
←これはツイッターなどで広められている「買いだめ抑止」を促す趣旨の画像。
まぁ、都内など各所で起きている買いだめ・買い占めの動きはいささか行き過ぎな感がある。実際、東京は震災による直接的なダメージはそれほど大きくはなく、いきなり食糧などが枯渇するような状態とはほど遠い。
確かに電池も必要かもしれないが1日3時間程度の停電中にいったいそこまで懐中電灯の出番があるのか?といったところ。災害緊急時に使うラジオに使う電池だってそこまでの量は必要ないだろうに。
備えあれば憂いなしという言葉を履き違えた過度の買いだめは本当にその商品が必要な人々の生活の足を引っ張るようなものだ。東京でこんなヒステリックな買いだめが起きているせいで被災地への支援が遅れているといった話もある。なんという恥ずかしい事態だ。
震災以降この状態なものでミジンコの場合はほとんど買い物ができない状況。買い物をしていないのではなくて買いたいものがお店の棚にないものだから一昨日も昨日もそして恐らく今日もなにも買えないのだ。そんなに贅沢したいというわけではない。ただ生活必需品である品々までもがここまで街から消え去ってしまうことに苦笑い。
先日、停電になったお店に携帯していた登山などでSOS発信用に使うLEDライトを「翌日返してちょうだい」ということで貸した。実はその店も色々と手伝っている。当たり前っちゃ当たり前だが、ゴハンが温かい内に弁当を普段通りの価格で売るというので、弁当を包む作業から会計から周囲を照らす長寿命のLED懐中電灯は必要だった。街の街燈すらも消える計画停電、街は真っ暗闇。懐中電灯で照らしながらの販売でもそれなりに売れたらしい。真っ暗な道で店のキャンドルと懐中電灯が帰宅者たちの足下を照らすだけでも随分と皆助かったことだろう。帰宅中の人々は家に帰っても停電中だということで料理もなかなか難しい。弁当を売る側も買う側もどちらも助かっている状況。
今すぐに使うわけでもない電池を買いだめしている人々は知っているんだろうか?電池は置いておくだけでも段々とエネルギーは減っていくことを。延々と店頭に置いてある電池は実は工場出荷時よりも確実に寿命は減っていっている。ちょうどどこの店でも在庫一斉セールのごとく電池が消え去ったので今後買う電池はまさに新品・長寿命なので若干のお得感がある。この1週間で古い電池を買いだめた挙句使いどころがなくてどんどんとその必死で買った元々古い電池が劣化していく人々って・・・・(苦笑)
「エア被災者がブーム」なんだそうな。エアギターならぬエア被災者。要は被災者でもないのに必死になって食糧、電池、トイレットペーパーなどを買いだめしているエア(なりきり)被災者と呼ぶのだそうな。言い得て妙だ。これほど乗るのも恥ずかしいブームもないものだが。
自分だけ助かれば良いという考えがあっても別に否定しない。ミジンコがこう言うのは意外だろうか?いいんだ別にそういう人間がいても。だが断言できる。そういう人間は必ず誰かしらに見られている。本当に危機的な状況になったときに、そういう人間は“心配される人間”とはならない。こう言ってはなんだが、むしろそういう人間はその普段からの厚顔無恥さ故に“心配されない人間”なのだ。せいぜい数ヶ月分の食糧や物資を部屋に貯め込んでいたとしてもいずれは全て枯渇する。そこまでいっても心配されず、言うなれば探されないような人間として生きて行くリスクは余りにも高い。エア被災者の末路なんてそんなものだろう。
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