誰かの世話になっている者がその世話、まぁ、はっきり言えば負担をかけている相手に対してわざわざ神経を逆撫でするような行為をするべきじゃない。これは老若男女問わず人として最低限の配慮だ。誰かの世話になっている者が言うべき言葉は本来は「有難うございます」だ。相手に負担をかけ続けた挙句に不平不満では、その望まない負担をかけられている人々にとってはたまったものじゃない。それならばそもそも不平不満の出所が消えて無くなってくれた方がどれだけマシなことだろうか。困ったことに生活保護問題に関しては負担をかけられている側がその不平不満の出所が消えて欲しいと願うことはそれ即ち「死ね!」と言っているのと同意のように受け取られかねないことだ。
生活保護受給者たちが「命をつなぐ生活保護は恥じゃない」とデモ行進をした。「命」ときた。これでは自分たちを人質にして脅迫をしているようなものだ。本当に彼等の「命がつながらない」のであれば、生活保護制度を支えている納税者たちは生活保護を認めるしか選択肢が無くなってしまう。それもある程度の限界、そう怒りや我慢の限界点というものを超えなければの話だが。
今回デモ参加者たちはその納税者たちの怒りの限界点をどう感じているのだろうか?自分たちは怒ってもいいが納税者たちは黙って金を出せとでも言っているかのようなふざけたデモだ。これでは問題発言なのかもしれないがそんな図々しい命がつながらなくともこちらは痛くも痒くもないと言いたくもなる。
<生活保護>「恥じゃない」利用者ら霞が関をデモ(Yahoo!ニュース 毎日新聞)
「命をつなぐ生活保護は恥じゃない」。生活保護の利用者や支援者らが8日、東京・霞が関の官庁街周辺をデモ行進した。
【生活保護と最低賃金の逆転現象】11都道府県で 解消が急務
当事者の声を知ってもらおうと有志が企画、約100人が参加した。「苦しい時みんなで使おう生活保護」「改悪にNO」などと書かれたボードを持った参加者が「厚生労働省は当事者の声を聞け」「財務省は人の命(にかかわること)を財源(の有無)で語るな」などと、それぞれの庁舎前で訴えた。
生活保護を巡っては3月時点の受給者が過去最多の210万人を超え、お笑い芸人が母親への扶養義務を果たさなかったことが批判されたことなどから、「バッシングの声が高まり制度改悪につながるのでは」と不安の声が上がっている。【遠藤拓】
生活保護は恥ではないのだろうか?生活保護が恥であるのか否か、これからの日本のためには明確にしておくべきだ。
ミジンコは生活保護は恥だと誰もが捉える世の中であって欲しい。こう言ってしまうとまた穿った見方をする人たちが酷い暴言だとギャーピーギャーピー騒ぐのかもしれないが生活保護は恥だと考える。自分が働けない上に資産もゼロとなったとして生活保護の需給要件を満たして生活保護受給者になったとしたら絶対に恥ずかしながら需給することだろう。その事実を人に話せないかもしれない。生活保護の需給要件を満たしている上にそれまでずっと納税をしていたとしてもだ。仕方が無い事情で法的になんら問題がない状況での生保需給でもきっと恥ずかしくて、そして世間に申し訳なくていたたまれない気持ちになることだろう。それが普通の感覚だと思う。
このブログで幾度となく述べているが、これだけ生活保護受給者のデモに憤っているミジンコは生活保護制度自体には改善の余地が大いにあるとはいえ賛成なのだ。弱者を救えない社会は恥だと思うからだ。世界各国見渡してみても弱者を国が救わない国は荒廃し未来も明るくはないのは常々実感している。例えば重い障害を持ってしまった人々、仕事が見つかるまで家族を養わなくてはならない人たち、不慮の事故で納税者から一転して生活保護に頼らざるをえなくなってしまった人たち、そういう人たちを支えてあげたくなるのは人情というものだ。実際、今はミジンコは圧倒的に支える側だ。日々の生活に余裕が無くて公共施設を有意義に使う機会なんてほとんどない。怪我をしようが病気になろうが支払っている税金の何千分の一の医療さえ受けていない。つまり使っている量よりも支払っている(支えている)量の方が圧倒的に多い。それが不愉快なわけでもなくむしろ誇りでもある。ただし!目の前で元気なおっさん、おばさんたちが「生活保護は恥じゃない!」とデモ行進してきたらそのデモを蹴散らしてしまうかもしれない。そのデモに使うエネルギーと時間で働けるはずだ。百歩譲って職探しに充てるのが筋だ。
今回のデモ参加者たちの身辺調査を徹底して行うべきだ。デモには参加できるが仕事はできない明確な理由がある者だけが今後も生活保護を需給するべきだ。おそらくそんな事情のデモ参加者は一握りもいないことだろう。残りのデモ参加者たちは生活保護を打ち切られたってもう知ったこっちゃない。「命をつなぐ」とやらをずっと支え続けてきたらデモが起きたのだ。デモ参加者たちは、生活保護を支えている納税者たちが昼食代を節約して生活にいっぱいいっぱいで僅かな休日にはデモ参加するような気力も体力もないということを知っているのだろうか?こういうことは日々、そして何年も経験しないとなかなか実感できないものだ。365日ほとんど働いては家でバタンキューな人たちの心情をデモ参加者たちは到底理解しているとは思えない。
ミジンコの個人的な心情としてはワーキングプアと総称される人々がせめて年に数回の豪華な外食や遊園地や旅行をもっと楽しめる方がよほど納得がいく。働いても働いてもなかなか裕福にはならない人たちが今よりも多く、多くとはいっても年に数回程度だろうが楽しい時間があってもバチは当たらないと思っている。なぜならば彼等の方が生活保護受給者たちよりもよほど我慢して真面目に生きていると感じているからだ。生活保護受給者の満足よりも先に働きながらも生活がギリギリ、電車で立ったまま寝ているような人たちの方が救われるべきだ。元気にデモ参加をする厚顔無恥な輩よりも優先すべき人たちがいるってことだ。
大体、こういったデモを実際に実行に移していることがおかしい。少しでも納税者たちへの労わりの気持ちがあればこのデモの主張がとても口に出すことははばかれるようなことだと分かるはずだ。それでも支えてくれている人たちよりも自分たちの幸せを優先したいが故にデモをやってしまう。自分たちに思いやりを求めるのならば先ずは助けてくれている人たちへの思いやりを示すべきなのだが、そういった当たり前の配慮をデモ参加者たちは絶望的にできていない。
結局のところ、このデモ参加者たちは納税者たちにツバしている。納税者たちにおんぶに抱っこもいい加減にしろ!デモに出る余裕があることを「恥」と思わないことがおかしいんだよ!
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