもの! 誰も観ないと思っていた。そしたらこんなに大きなことになってしまって、そろそろ静まるかと思っていたけど、『シャークネード』人気は衰えることを知らないみたい」(シネマトゥディのインタビューより)

誰も観ないと思っていたって・・・・・。ここにこういう作品を網羅している人間がいるんだが・・・・・。まぁ、確かに普通の人生を送っていてこんな作品に1時間半も使ってしまうことが起きたらそれは事故みたいなもんだ。

サメが人を襲うシーンでは特に見るべきところもない駄作中の駄作ではあるのだが離婚の真実を的確に描いたシーンがある。まるでドキュメンタリーのようだ。

サメ竜巻で都市がパニックになっているところで主人公と愉快な仲間たちが主人公の別れた元妻と子供たちを心配して様子を見に行く。サメの雨が降り注ぐ中での決死の救出活動だ。


これが離婚の現実だ。命がけで別れた妻を助けに行ったところで門前払いをされていた。サメが空から降って来るので強引に元妻の自宅に入り込む主人公とその仲間たち。不法侵入でロスならば射殺されていてもおかしくない状況だ。

そして主人公は娘発見。その娘の最初の言葉が・・・・・


竜巻に爆弾を積んだクルマを体当たりさせてサメを街に拡散させた超馬鹿主人公ではあるがこの点は同情している。

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ミジンコ
性別:
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職業:
戦闘訓練を受けた経営者
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自己紹介:
詳しくはプロフィールをご覧くだされ。
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