民主党の小沢一郎幹事長は27日夜の那覇市内の会合で、各国の政権交代事情を紹介する中でオバマ米大統領誕生に触れ「米国はオバマさんという
黒人を選んでまで、世の中を変えよう、国を変えようと国民が選択した」と述べた。
人種偏見が残る米国で、黒人大統領が誕生した歴史的意義を強調したものとみられるが、言葉足らずの「失言」として波紋を呼ぶ可能性もありそうだ。小沢氏は昨年11月にもキリスト教について「排他的で独善的な宗教だ」と述べ、日本キリスト教連合会が抗議するなど物議を醸している。
(以下略)
ソース元:
共同通信
「選んでまで」という表現はどうかしている。
その言いまわしだとまるで黒人が大統領に選ばれることがアメリカの有権者による苦渋の決断のようだ。
実際にはオバマ大統領は多くのアメリカ人に望まれて大統領選に勝利している。
こういう差別的な発言については政治家たるものもっと慎重になって欲しい。ましてや今のところはアメリカの諜報機関やシンクタンクが軒並み小沢一郎が日本の政治の最高権力者だと見なしているわけなのだから。
(参考記事:
米国防情報局のCMに小沢一郎が登場)
オバマ大統領が黒人であるということが注目されたことは否定しない。確かにそういう期間は大統領選のときも、その後の大統領就任後もあった。「黒人初の大統領」という取り上げられ方はあったのだが、実際のところ、オバマという人物の適性自体を疑う声は大統領就任前からそれほど強くなかったように感じた。なので「黒人を選んでまで」と小沢一郎が表現したことに相当な違和感を感じる。大統領選にオバマが勝利した日にもアメリカにいたが「選んでまで」というわけでは絶対に無かった。共和党支持者にとっては残念な日だったかもしれないが、あの日、アメリカが新しい大統領への期待に満ち溢れていたのは間違いない。
差別的な表現への配慮ってやつは本当に難しいものだ。それは認める。なにしろ、自分の判断基準ではなく他者がどう感じるか、すなわち自分以外の65億人がどう捉えるか細心の注意が必要。
結局のところ、差別意識の有無が普段の言動に大きく影響するのだと思う。つまり、オバマ大統領を今もって黒人の大統領だと見るのか、アメリカ合衆国の大統領なのだと見るのかということだ。もうアメリカ国内ではほとんどの人が後者ではないかと見ている。黒人だからどうのといった話題は「まだ言ってるの?」といった感がある。
小沢一郎の今回の発言は先ず間違いなくアメリカのメディアが取り上げることだろう。小沢一郎は恐らく「そういう意味ではない」といった弁解をするかもしれないが、要は言われたオバマ大統領とアメリカ人たちがどう捉えるか?でしか無いことなのだ。
鳩山首相は「トラストミー」と言っておいて約束を反故にした。今のところは最高権力者と目されている小沢一郎は黒人蔑視と取られ兼ねない発言。
日本ってそこまでアメリカとの信頼関係を崩して距離を置きたい国だったろうか?なんだか全く民意が反映されていない日米関係が再構築されている。
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