しばらく前に、シンガポールに行って、国会議員の人と話していた。電子教科書の話になって、「日本ではいろいろ議論があるんだけど」と言ったら、その人は「えっ!」と驚いた顔をしている。「シンガポールでは、とっくの昔に導入しています」。日本は今や後進国の認識である。
韓国でも、年限を区切って、電子教科書への移行を完了することが決まっているという。それに比べて、日本の動きはあまりにも遅い。「紙の教科書の情緒が失われる」などといった、根拠の薄弱な守旧派の戯言につきあっているうちに、次世代のリテラシーを養う機会が失われていく。
(色々と長く話されているのだけれど今回取り上げたいこととは関係しないので中略)
先日Tokyo International Schoolに行った時、幼稚園の段階から、一人一台iBookを持っていて、ネットを調べながら授業を受けているのを見て、ああこれはダメだ、日本はもう絶対に勝てないと思った。一字一句まで検定する紙の教科書は、現代の恐竜である。
電子教科書を導入しないと後進国だとは言い過ぎだ。紙の教科書が恐竜だという例えも現実離れした表現だ。そしてシンガポールや韓国で導入されているからといって日本も導入するべきだといった論調には大いに疑問だ。人口が日本よりも遥かに少なく、教育環境も異なる国が必ずしも日本の教育システムの今後のロードマップに合致するとは限らない。日本は日本に馴染むやり方を模索していけばいいわけで、シンガポールがやっているから日本も!とか、韓国が決めたんだから日本も!といった安易な発想は危険だ。
紙媒体には紙媒体であるが故の問題やデメリットがあることは否定しない。なにより重くかさばることは紙が紙である以上は避けられない問題点だ。しかしながら電子書籍も電子書籍であるが故の問題やデメリットが存在する。どちらが良い悪いというわけではなくて両者の良い部分をなるべく活かした併用が最も望ましいカタチではないかと見ている。
電子インクは以前よりもだいぶ見やすくはなったものの、やはり紙に印刷された文字の方が読みやすいという人は多いことだろう。電子書籍に直接書き込むことは技術的には可能だと思われるがペンタブやタッチパネルが直接的に紙に書き込むように使えるようになるだろうか?慣れの問題というよりも人間の視力と記憶力の親和性とでも言うべきか、紙に書いたメモや印がなにかしらの端末の画面に書いたものと同じように人間が記憶するだろうか?ミジンコは断然、紙のメモの方が画面に書いた文字よりも記憶しやすい。これが果たして電子媒体の進化によって逆転するのか否か、今のところは全くもって見えてこない。電子端末の画面でメモをしても(実際そういうツールは山ほどある)、付箋に書いてPCに貼り付けたメモの方がずっと記憶しやすいのだ。
ある学校ではiPadを導入して教科書が見られるようになったものの、iOSがアップデートされたら教科書を見るためのアプリケーションがそのOSには対応しておらず教科書が見られなくなったという事例もある。思わず笑ってしまう話だが学校側も生徒さんたちもそれではシャレにならなかったことだろう。紙の教科書では絶対に起きない事故だ。
紙は広く展開できることもメリットが大きい。地図などを見るときには紙ならではの便利さがある。勿論、アプリケーションの地図は地図で多大なるメリットがあるわけで結局のところ、紙とアプリの両方を手離すべきではないわけだ。
電子端末がバッテリー消費量の問題から解消される日はまだ見えてこない。充電をしないと見えなくなる教科書が果たして教育の場においてどれだけ歓迎されるか甚だ疑問だ。それに教科書のコストも気になる。学生が先ずはiPadのような端末を購入しなければならないとなるとハードルが1段どころか数段は跳ね上がる感がある。給食費の問題じゃないけれど、将来的には教科書を持っている子と持っていない子なんて状況が発生するのかもしれない。それは教育現場では悪夢だろう。
動画機能しかり、すぐに関連項目に辿り着けるなど電子端末の教科書化のメリットは大きいというのは理解できる。そのメリットを考えた上でも紙の教科書を完全否定しようという気にはなれない。先にも述べたが紙と電子端末の併用が理想的に思える。そもそも茂木健一郎の「(日本は)後進国」だとか「(紙の教科書は)現代の恐竜」といった認識が勝手な定義づけであり論拠に乏しい。教科書の電子化への移行は、まだ結論を出すような段階ではないということだ。
茂木健一郎のこういったツイートを見るたびに疑問なのは、なぜ彼はいつも日本の方が遅れているかのように日本を卑下しては海外の方が進んでいるかのようなツイートを繰り返すのだろうか?ということ。海外の実情を知らない日本人になにかしらの刷り込みを狙っているかのようで不気味ですらある。なにかを褒めるときになにかを卑下することは愚かな行為だ。彼は以前にもアップル社を称賛するためにマイクロソフト社を侮辱する発言をして同席していた西氏(元マイクロソフト副社長)を激怒させた前科がある。(
両方素晴らしいOSです 2011/10/10の記事)他にも何度かなにかを褒めるためになにかを馬鹿にしたような茂木発言を見た記憶がある。
シンガポールの教科書の電子化が進んでいるからといって、日本の教科書が紙媒体であることが問題であるといった思考はなんとも短絡的だ。現状、紙と電子版の教科書のメリット・デメリットが議論されている段階に過ぎず、後進国だとか恐竜だとか人々の不安を煽るような表現をして正しいとは限らない道(教科書の電子化)に安易に誘導するべきではない。教科書の電子化が進んでから子供の学力にゆとり教育以上に悪影響を及ぼしているなんて調査結果が出ないとも限らないのだから。
少なくともPCでほとんどの文字を処理するようになった自分は漢字の「書き」には自信が無くなった。皆さんはどうだろうか?電子化にはそれはもう膨大なメリットがあるものの、デメリットが全くないわけではない。