テレビへの依存度によって意見は分かれるんだろうけれど、ミジンコは
駒澤大学の山口浩准教授 の提案(J-CASTニュース)に大賛成。
とても具体的かつ建設的な提言である為に多くの2chのまとめブログで取り上げられている。
ほとんどテレビを見ないミジンコなので賛成なのかと穿った見方をされるのは不本意。そういえば、自分が節電の際に停止するべきだと考えているパチンコ、自動販売機、ナイター野球などは、自分はほとんど利用しないか、もしくはまったく利用していないものばかりで、自分が感じているイメージとしては喫煙に似ている。自分は使わないけれど世の中では相当な普及率なもの。
自分がまったく利用しないんだからその対象が「無くなっても困らない」という状況は廃止論だとか休止論を肯定する場合は言いまわしが難しい。感情的には「いらない!」で済むわけなのだけれど、それが無くなったときの社会への影響やその利用者たちの生活の利便性が低下することなども考慮して、本当に無くしても大丈夫なものなのか否かを客観的に考えるべきだ。
そうは言いつつも自分が普段ほとんど必要としていないか、必要としていないものが無くなったときの影響を想像することは簡単ではない。元々使っていないものなのだから当たり前だ。例えば、パチンコが無くなったからといって困ることや、パチンコが社会にあるメリットなんてミジンコは全く挙げることができない。本当にそんなものは全くないんじゃないかと思っている。
さて、本題のテレビなのだけれど、無くなったときとまでは言わないまでも、休止になったり、放送局の各放送が輪番制になったとして、なにか困ることがあるんだろうかと考えてみた。
これがなかなかに難しい。緊急地震速報などのような速報のときに便利が唯一思いついたこと。これも行政区ごとの放送や警報が届く携帯電話の普及で理由としてはちょっと弱い。実際、東日本大震災後の東京では別にテレビを見ていないときでも大きい余震のほとんどは携帯のアラーム(マナーモードにしていても緊急地震速報のときはバイブが作動)や市区町村からの速報で事前に知ることができていた。テレビをたまたまつけていたときによく分かるのだが、緊急地震速報は携帯電話とテレビではほぼ同時に届く。
テレビが毎日数時間程度放送時間を短縮したり、放送局ごとの輪番制を導入したところで困る理由が自分には見当たらないのだ。むしろその制度が導入されたところでなにも変化を感じないかもしれない。1日1時間もテレビを見ていない生活なので、いくつもあるチャンネルの毎日ほぼ24時間の放送が数時間ずつ休止となったところで変化は無いことだろう。
テレビが生活で欠かすことができない人々にとってはまた別の話なのだろうが、そういう人たちがどの程度いるものなのか?ず~っとテレビを見続けないと生きていけない人々・・・・・。それはそれで別の意味で問題があると思う。
放送局はこういうテレビ休止についてまったく議論を重ねていない。議論を重ねるどころか議論すらしていないというのが現状のようだ。これだけテレビ番組では節電を呼び掛けているというのに、自分たちは節電をする気がないと言っているに等しい。相変わらずのモラルの低さだ。
さて、この山口准教授の提案に対しての茂木健一郎のツイートが興味深い。
「思いつき程度のことで」と茂木健一郎が言っていることは「ひらめき」を否定しているようで残念だ。プロジェクトを進行するとき、時にはその一瞬のひらめきが大切なときがあるというのに。
こういった建設的な提案に対して、「知的密度低し」とは言うことのレベルの知的密度とやらが低いのでは?テレビ番組が減ると困る、テレビメディアあってこその自分の立場維持という事情があるにしても、「知的密度」というわけのわからない表現で相手を貶めているだけに過ぎず、これこそ知的ではない。脳の研究をしているのに、検査も研究もしていない相手を知的・知的ではないで区分け、いやもっと言えば差別してしまうその姿勢には疑問だ。
大体、知的であるか否かで言えば、このツイートの方がアタマが悪そうに見えるのはミジンコだけだろうか?「電力供給をシステム的に安定化」などという表現はエネルギー関連の専門家たちとの会議では???となってしまう発言だ。「電力供給システムを安定化」したいと言いたいのだとはなんとなく分かるが、システムとはプラントのシステムを指しているのか送電網を管理するシステムを指しているのか、はたまたそれら全ての電力供給全てをひとつのシステムと捉えて語っているのか?さて、それではその安定化とはなにをもって安定していると指すべきなのか?プラントの稼働率か?プラントのメンテナンスフリー化を究極まで突き詰めることを指すのか?送電線網の安定化とかなんぞや?と専門的な知識が深ければ深いほど、安易な一行程度の言葉についてクエスチョンマークが続出してしまうものだ。詳しくも無いことについての安易な発言の方が知的密度が低いということだ。
茂木健一郎が「できるはずないじゃん」というアイデアならば、なんだかいけそうな気がしてきた。テレビだけに限らず、パチンコや自販機などの節電は取り組むべき課題だろう。やらないで「できるはずない」では日本人らしくないとも思える。日本人の気質として「やればできる」があると思うからだ。
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