有名人たちが色々と分かり切っているアドバイス、そして応援を視聴者に呼びかけるACのCMにだいぶ非難の声が上がっているらしい。募金を呼びかける芸能人たちへの批判も上がっている。ミジンコも概ねそういう批判に同意。要はこういう時だけ突然しゃしゃり出てきて応援だとか、言葉は悪いが「おまえに言われたくないよ」という感情がもたげてくる。
先ずミジンコがどうしても受け入れ難いのは「がんばれ」とか「頑張ろう」を過度に呼びかけること。被災者はそれほど頑張らないでいいと思っている。大事な人たちを失ってから1月も経っていない中、自分たちも不自由な生活を強いられているのだ。別に今は「なるべく健康でいられるようにする」くらいの努力で良いのではないかと思う、人間なのだから。むしろ人間は頑張らなくてもいい期間があってもいいと思っている。今ちょうど自分にもその期間が欲しいところ(苦笑)
震災以降、色々な約束の取りつけをして、いろんな言語で「感謝します。このことは忘れません。」を言い続けており、今後のプレッシャーでいっぱいいっぱいですがな・・・・・。
被災していない人々も納税しているだけでも義務は果たしているようなものだ。その上でなにもしないことにいたたまれなくなっての寄付やボランティア活動などはとても理解できる。いちいち「頑張ろう」だとか「〇〇〇をしよう」と呼びかけられなくとも、その呼びかけている著名人たちよりもよほど視聴者の方が真面目に慎ましく生きている。ACの出演者たちはほぼノーギャラらしいが、あのCMに出られること自体でとてつもないメリットがあることは想像に難くない。ACのCMに登場する面々を見るに、とても普段は誉められたような生活をしていないだろうって面子をチラホラ見かける。来月の生活費どころか来年の生活費の心配もないような資産があり、普段は節約とは真逆の生活を謳歌し、今後もじゃんじゃん稼ぎそうな人たちが大多数の尊敬に値する生真面目な生活に努めている日本人に説教臭いことを言うこと自体がおこがましいと思うのだ。
例えば、ミジンコもそこそこの資産があることはこのブログの常連さんたちには言わずもがなだろう。そういう人間から「募金のお知らせです」なんて言われたらどうだろう?俺ならアホかと思う。もう二度とこのブログなんか見る気もしなくなるだろう。金を持っているヤツがわざわざ顔を露出して自己の知名度を上げて、それでちゃんと納税して真面目に生きている人々に対して「もっと払え、もっと払え」なんてこんなに馬鹿なことがあるのかっての。なにかできる人間は他者にあれこれやれと余計なことは言わないで黙々と自分ができることに努めればいい。
力のある者が(力のない者という表現は適切とは思えないのだけれど上手い表現が見つからないのでこれで許してちゃぶだい→)庶民に対して、あれやれこれやれと言うこと自体がおこがましいと言っているのだ。無論、著名人たちの知名度が故に成功する募金はあるとは考えるのだが、啓蒙コマーシャルや募金活動でのインタビューで延々と視聴者を指導するかのごとく呼びかけているその行為が傲慢極まりないのだ。タチの悪いことにそういう呼びかけをしている著名人たちもそれを仕切っている広告代理店もCM製作者も放送するテレビ局も自らのその傲慢さを自覚していないことだ。
「日本は強い国。長い道のりになるかもしれないけど、みんなで頑張れば絶対に乗り越えられる」といった当たり前のことを言われてもムカつくだけなんだよ、トータス松本!(←我慢し切れずに名指し)
俺は「長い道のり」だとすら考えていなかったのに言い方が他人事過ぎるんだよ。まるで対岸の火事の話みたいじゃないか。
「みんなで頑張ろう!」ではなくて「俺がなんとかする!」の方が勇気を貰えるはずだ。「俺がなんとかする!」「いや俺が!」「いやいや俺が!」「どうぞどうぞ」、嗚呼!「どうぞどうぞ」はナシの方向で!(汗)
「俺がなんとかする!」「私が頑張る!」の方が元々頑張っている日本人にはしっくりくる。
むしろ日本人を信じていないアホ達の方が「がんばれ、がんばれ!」と応援しているように見える。
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