マンハッタンの風景を淡々と撮影をしている動画。それがいい。HDクオリティーで流れる風景は普段この街でせわしなく動いている自分にも「ああ、そういえばこんなにマンハッタンってキレイだったんだっけ」と思い出させてくれた。
この動画に出ている場所のほとんどがミジンコのNYでの生活圏。マンハッタンってそんなに広くないので。
最初に一人暮らしをした場所であり、学生時代からの友人たちが今も多く住む街。この街が好きで好きで堪らない。
9・11同時多発テロからクィーンズやブルックリン方面からマンハッタンに向かって運転しているときにマンハッタンの全体像をなるべく見ないように努めてきた。マンハッタンのダウンタウンの方を見ると学生時代から見てきた景色と大きく異なるマンハッタンとなってしまって、あのツインタワーがいないマンハッタンがどうにも現実のように思えない10年間。
ビンラディン死亡の報があって以来、ニューヨークの友人たちとも頻繁に連絡を取り合っている。9・11当時からニューヨーカーだった人たちばかり。どうも総じてマンハッタンの各地で起きた馬鹿騒ぎには呆れている模様。人が死んだことに拍手喝采をしていることに違和感を感じているニューヨーカーたちが多いと聞きホッとした。
ただ、オサマ・ビンラディンの死については誰も同情はしていないというのが本当のところらしい。ミジンコもそう。
オバマ大統領やクリントン国務長官の潜伏先を襲撃するライブ映像を見ているときのショックを受けている表情が印象的。ああ、そういえば、この人たちは人が撃たれるところを直に見たことが無い人たちなんだったと今更ながらに気づかされた。
日本では襲撃時にオサマ・ビンラディンが銃を持っていなかったことについての議論がネットである。「銃を持っていない人間を撃つなんて酷い」といった意見も多数ある。なんだか対岸の火事のような受け捉え方なのだなと感じた。ミジンコは銃を持っていないビンラディンでも危険なことには変わりは無いと感じる。完全な投降姿勢を見せていても起爆スイッチがどこにあるのかと疑いたくなる相手だ。ビンラディンは目を撃ち抜かれたという話がある。恐らく特殊部隊の隊員は「vermilion line(ヴァーミリオン・ライン)」という眉の間あたりから口の上あたりまでの顔面の中心線、要は脳幹を撃ち抜いて起爆スイッチを押す指さえ動かせない場所を狙ったのだろう。そこを狙ったのが外れて目にいったのかもしれない。残酷なやり方ではあるが、それがテロリストを撃つときの基本中の基本。そういうひっ迫した状況だったのだとは思う。映画のようにオデコあたりを撃っても一瞬は指が動くので危険なのだ。訓練を受けた特殊部隊の隊員たちでさえ、顔の中心部分を撃つことは躊躇することもあるとか。過酷な訓練を受けたシールズ隊員でさえ本当は撃ちたくなかったかもしれない。「武器を持っていないのに撃つとは酷い!」と叫ぶのは簡単だが、相手はビンラディンだったのだ。
結局のところ、ビンラディンが死んでテロの脅威が増している感がある。なんと虚しいことか。この動画のように美しいマンハッタンが延々とテロの標的にされている。こんな心配があと何十年続くのやら。
[6回]
PR