どうも100歳の祖母とつい最近まで人生を歩んできた者です、こんばんは。って、そんなことは説明せずとも、このブログにアクセスする多く良い子たちと一部悪い子たちはご存知のことかと。
100歳の家族がいること。それはもう大変なこと。本人も大変だし家族も大変。祖母が90歳のときでも大変な面は多々あったが100歳に近くなるにつれその負担たるや尋常ではなかった。正直いってこのミジンコでさえ、国は高齢化社会に対応できていないと心底思った。100歳ともなると、「明日」がわからないのだ。もっと厳密にいえば1時間後だって油断できない。
ミジンコは祖母が逝ってしまう10分前までいたのに気がつけずに施設を後にしたことが今も心残りではあるが、かと言って心からやり尽くしたという自負もある。このブログで散々東小金井のことに触れていたのは結局のところは祖母が小金井にいたからに他ならない。
祖母の兄が東小金井駅建設に尽力したのは遥か昔の話。そんな大昔のエピソードではあるが祖母にはずっと尊敬していた兄が作った東小金井駅という印象があったことは知っていたので、100歳の祖母のお骨を抱えて東小金井周辺をタクシーでグルリと周ってみたのが納骨式直前のつい先日のこと。100年生きるというのはまさに歴史の生き証人なのだ。長い、本当に100年は長い。人が百年生きるということはまるで奇跡のようにも感じる。本人の摂生した生活もさることながら、家族の支えも絶対に必要なのが、こう言ってはなんだが人間の限界に挑戦するかのような長寿ということ。祖母に最も近い存在だった自分はそれを心から理解している。
今、全国の役所、具体的には役所で働く公務員たちが一斉に叩かれ出した。職務怠慢なのでは?という意見が多い。
公務員たちが仕事をサボッていたとは思わないが、これはもはや職務への感性の鈍さということなのだろう。
100歳どころか90歳以上でも高齢なのだ。そういう高齢者をほっておいても平気でいられるという感性が鈍いということ。前述したとおりで1時間先だって油断できない人たちなのだ。データベース上の数字の100と現実の100歳を同じように捉えてしまってはならない。
民間企業の顧客データベースを散々扱ってきた身としては、年齢の数字枠を2桁、つまり2バイトしか用意していないシステムが多いのを知っている。100歳以上は想定していないのだ。ミジンコの場合は、祖母のなにかしらの書類を扱うときに明治生まれが選択肢にないときが増えて困っていた。
世の中が段々と明治生まれはもう存在しないことにしてきているのだなぁと寂しい気持ちにはなった。
100歳まで生きている人と近い存在でいる人たち自体が少ないのだから、社会はそういう流れになってしまうのだろう。なにしろ日本では役所ですら100歳、いや今後の調査でもっと明らかになるのだろうが90歳?いやもしかしたら85歳でさえ完全に無視していた実態が明らかになることだろう。
いったいこれのどこが長寿大国・ニッポンなのだろう?
日本が長寿国というイメージは虚像なのかもしれない。家族(もしくは本当は遺族)が不正に亡くなった家族の年金を受給しているというケースが次々とあぶり出されることだろう。なんという恥知らずな遺族なのだろう。でもその数はどうも多そうだ。いっそ年金受給者全員の本人照会をしてしまえば良いのにとさえ思う。
なんだか日本人としては恥ずかしい状況ではある。もう世界にこの状況は配信されており、結構大きく取り上げられている。嗚呼・・・。
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