イルカ側に立てば「魚が獲れて良かったね」
魚側に立てば「嗚呼、イルカに食べられちゃう」
環境テロリストやエセ動物愛護団体はこういう両者の視点に立つことは決してしない。いつも片方の視点だけ。それもデータ無視の感情論だけの押しつけがましい視点。
もし日本人が本当にクジラやイルカが絶滅の危機に瀕していると調査結果から判断したら、そりゃ漁は控える。
しかし何百年も続いた漁や食文化を途絶えさせるほどの理由が実際には見当たらないのだ。
それでも「クジラは頭が良いから」とか「他のモノを食べればいい」と日本人がクジラやイルカを食べることは否定される。両方の視点に立ってから物事を判断することをシーシェパードなどの環境テロリストたちは人生でしたことがないのだろう。だからあそこまで傲慢になれる。
両方の視点に立つというのは結構めんどうくさい。例えば、つい最近の蓮舫議員国会撮影事件。最初に国会でブランドモノの撮影によるメリットはなにかあるだろうか?という非常に面倒な視点に立たなくてはならない。経済効果(苦笑)があるのかなぁとか少しは考えて見た。他の情報で撮影申請時に虚偽の申告をしたとあった。ではもう酌量の余地もないなと批判することに決めた。
もっと面倒くさいのはもっと大物の民主党議員たちの言動。今もって一応は「これは日本のためを思ってのことか?」と考えてはみる。今のところ全て徒労に終わっている。行間だとか裏を読むとか一応は考えてはみるのだが、どうもこの1年民主党を見るに、そこまで思慮深い発言は聞いたことがない。
特に困るのが鳩山由紀夫発言。あまりにすっとぼけた発言のときは、この常軌を逸した発言にはなにか隠された真意があるのではないだろうか?とか勘繰ってしまったことが何度もある。具体的にはわざと民主党を破壊しようとしているのかな?とか、衆愚政治を国民に実感させようとしているのだろうか?とか疑ってはみた。今のところの結論は「ただの馬鹿なのだろう」としている。鳩山由紀夫視点を試して見て本当に気持ち悪くなったことがある。余りにも理解不能だった。
もしかしたら、いやもうほとんど確定的だろうがそういういくつかの視点に立つ必要なんてないのではないかと思うときがある。前述の環境テロリストたちにしろ、民主党議員たちにしろ、基本として日本への害意しか感じない。日本ってそんなに嫌われるべき国だろうか?ミジンコは日本が大好きなんだがおかしいだろうか?
性格がブッサイクなヤツほど、性格が良くて文武両道の人に拒絶反応を示すってことなんだと思うようにしよう。実際そうだろうし。
もう性格ブスの視点に一度は立ってみて分析することに疲れた。
[18回]
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