まぁ、昔凄いと思った映画監督だからといって十数年「コレは!」と思う作品を創り出していない人物に期待していた自分も悪かったのだろう。
「天国の日々」のテレンス・マリックが20年ぶりにメガホンを取った「シン・レッド・ライン」はお世辞にも誉められた作品ではなかったし、その後の「ニュー・ワールド」は今後の監督としての進退を問われるようなデキだった。
ジョージ・ルーカスも然り。余りに長いブランクは危険だと「スター・ウォーズ episode I」が教えてくれた。
それほど合間をおかずに作品を作り続けている映画監督として宮崎駿監督は凄いスタミナだなとは思うが、作品自体は80年代の作品たちに比べてどうにも見劣りする、迫力という意味で。「太陽の王子ホルスの大冒険」の氷の狼たちや岩の巨人、氷のマンモス、そしてホルスのガムシャラな剣さばきは、まだ今のようなCG技術がない中でアニメは実写を超えているし、実写ではあんな壮大なアクションシーンは不可能だと思っていた。同じ時期のハリウッド作品を見ても、「太陽の王子ホルスの大冒険」のような豪快なアクションは無い。実写では技術的にも予算的にも難しいことをアニメーションで実現したのが同作品だったのだ。
その後の「カリオストロの城」ではやられた。将来FIAT500を改造して崖の側面を走るのは自分の目標となった。いつか本当にやるかもしれないが、実際にそれに近いことはもう既にやっているのは皆さんご存知のとおり。実は当時のカリオストロの城を特集した「アニメージュ」をきれいな状態で保存している。それ以外にもスタジオジブリがまだ設立される以前の宮崎駿関連の書籍や切り抜きなどが今も結構残っている。今ではアニメーションではないが自身で製作スタジオなるものを有する身となったが、自分の原点として影響を受けたトールキンの「指輪物語」や前述の同じ記事を何百回も読み返した宮崎駿関連の資料は大量に保管してある。
「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」と次から次へと傑作を生み出す宮崎駿監督とは化け物かとさえ思えた。とにかくハズさなかったのだ。相棒の高畑勲監督も同じように怖いくらいに名作を生み出しており、吉祥寺には恐ろしいほどの才能が凝縮された製作スタジオがあるのだと感じた。そして「となりのトトロ」の誕生。ミジンコが留学中に「My Neighbor Totoro(となりのトトロの英題)」がロックフェラーセンター内の施設などごく僅かなシアターで上映されていた。反響はイマイチだった。当時は思った。ディズニーアニメよりも数百倍面白いのに!
段々と自分自身が歳をとったということもあってか、アニメーション作品を観る機会は減ったように思う。実際には年齢を重ねたからといってアニメを観なくなるという科学的根拠はなにもないのだが、まぁ、単純に忙しい人生に突入したといったところ。ん?でも、その割には映画を観ている量はさして変わらないのだから矛盾しているということかな。
実は先日、エヴァンゲリオンの2.22なる最近の劇場版の方の2作目を観て感心した。ミジンコはエヴァンゲリオンがテレビ放映されていて一大ブームを巻き起こしてから5年以上も経ってから二日間ほどかけて一気にテレビ版を観たのだが、正直いって「わけがわからん」という感想に帰結していた。ファンたちにはそれなりの見解があるようなのだが、その後のアニメ版の最終話に続く劇場版の2作品を観たあとでも「なんじゃこりゃ?」という感想だった。そうは言ってもこれほどのファンの心を掴んで離さない作品なのだから、自分がエヴァンゲリオンについていけていないだけなのだろうと納得することにした。自分がわからないことイコールつまらないでは決してないのである。
そしてこの段落の冒頭に述べた「感心した」なのである。本心から言って、先日観たエヴァンゲリオンの劇場版は痛快だった。上映時間を忘れるほどのテンポの良さ。終わってしまったときに「もっと観たい!」と思わせる作品に久しぶりに出遭った。テレビ放映から十数年は経っているはずなのだがやっと解った。エヴァンゲリオンは面白い。あと劇場版は2作品作られるとのことだが早く続きが観たい。細かい専門用語(?)が全く解らないのに余りにも(恐らく絵コンテの段階からして)演出が上手いのでエヴァに無知な自分でもこんなにも楽しめる作品を作ることに素直に感心したのだ。
さて、このブログを長年ご覧の皆さんには言わずもがなだろうけれど、ミジンコはハイテク分野について強い探究心がある。シリコンバレーやテキサス州オースティンなどのハイテクのメッカに深く関わっている日本人の一人である。つ、疲れるけど・・・・(脱線)
iPadについてはミジンコは“あってもなくてもいい派”なのだけれど、かといってiPadを否定する気はない。自分があまり使わない(米国発売2ヶ月くらいは使っていた)からといって、あの洗練されたデバイス、ましてやスティーブ・ジョブズの生み出した最新端末の将来性には注目している。ミジンコは実はiPod(音楽プレイヤーの方ね)の最初のモデルには“偶然”にも関わっている過去があって、その当時には携帯音楽プレーヤーがここまで流行る未来なんてそんなに簡単には想像できなかった。想像はできなかったのだが、なんというかその不思議なワクワク感というかそんなものはあった。CD全盛のときでさえ、パソコンからデータをDLしてそれを携帯プレーヤーや携帯電話に転送するなんてことは“必ず来る未来、だがそれがいつ来るのかはわからない”という状況だったのだ。
ミジンコが最初に雇われ社長に就任して直後に拝命したプロジェクトはMP3関連事業だった。結果は大失敗。ほとんどの消費者が「MP3」ってなに?という時代に今思えば無謀なことをしたものだと思う。早過ぎたというどころの話ではなく、そのMP3にした楽曲を搭載する端末も、その端末のバッテリーを長時間持たせる技術も、そもそもデータを保存する記憶媒体が高価だったのに、なんでそんなプロジェクトが出発したんだろう・・・・・。悪魔のささやき「早くやった方が有利」は必ずしも正しくないと学んだ。
さてiPadである。今は賛否両論あるだろうけれど、iPadがネットワークやソフトウェアの可能性を更に広げたことは間違いない。今までパソコン操作を諦めていたようなシルバー世代や傷害を持つ人々にネットワークにつながるデバイスを提供したアップル社は素直に称賛できる。あのタッチパネル方式はミジンコにとっては苛立たしいコンソールではあるのだが、今までパソコンを使っていない人々にとっては直感的に操作できる素晴らしい機能だということくらいは理解している。
そんなiPadの操作が自慰行為に見える人もいるらしい。宮崎駿監督だ。
宮崎駿「iPadは自慰行為そのもの」 「iナントカじゃ大切なものは手に入らない」(J-CASTニュース)
う~ん・・・・、iPadの操作が自慰行為に見える人間の方がおかしいだろうに。iPadユーザーの指の動きが自慰行為だって?それこそ異常な想像力だ。
それに製品名を知っていても敢えて「iナントカ」と言って、さもそれほど有名なものでもないと製品を貶めるような発言もどうかと思う。なんだ、こんな人だったのか、宮崎駿って・・・・というのが正直な感想。公開数週間も経ってから「借りぐらしのナントカ」と言われたら、宮崎駿監督も良い気分はしないだろうに。そういうことだ。
これがフォローになるかどうかはわからないが、宮崎駿監督は「あなたは消費者になってはいけない。生産するものになりなさい」というのが最も主張したいことだったらしい。要は、iPadでコンテンツを消費(閲覧)するだけではなく、紙と鉛筆と僅かな絵具でクリエイターを目指しなさいということらしい。別に絵を描くことには興味がない人生でも一向に構わないと思うのだが・・・・・。
一応、ミジンコも絵は上手い(苦笑)らしいのだが、iPadというか、ネットにつながる携帯端末は必須とも言える。撮影した景色、要はロケハンのデータなどを即座に会社に送信するからだ。デジカメで撮ったデータをすぐにノート型にも保存するのも必ずやる作業であり、また画像上にメモのようにモデルの立ち位置などのコメントをいれておくとスタッフにも通じ易い。デジカメ上ではそういう編集はできないし、できたとしてもあんな小さな画面では難しい。iPadやネットブックはそういう作業にはとても便利なのだ。当たり前だがメールができたり、FTPサーバにデータをUPできるのだから。そういう作業が他人には自慰行為に見えるのだとしたら恐ろしい限りだ。いや、ぶっちゃけて言いたいが、iPadの操作が自慰行為に見えるかなぁ?そんな視線があるということを想像するだけでキショク悪い。
なんというかとても複雑な心境ではある。物凄く尊敬していた人物を失望した。しかしながら、最先端のテクノロジーが普及して、「盲目的に消費文化を否定する無知な人々」とは常に対立したいと考えている身なので、今回の一連の宮崎駿監督の発言には同意しかねる。自分が解らないこと・知らないことがそれ即ち悪では決してないのである。むしろ自分の無知さを恥じ、新たな技術を学ぶことこそがカッコ良い大人ってやつだ。
宮崎駿氏の新作「借りぐらしのアリエッティ」17日から公開(WSJ 日本版)
一部抜粋:
西岡氏によると、宮崎氏は絶えず、このバブルのような金もうけ主義の世界は終わり、人々が汗水流して働き、身の丈にあった生活をする新たな時代が来ると言っている。また、宮崎監督は新作のテーマについて、こうした時代にぴったりだと確信しているという。
今の日本、ほとんどの人々が身の丈にあったどころか必死になって我慢して体調が悪かろうが寝不足であろうが働いていることが宮崎駿監督には見えていないのだろうか?スタジオジブリのすぐ近くを走るJR中央線の朝や夜の通勤・帰宅ラッシュを見てみればいいのに・・・・・。
宮崎駿監督が、身の丈(作品の質)にあった価格設定をアニメ映画産業に呼びかけているのならばまだ理解できるのだが、監督が否定する消費社会の上でこそ、スタジオジブリの作品は売上を上げることができるという現実を無視して、他者の、ましてやジブリ作品の消費者でもある人々の生き方を攻撃するその姿勢は傲慢だ。スタジオジブリだって消費社会の一員なのだから。
「借りぐらしのアリエッティ」の原作本は岩波文庫が電子書籍として出版するとか。宮崎駿監督のiPadユーザーに対しての発言の後では皮肉なことだ。
ところで、iPadではなくキンドルの話だが、キンドルで出版している本の作家たちのかなりの数が収入が増えている。キンドルの書籍は安価なのだが流通を通さないなどのコストメリットの恩恵を受けて著者に入る著作権料の%が大きいからだ。つまり本が安くなり消費者も助かり、著作権者の収入もアップするという状況なのだ。この状況を苦々しく思っている小売店や流通業者はいるとは思うが少なくとも本を書く人と読む人にとっては有難い状況ではあるのだ。携帯端末を操作する指を見て自慰だと思う人がいることもあるらしいが、ミジンコはこの著者と読者の両者にメリットがある状況は喜ばしいことだと考える。
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