まぁ、言いたいことはこの記事のタイトルである「生還したクライマーへのバッシングは逝った人への冒瀆である」に終始する。
冒険家・片山右京の冬の富士でのトレーニングについてね。
正直いって片山右京へのバッシングが盛んなことに驚いている。勿論、片山右京は泣き崩れるのみでバッシングに対しては一言も触れないわけなのであるが、果たして彼をバッシングしている者たちは冬山登山の現実を少しでも知っているのだろうか?
元々人間が生きられない場所に登って帰ってくる冒険に赴いた3名の内、不幸にも2名が命を落とされて1名が生還。悲惨な事故ではあるが冬山、ましてや日本最高峰に望んだ3名のアタックに対して、生き残った1名に対して亡くなった2名の責任を負わせるということ自体がその亡くなられた2名の方への侮辱になってしまう。
よく7000feet以上は(極限状態なので)自己責任(←要は見捨てられても文句は言わない)とは聞くが、アタックチームの人間は一歩でも足を進めたらそこからは自己責任だと覚悟して入山している。
報道によってはあたかも亡くなられた2名の方が素人のような表現すらあるが、彼等はそのキャリアからして誰もが認めるクライマーたちだった。
なんでもかんでも噂話をベースに片山右京がユニクロの防寒着だったとか、社員を巻き添えにしたとか叩くのは人間としてどうかと思う。
ミジンコが見たVTRでは片山右京はユニクロの上に冬山仕様の防寒着(ミジンコが見た限り世界の一流クライマーが使用している高性能なもの)を着ていたし、山のキャリアが豊富だからこそ片山右京の会社の社員に成り得たという要素は排除されて、あたかも片山右京が強引に社員たちを誘ったかのように騒ぐ“山に入る覚悟”を馬鹿にしているかのごとき外野たち。
覚悟をしないで山に入るクライマーはいない。
遺族の方々の声明文が読み上げられたときに片山右京は号泣していたが、その内容が亡くなったお二人がご家族に、山について、そして山に入る覚悟をよく伝えていたことが解ったからだと思う。
亡くなったお二人がさも片山右京を恨んでいるかのごとき妄想ストーリーを構築して延々と数日間にも渡り片山右京バッシングを続けているバカヤロウたちはクライマーたちを馬鹿にし過ぎている。
確かに冬の富士でテントを設営など無謀過ぎる訓練だったとは思う。それでも冒険に赴いた3名の内の生還者に確認の取りようが無い2名の方々の思いを“勝手に代弁する”山のド素人たちがいつまで経っても片山右京バッシングをしている己の醜さに気がつかないようなので記事にした次第。
亡くなったお二人もクライマーであり、ご遺族の方々はクライマーの家族だ。彼等の覚悟を先ずは考えてから自分がバッシングをする立場にあるのか考えてみて欲しい。
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