今くらいの自分の立場(どのくらいやねん!w)になると本当にしょっちゅう「どうやったら成功できますか?」といった質問を“まったく自分が能力を高く評価していない人々”から受ける。きつい言い方だろうが、そうも言いたくなる。いやはやウンザリしているというのが本当のところ。
そりゃ過去も今も色んな人々のメンター(先人、先輩)であろうとしてアドバイスは数限りなくしてきているが、大前提として“本人がやることやらないと話にならない”というのが本当のところ。アドバイスを聞くだけならアホでもできる。そうでしょ?
どうやったら成功できるとか、どうやったら上手くなれるとか、そんなことは先ずは自分がその分野の技量を上げてから考えるべきことであって、先ずは口だけでカッコ悪い自分をなんとかするのが先だろうと。
先日、道でバッタリとギターマンさんに会ってその後ゴハンを一緒に。その2週間後にカリフォルニア土産、とはいっても本当はカリフォルニアで買って後から日本の自宅に大量に送ってもらっているフルーツを背負ってトレーニングがてらに小金井在住のギターマンさんのところへ。短い期間で2度も会ったのは昨年の東小金井ドキドキ探険隊以来。(
お茶目な失敗のとき こちらは成功のとき ←ギターマン隊長のブログ、彼の作曲・演奏した音楽が流れます。)
今年もどこか行くべきだろうか!?冷房がガツンと効いたホテルのカフェなんか冒険には最適ですなーはっはっはっ!
なんでギターマンさんの話をしているかというと、彼、ギターが上手いんですよ!超絶上手いんですな。当たり前だけれど。
彼は20年前からギターが他の趣味でギターをやっている人たちとは別次元で上手かった。ずーーーーっと練習していたから。たぶん止められても邪魔されても練習していたと思う。
同じ頃にミジンコも既にプロとしてやっている仕事があったけれど、お金をいただいている以上、別に「上手くて当たり前」だったもので成長期の大事な時期に徹夜、徹夜、また徹夜な日々。おかげで成長がとま・・・止まってないや。普通に成長した。
先日、そうやってギターマンさんと食事をしたときに「過程を無視して結果だけ求める人たちがいるよねぇ」という話になり、お互いに「それを仕事にしたいのならばやるべきことはあるだろうに」という話をした。あんまりジジ臭い話はしなかったけれど、自分たちが学生のときは寝る時間が勿体ないなといった発想で動いていて、別に人に強要されなくとも自分のために努力は惜しまなかったように思う。大袈裟ではなくて、本当に「寝た記憶」があんまりない。
なんというか努力は惜しむ、でも成功したい!って人がやけに増えたなぁという印象。日本のそういうところ(人たち)に萎えては、カリフォルニアに行ってスタンフォードの学生やら、シリコンバレーの若き起業家たちから刺激をもらって気持ちを回復させているような始末。同じアドバイスをするにも、相手側が準備するべき最低限の受け皿というものがあるということ。「できない」「理解できない」「面倒臭い」ならば俺からアドバイスなんか受けようとするんじゃねー!というのが本音の本音。
アドバイスの聞き上手というのもある。例えば、あるネット企業を大きくした青年は、先に「想定問答集」を用意してからミジンコに質問してきた。いつも偶然を装ってミジンコが毎日行っているカフェにやってきては、その問答集でもカバーし切れなかった質問を受けては動揺して素直に自分の準備不足を謝っていた。こちらとしても、彼が即答できなかったときの悔しそうな顔を見て、もう答えはもらっているような気になった。「ああ、コイツは絶対にこの問題を解決するんだろうな」と。
大前提としての努力ってやつは言われないとできないものなのだろうか?そんなことを日本の若い起業家たちを見ると思ってしまうときがある。そういう起業家たちも、こんなことを言われて情けないだろうが本当にラクして儲けようとするにもホドがある。耳が痛いという前に動け、ナマケモノたちめ!
以下の動画は
ギターマンさん(左側)に許可を頂いて彼と彼のパートナーである前田さん(bass)がスタジオで演奏を埋め込んだもの。
まぁ、演奏を聴けば説明不要なのだけれど、高い技術を持っているということ。ここまでの技術を持つまでにはそれこそ過程というものがあったわけで、そういう過程を経験した者だからこその結果なのだと思う。成功したがり屋さんたちはいつも「どうすれば成功できるのか?」と方法論ばかりを求めるが、先ずはやることがあるとギターの音が言っている。
↓こちらはギターマンさんのチャップマンスティックという珍しい楽器での演奏。
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