ちょっと前に(別に本当にそこまで落ち込んでいないので誤解なきようにお願いしたいのですが)元気になろうと思って、大ヒット漫画と噂には聞いていた「アイアムア ヒーロー」という漫画を2巻まで一気に読んだ。前々から書店で表紙はよく見かけていて、てっきり「うだつのあがらないヲタ青年が頑張って活躍する話」だとばかり思い込んでいた。そんな頑張る青年の活躍を見て自分ももう一度奮起しようと思った次第。
1巻を読み進めていくと、主人公の漫画家アシスタントには凄く優しい彼女がいたり、その主人公自体はウジウジと情けないものの性善説で言えば「善」なタイプで、「頑張れ!青年!俺も頑張る!」と思っていた。
1巻の終わりくらいでやっと気がついた。知らず知らずの内に日本中にゾンビが溢れ、サバイバルする主人公の話だった(-_-;)
ゾンビ大嫌いなんだけど・・・・・。
ミジンコ、スプラッター系の映画が一番嫌いなのだ。単純にストーリーがつまらない映画が多いというのもあるし、わざわざ人の頭を吹き飛ばしたり、内臓ドバーとやる映画の必要性に疑問。ただ、それを言いだしてしまうと、どこに表現の自由の線引きがあるのかという話になってしまう。例えそれがゾンビが出てくる映画であろうが、それを観たいと思う観客の心までも否定することはできない。ミジンコもこのブログで散々紹介しているトランスモーファー系のトホホな映画がこの世から無くなっては人生の楽しみのひとつを失うようなものなのだから。
ゾンビが嫌いな理由はもうひとつあって、要はミジンコは遺体、それも損傷した遺体を望もうが望むまいが目撃する人生であること。日本にいてもフラッシュバックのように思い出すことはなるべくは避けたいという気持ちが強い。平和な日本では平和に生きたいので。紛争地帯、貧困地域では死体は珍しくもない。遺体となってしまった人々の無念さを思えば彼等からゾンビを連想することは失礼極まりないとは思うものの、どうしても損傷が激しい遺体のイメージとゾンビはつながってしまう。なんでも元々ゾンビ(リビングデッド)の映画が増えた理由のひとつはベトナム戦争後の反戦活動とか。戦争とはそういう悲惨なものなのであるというメッセージが込められているとゾンビ映画の重鎮たちが語っていたのが印象に残っている。
何度か物資に大群衆が群がるという経験をしたことがあって、そのイメージとゾンビの大群がどうしてもダブってしまうのだ。これも酷い例えなことはわかっちゃいるのだが、制止が効かない群衆はこちらの「死」を予感させる。それでもパニックにならない心を得たとは思うのだが、年々、自分がタフになればなるほど、顔がゴルゴ13顔のように (・>_<・) ←こんな感じの顔の中心に向けてのホリが深くなっている気がしてちょっとショック。もう眼鏡無しでは顔が厳し過ぎて普段の生活に支障が出てしまうような・・・・・。心はマナティのように温和なのに!
でも、LEFT4DEAD2というゲームをたまに友人たちとオンライン協力プレー。た、楽しい・・・・・。
ゾンビに支配された街から脱出する男女4人組の話で、ゾンビたちをこれでもかってくらい倒して先に進む。これはアメリカのゲームなのだが、こういう暴力に関する規制がユルユルなのに日本の漫画に抗議したり、そのアメリカの基準はさっぱり理解できない。週に1度くらいのそのゾンビの群れからの脱出がスリリングでありストレス発散に役立っている。
でも結局ゾンビのゲーム(-_-;)
そもそもどんな映画でも観るミジンコは当然のごとくゾンビ映画も大量に観ている。ゾンビものはそのほとんどが駄作というか確信犯的にしょーもない作品が多いのだが、とにかく物凄く数が多い。大袈裟ではなく恋愛モノよりもゾンビモノの方が毎年リリースが多いのではないかと思う。レンタルDVD店などでは隅っこの方でしか扱われないジャンルなのだが、とにかく次から次へと出るわ出るわ・・・・・・。
ゾンビ嫌いなのにそれを次から次へと観ている俺を誰か止めてくでえぇぇぇぇ!!!
こんだけゾンビ映画を観ているのに、このブログで一度もゾンビ映画のレビューを書いていないのは本当にゾンビが嫌いだから。
今月でさえ、もう2本もゾンビ映画観たけど!ちょーつまんなかった!。・゚・(ノД`)・゚・。
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