17日午後、東京都のJR新宿駅近くの交番に、東京・練馬区の少年(19)が「通り魔をやった」とカッターナイフを持って出頭し、警視庁に銃刀法違反で現行犯逮捕された。
少年が出頭したのとほぼ同じ時刻には、新宿駅の高速バス乗り場付近で「カッターを持って『殺してやる』といいながら走り回っている男がいる」と110番通報があったという。
少年は、今月6日にインターネットの掲示板で、新宿駅での無差別殺人を予告したとして逮捕された中学3年の男子生徒の兄。警視庁は、動機を中心に関連を調べている。
ソース元:
日テレNEWS24
繰り返しニュースを読んでみたけれど完全には理解できない内容。いったいなぜこのようなことになっているのか・・・・。
秋葉原の悲惨な事件など、日本人は「通り魔」に怒りが収まらないというのに次から次へと・・・・・。ミジンコの場合は、通り魔を根絶するような対策ってないものかと暇じゃないのに延々と思案してしまうときがある。別にそんなに正義漢というわけではないけれど、なんでかふとしたときに「対通り魔社会」について考え込んでしまう。たぶん、自分の潜在意識の中で「テロへの警戒感」がずっと常在しているのだろうと見ている。
いつからそうなったのだろうと考えてみてもよくは分からない。自分はそんなに正義を語る人間だったっけか?とも思ってしまうときがある。戦隊ヒーローモノを見ていた子供の時分から、ゴレンジャーやサンバルカンは多数で一人の怪人を倒すので卑怯だと訴えていた小学生だった。毎回、怪人を応援していた。親もそれでいいと言っていた。今は親に感謝している。いつか自分がたった一人でも正義の戦隊を倒すのだとずっと心に秘めていたので着グルミに憧れ続けていた。まだ実現していないがいつか怪人として戦隊を倒す。しかも最近はどんどん数が増えているのわけなのだが、多勢で挑んでくるヒーローたちを一人でコテンパンにしてみせる。今の自分ならばガチンコならばいけると思う。ヒーローモノとしての番組は破綻するかもしれないが、いじめをしている側もされている側も見て欲しい内容にはなるはずだ。
そんな夢を持ちつつも、実生活では正義の方が好きになった。全く面識のない人々が不条理に命を奪われると、もっと世間に無関心だった若いときの自分よりも今の自分の方が怒り悲しんでいるのは確かだ。
9・11からだいぶ自分は変わったと思う。あのテロのとき、会社に損害が出るのは承知である通信・データ保存の支援をして、それがきっかけなのか世の中を少しは良くしようぜって財団からお呼びがかかった。財団の方もまさかミジンコがここまでやるとは考えていなかったようだがすっかりホンモノの一兵卒に。(*どこぞのインチキくせぇクソデブ一兵卒とは違います)
財団入りは実は美術館とか博物館とかにタダで入れるって聞いて飛びついたというのに、なんで戦闘員になってんのじゃー!アホか自分!ヽ(`Д´#)ノ
不条理に人が命を奪われることのどうしようもない思いと、その時には想像もしなかったけれど、今は一般的な日本人よりもずっと闘えるスキルも備えている。まぁ、別に闘いたいとは思わないけれど、通り魔事件でアルバイトに精を出していた女の子が殺されたとか、これから楽しいことが沢山あったであろう学生たちが無残に殺されたなんて話をニュースが淡々と伝えるのを見聞きするに、自分がその場にいて1番最初に狙われた方が良かったという妙な感覚に襲われる。
日本では警察官ですら威嚇発砲をしてからではないと通り魔を撃つことすらできない。そんな状況を通り魔たちは見越した上でできるうる限り多くの犠牲者を生みだそうとする。なんとかしたい、この状況を。
なんの関係もない通行人を何十人も殺そうなんて考えるヤツが無傷で逮捕されて裁判にまでかけてもらえる社会が次から次へと新たな通り魔を生み出しているような気がしてならない。
人権弁護士が卒倒しそうな意見だろうが通り前殺人犯には「通り魔だけはやらない方が良い、予告すらも死んでもするべきじゃない」と通り魔予備軍に知らしめるような刑罰を設けるべきだ。何人も見ず知らずの人たちを殺しておいて今更反省の情を述べる通り魔殺人犯が現実にいる。そんな殺人者に発言権があること自体が犠牲者への冒涜だ。殺された人々はもうなにも語れない。
日本は犯罪者に優し過ぎて犠牲者を増やしている。今回のは幸いなことに犠牲者が出なかったが次から次へと登場する通り魔に無策過ぎる日本はどうかしている。応報を国が認めていないというのに、これでは国が国民に通り魔に刺されても我慢しろと言っているようなものだ。あったまくんなー、ガーーッ!ヽ(`Д´#)ノ
[21回]
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