昨年は酒に酔った新成人が式典進行を妨げて逮捕される事態になった静岡県富士市は、飲酒している新成人の入場を禁止する厳しい態度で臨んだ。
準備したアルコール検知器は使わなかったが、酒を飲んでいるとして2人の入場を拒否した。式典は大きな混乱なく終了した。
成人式に出席できなかった男性(20)は、取材に対し、飲酒者が出席できないことを知らずに式典前にビールを飲んだという。男性は
「騒ぐかどうかは大人の自覚があるかどうかで、飲酒の有無は関係ない。信頼されていないようで悲しい」と言い残し、一人で会場を後にした。市社会教育課の本多良治課長は「問題なく式典が終わり、やれやれという感じ」とほっとした様子だった。
ソース元:
YOMIURI ONLINE
「騒ぐかどうかは大人の自覚があるかどうかで、飲酒の有無は関係ない。信頼されていないようで悲しい」
う~ん、この発想じゃ、まだ大人の自覚が無いなぁ。この式典の入り口にも「飲酒をしている方の入場はお断りしています」とある。式典の通知(入場券)にも「会場であるロゼシアター館内は禁煙及び飲食禁止となっております。また、飲酒されている方の入場は固くお断りします。」と明記されていたとのこと。
「大人の自覚」がどうのとか屁理屈を語る以前にルールを守れるか守れないかの話だ。
この式典への入場を断られた新成人がまるで被害者のように語っていることが気になる。酒気帯びで会場にいては周囲の人間に迷惑であるといった発想が無さそうであるし、こういった式典に出席するときに酒を飲んで訪れることが本人の自覚云々で容認されるべきだと考えていそうだ。周囲がどう迷惑するのかではなく、先ずは自分がこうなのだからと言葉に出して言ってしまうこの新成人の前途は多難だ。
また、この新成人を擁護する発言もネットでいくつも見た。う~ん、この新成人の発言然り、擁護者たちの発言然り、一見すると正論のように見えてしまうのでその意見に流されてしまう新成人や未来の成人たちが出やしないかと心配だ。
あくまでもマナーとか常識とかそんなことよりももっと大前提としてあるべきこととして、「自分で自分の評価をするな!」というものがあるとは、その新成人も擁護者たちも考えないのだろうか?
自己判断で「大丈夫」なんてことが世の中通るはずもないのだ。飲酒運転は事故を起こす以前から犯罪であるし、酒の臭いは本人がいくら「問題ない」と言い張ったところで周囲には迷惑だ。ましてや施設を管理する側、式典を運営する側、そして滞りなく成人式に参加したいというほとんどの新成人たちからしてみれば、「可能性の問題」なんて知ったことではない。酒を飲んだ者が暴れるかもしれない、暴れないかもしれないと議論をすること自体が馬鹿馬鹿しい話であって、いちいちそんな大人に成り切れないまま成人式に出席しようとした者に付き合ってはいられない。
問題を起こす者はとかくその問題について周囲を巻き込もうとしたりするものだが、大人はそんなことに付き合う暇がないし、暇があっても疲れるのでご免こうむる、これが社会人の世界というものだ。「信頼されず悲しい」と言われたところで気の毒に思われるはずもない。信頼とは自分からアピールしてしてもらうものではない。なんで式典の前にビールを我慢できなかったかなぁ。酒や煙草などの嗜好品を大事な席で我慢できない者は大人じゃないんだっちゅーの!
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