最近、本当に唖然とすることが多い。
「おまえ馬鹿だろ!」って言うと世間的には暴言ってことになるのだろうけれど、本当に驚くことが増えた。
自分のプライベートは少なくとも自分が驚かない相手とだけ付き合うべきかもしれないと考えることが多くなった。
世間ではなかなか言い辛い台詞に「おまえこんなことも知らなかったのか!?」「おまえはこんなこともできないのか!?」なんて暴言(?)があるわけなのだけれど、正直まだ声に出しては言っていないがそう思うことが多くなった。
それが本当にこの日本では多い。海外では多くないのか?と言われればそれはわからない。というのも、(これも暴言?→)海外で活動するときはそりゃもう凄いキャリアの人間としか付き合いが無いので、自分が頑張らねばというケースの方が多いように思う。
で、こう語ってしまうと、「じゃあ、おまえは日本では凄くないキャリアの人との付き合いがあるって認めているんじゃねーかよ!」ってことになってしまい、ああミジンコって人をそうやって見ているんだなぁと、はいイヤな人の出来上がり。
そんなことは分かっている。人を馬鹿呼ばわりするなんて本当はとんでもないことでそれこそ良くない(?)ことなんだろう。「だろう」と言ってしまうのは正直それに完全に同意はできないから。怠けているヤツが結果として馬鹿と呼ばれるほどの知識の希薄な大人となり、それでもその人のいいところ探しをして無理矢理にでも優れた人扱いをするにはミジンコは人間が出来ていないのだろう。もうそれでもいいや!って思うほど最近は萎えるエピソードが多い。
自分とは悪い意味でかけ離れたキャリアの人(←これも差別なんだろうなぁ・・・・)との付き合いは本当に多いと思う。例えば、自業自得で経営難にしてしまっている中小企業の社長とか、ミジンコの祖母が危篤のときに馬鹿なお願いをしてきた経営者(←こう呼ぶのほどの経営すら感じないが・・・・)とか、中学英語もできないのに恥とも感じていないで人に助けを求めるヤツ・・・・。英語ができる人間が英語をサボった人間を助けないといけないというルールみたいなものが日本にはあるように感じるが、こういうデキる人はどんどん忙しくなり、デキない人は現状維持かもしくはどんどん仕事が減るのが日本の不思議!(←と当たり前に英語できる皆さんは思いません?)
今年、祖母が危篤となって10日間ほど職場と東小金井とを何往復もするときがあり、その時は心底自分のボランティア的な活動を見つめ直した。本当にこう言ってはなんだが、世話になりっぱなしの人(経営者)に限って、そういうミジンコとしてはほっておいてもらいたいときでさえ容赦なくお願いをしてきた。しかも本当に取るに足らないくだらねぇ内容ばかりだった。助けられることに慣れ過ぎている人間たちの恐ろしさを感じた。これもまたしても暴言かもしれないが「だから成功しないどころか延々と鳴かず飛ばすなんでは?」とは思った。
その後、上から目線にはなってしまうがそうするだけのキャリアのある自分(←嘘くさいので謙遜しない!)としては、「ダメだから助ける」ではなくて「見込みがあるから助ける」と全面的に方針変更。だから今ミジンコが現在進行形で支援している企業や店舗は全てやることはやっている会社のみ。そういう会社たちは単純にコツと巧さと経験が足りないだけのことなので、本音を言えば「自分の助けがいるのか否か」も本当は定かではない。まぁ、どっちにしろかかるエンジンのバイクを後ろから押しているようなもの。
こう考える自分はダメなんだろうかと悩むわけなのだが、「こんなこともできないのか!」とか「こんなの中学生でも知っている!」と相手に対して思ってしまうことが本当に辛い。その解決法は人付き合いを考えることしかないのだろうか・・・・・。
だからしばらくブログは休止。ちょっとブログに割いていた時間をもっと趣味に使いたい。日本の馬鹿なニュースを取り上げるからといって暇なわけでもない。本当は声を出すのも面倒なほど忙しいときもあるのに、“誰でも相手にする(←これも暴言でしょうなぁ、はいはい・・・・)”この生き方の限界らしきものをつくづく感じる。
つい最近、英語のゲームを買った友人たちがトラブルになり、その解決法を延々と調べた。その二人は英語が全くできないのでミジンコが当然のように調べることになった。英語ができないなんてレベルではなくて基本的な中学英語でも通じないというのにどうして英語版を買うのか、その理由は価格差というのが大きい。英語版はとても安いのだ。特にアクション性の強いゲームやシュミレーションゲームはいざプレーするときには言葉はそれほど問題ではないので安さの魅力は確かにある。苦笑いするしかないのだが、そのゲーム、ミジンコは日本語版を買っていた。その方がリスクが少ないと思ったから。英語のできる自分は日本語サポートのある日本語版を買い、英語ができない二人は安価な英語版を買いトラブルに。
結局そのトラブルは英語版を購入したが故に起きたこと。日本語版のミジンコがそのトラブルを解決できたのは単純に経験と英語力。その二つとも別にラクして得たわけじゃない。
なんだか日本の縮図みたいな気がした。解決できない人間たちのほうが解決できる人間よりも結果的には自分たちの時間を有意義に使えるのだ。どういう経緯で人が英語を喋れるようになるとか、どういう経緯でトラブルを解決する思考を養うとか、解決しない側の人間は到底理解していない、したつもりでいるだけなのだから「ありがとう」と言うしかやることがない。今までに英語のゲームを一緒にやった日本人の友人で(ゲームのためというわけではないがキャリアとして)英語を勉強し始めたのはなんとたったの一人!本当にたった一人。しかも当然といえば当然だが、その一人がキャリアも年収も一番高い。これ偶然であるはずもない。10年前にはみんな同じようなスタート地点だったのに(←つまり無職、笑うところじゃないよ、たぶんw)
このブログにも延々と質問がくる。まだ見えるところで書いている人たちは言葉は悪いが“マシ”なのだが・・・・・。
「自分で解決する努力を本当にトコトンまでしただろうか?」←この言葉を質問者たちに捧げたい。俺は自分がどうしても解決できないことしかその道のエキスパートに質問はしない。もしくは報酬をちゃんと支払って教えを乞うときはある。仕事なので当たり前だけれど。
安易過ぎるんだ。「ミジンコさんなら答えてくれる」とでも思っただろうか?ずっとブログではボヤかしながらにしか話していないミジンコのキャリア、交友関係、今持っているスキル、こういうことを実はほとんど把握している常連さんたちが相当数いると見ている。で、もっとぶっちゃけて言えば、そういう人たちはミジンコに(はい、これも上から目線で失礼なんでしょうけど→)恐れ多くて質問なんぞしてこない。拍手メッセージでリクエスト?とんでもねぇよ!ってことなのだと思う。(←いや~、イヤな書き方だけれど、こちらももう我慢の限界なんで許さないでいいです!)
自分のキャリアを見直してからミジンコに助言すれば?と思ったときに、
こういう記事を書いたこともあるけれど、この時に書かれた拍手メッセージなんていくつも公開したかったくらい。それはルール違反だとは思うので控えた。端的に言えば人の心配よりも自分の心配をしろよってこと。断言できる。そういう人たちは現実の職場やら人間関係やらで相手に相当な負担をかけているはずだ。
とにかくブログを更新していると色々と勘違いする習性の生き物は確実にいるらしい。
実は趣味も遊びも尋常じゃないスケジュールの仕事もこなしている上にブログも更新。自分で言うのもなんだけれど、こういう頻度でこういう内容でブログを更新できる人がそうはいるとは思えない。なんだかそういう指摘もこの前掲示板で受けたけれど、自分でもそう思う。でも暇じゃないんだな、これが。わかりますかね?暇じゃないんだな~~~~、どうせわかんないだろうけど。暇なフリをして相手に気を遣わせないようにしている人を本当に暇だと感じる大人はそうはいないと信じたいけれど。
できるからやる(助けられるから助ける)ってことを継続し続けると逆にモンスターを生み出しているような気がしてきた。
そういうわけでそういうバカヤロウ(女も多いけど)たちが楽しみにしているブログを延々と更新することは悔しいのでブログ休止。クリスマスは恒例の儀式(更新)をしないとならないのでその前には戻りまっさ。何千人規模でいるかもしれないけれど、ミジンコの怒りに巻き込まれちゃった良い子の訪問者の皆さんは本当に巻き込まれただけ。でもそれも昨今の日本ではよくありがちな理不尽な出来事のひとつに過ぎないと思えるほど、今の日本は「馬鹿が馬鹿でいたほうがやったもん勝ち!」になってしまっている。「馬鹿を恨め」←これ日本のスタンダードになりつつありませんかね?はぁ・・・・。
どうかどうか「馬鹿が損して頑張っている人が得をする世界」が実現しますよーに。
追記:
自分が馬鹿だと分かっていると言ったり認めたりしている人間が一番タチが悪い。なぜなら、そういう人間こそ周囲(相手)が認識している状況の深刻さを理解していないし、しようともしていないから。これを「馬鹿の壁」ならぬ「馬鹿のバリアー(馬鹿の自己評価は笑って済ませられるレベルなのだが、実際には周囲は救う気さえ起きないほどの致命的な馬鹿さであるため誰にも指摘されない)」と名付けて本を書いてしまおうか・・・・・。
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