「反格差デモ」の世界一斉行動日の15日、東京では六本木の公園や新宿駅周辺など各地で集会や行進が行われた。
新宿駅周辺では午後3時から約300人がタンバリンなどを鳴らし「増税やめろ」「金持ちから取れ」とシュプレヒコールを上げて行進。「原発いらない」「NO NUKE」と反原発・反核を訴えるプラカードも目立った。
新宿の行進を主催した市民団体の中心メンバー藤田五郎さん(58)は「反原発運動は盛り上がっているが、震災後、失業や格差などの問題もあらわになった。日本も世界の動きに呼応すべきだ」と訴えた。
ソース元:
共同通信
「OCCUPY TOKYO(東京を占拠せよ)」
「増税やめろ」
「金持ちから取れ」
「原発いらない」
「NO NUKE」
なんのデモなんだかも分からない統一感の無さ。
デモの写真も映像も見たけれど300人もいるようには見えなかった。参加者の服装や体型もとても誉められたものじゃなかった。「デモに服装や体型は関係ない!」という人もいるかもしれないが、普段からの服装や普段の生活習慣が推察できる体型は職を得たい人たちが意識して改善していくべき重要な点だと考える。今や企業も生き残りに必死。人事担当者も自己の職責を厳しく問われるのだから、応募者採用時にはそりゃ徹底してその人物から伺える「普段」や「日常」を推測する。このデモの参加者の多くは彼等が訴える「格差」は社会や企業や政治のせいだけだと考えているのならば考えが甘すぎる。先ずは自己の襟を正すところからってなデモ参加者はいなかったのだろうか?そこが彼等が格差を語る以前に考えるべき大事な点だと考える。
ところで「増税をやめろ」と「金持ちから取れ」は相反すると思うのだがどうだろう?日本は世界でも有数の高い法人税と高額所得者への課税率なのだから、「増税をやめろ」と増税をひとくくりにして語るのは乱暴だ。
法人税は据え置きで所得税を下げろという趣旨なんだろうか?高い法人税で企業のクビを絞めて企業の海外移転が進んだ結果、このデモ参加者たちが求めている雇用が減り続けているのが今の日本なのだがデモ参加者の言う「増税を止めろ」はそこまで考えてのシュプレヒコールなのだろうか?どうにも「自分への増税を止めろ」と言っているようにしか見えない。世界中で連鎖的に起きているOccupy運動は「金持ち(大企業)がもっと社会に還元しろ」ってことを主張しているわけなのだが、日本企業の多くはそこまで責められるほどグリーディ(強欲)だっただろうか?
東電などの一部の企業の取締役の暴挙を見て日本の儲かっている企業の全てを語るのには無理がある。日本企業の経営者たちがアメリカで叩かれているような強欲な経営者たちと同じような生活をしているのかと言えば全くの逆だ。むしろビックリするほど年棒が安く質素な生活に努めている経営者のなんと多いことか。アメリカの経営者たちが知ったら驚愕するとともに「馬鹿呼ばわり」するような質実剛健がモットーな日本の経営者たちは多い。ミジンコは彼等を馬鹿とは思わない。質素イコール損をしているとは考えないからだ。
今、NYでも盛んに議論されていることは上記のような内容。日本に限らずアメリカでもデモ参加者の主張を全てを受け入れることは難しいという雰囲気もある。なんというかデモ参加者の中には格差がついたことを全て企業や金持ち、そして政治のせいにしている向きがあるのだが、デモに参加をするまでには至らないニューヨーカーたちにしてみれば「それはちょっと違うんじゃない?」といった意見をもう何度も聞いた。ミジンコもそう思う。勿論、信じられない恥知らずで強欲な経営者たちがいることは認める。ミジンコだって日本国内でもアメリカでも税金で助けられた企業がその後に全く社会に還元しないで自分たちのボーナスは支払っていることには長年憤っている。ボーナスを払うべき相手は納税者のはずだ。一生ボーナスを納税者に払えとは言わないが納税者への借金とも言える部分に関しては取締役の役員報酬や社員のボーナスにする以前に納税者に返還するべきだ。デモ参加者たちはそういったことを言っているようではなく、とにかく企業や金持ちは「金を出せ」と言っている。う~ん、それは脅迫みたいなものだ。もっと主張に整合性を持たさないことにはただの文句になってしまう。デモ参加者たちがデモをして自分の主張をすることは当然の権利だが、その主張を自己の今までの人生と照らし合わせてみて冷静に考えてみる必要を感じる。
更になぜこの反格差を訴えるデモで反原発を混ぜ合わせたのかが気にかかる。そういうことをするだけで一気にデモ自体が胡散臭く見えてしまうからだ。反原発運動をするなと言っているわけではない。格差是正を訴えるという趣旨で始まったはずのOccupy運動が原発を止めるための運動を化すことには違和感があるなんてもんじゃない。今すぐに全国の原発を停止したら経済が破綻する。デモ参加者たちには東京在住者たちも多いことだろう。都内だけで考えてもあの計画停電のときにどれだけ経済活動がストップしたかを痛感したはずだ。原発分を補うだけのなんらかのパワープラントを揃えてからの全ての原発停止でなければならない。電気が足りないという理由で倒産する企業が増えて、業務時間を短くする企業が増えればその企業による人員削減が加速する。計画停電中ですら町工場は倒産が相次ぎ、企業は業務時間を大幅に短縮して派遣切りで人員の調整をした。緩やかな原発の減少とそれに伴う代替エネルギープラントの建設・運用、これしか経済を停滞させないで雇用も維持する方策はないはずなのだが「雇用を増やせ、原発を無くせ」では余りにも現実離れしている。
デモ参加者も彼等が抗議している対象と同じように社会から分析されている。デモが支持されているか否か、今はネットという便利なツールもあるわけなのだからデモ参加者たちは先ずは鏡ならぬネットで自己の主張を見つめてみる機会があって然るべきだ。そうすれば数々のシュプレヒコールの内容やプラカードに書かれていることと自分たちの置かれた立場の原因がいったいどこにあるのか、そんな根本的なところを冷静に考えられるかもしれない。格差を無くせというのは簡単。言うだけならば本当に簡単。格差でいうところの上に行くための努力はそりゃもう尋常じゃない。先ずは格差で言うところの上に行くための努力は少なからず必要。デモ参加者は本人が考えているフツーに努力してフツーに頑張ったのに上に行けないと考えてのデモならば注意が必要だ。そのフツーが他者から見れば大したことではなくてフツーどころか「怠けている」なんて評価を受けるかもしれないのだから。
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