このブログで度々取り上げている「グリーンピース・ジャパンによる鯨肉窃盗事件」について再び。
鯨肉窃盗:弁護側、無罪を主張--公判前整理手続き /青森(毎日.jp)
ミジンコは被告2名の弁護士の主張に違和感を感じる。
なぜならミジンコにとっての弁護士とは、被告に反省の機会を与えるのも仕事とする社会常識を人に伝えるプロだから。
弁護士の主張は↓こう
国際人権規約を根拠に「鯨肉を持ち出して横領の実態を告発した行為は、ジャーナリストに保障されている『表現の自由』と同等のもの」主張。逮捕、起訴は同規約に反する。
グリーンピースの被告2名を弁護する弁護士の主張を見ると、そもそも被告が鯨肉を盗んだ行為自体が窃盗ではないということらしい。
う~ん、これでは被告の反省の機会を奪っているような気がしてならない。社会常識をどの角度から見ようと「窃盗」は「窃盗」でしかない。
そこに「表現の自由」を絡ませるやり方はいくらなんでも無理がある。国際人権規約で述べられている「表現の自由」を拡大解釈し過ぎては、ジャーナリズムを主張する者の犯罪を容認するなんていう異常な事態を迎えかねない。
そもそも、弁護側のこんな主張が通ってしまうのならば、犯罪を犯して逮捕された後に「私はジャーナリストだ!」と後付けでジャーナリストになる犯罪者が後から続きそうで恐ろしいったらありゃしない。
警察の家宅捜索でさえ礼状が発行された後でないと実行できないというのに・・・。
この事件はもっとシンプルな受け止め方をするべきではないだろうか?
窃盗は悪い。どのような事情があろうとも窃盗は犯罪である。これでは駄目なのだろうか?
弁護士が被告2名の反省を促し、その上で酌量を求めるのならば、まだ理解できるのだが、最初から「これは窃盗ではない」と言われても、そんな理不尽な主張を社会が受け入れられるわけがない。
今でもグリーンピースジャパンはなにかしらの啓蒙活動を行っているようなのだが、その前に先ずは社会のルール、つまりは犯罪をしないという基本中の基本を学ぶべきだ。
そのルールが守れない組織は即ちテロ組織なのだから。
これはまさに小学校の道徳で学ぶことであり、その当たり前のルールが守れない組織が啓蒙活動を行っていることがミジンコには恐怖だ。
被告の言い分を受けとめながらも、世の中の常識を被告に教えて反省を促した上で、被告の未来を閉ざさない最大限の努力に努める、それが弁護士の責務だとミジンコは考える。
今回の窃盗事件の場合、窃盗は確かにあったはずだ。それを窃盗では無いと主張する弁護側の姿勢は社会正義に反する行為に思えてならない。
繰り返しになるが「窃盗」は「窃盗」でしかないのだから。
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